音楽と世態 中原中也

 今日は、中原中也の「音楽と世態」を配信します。縦書き表示で、全文読めますよ。
 これはとくに音楽論というわけでも無いんですが、詩人の中原中也が考察した、百年前の近代音楽に関する随筆です。
「山賊仲間に聖者のゐたためしは先づないが、修道院の中には天使から悪魔までがずらりとゐる」という文章が印象に残ります。東京中央楽壇などによるクラシック音楽の演奏……シューベルトラヴェルバッハを聞いて、思ったことを書いています。
 後半の総論のところが読みにくい難読文で書かれています。原文はこうなんです。
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  何れにしても、要は各人の感性の問題で、「各感性は各感性也」と云はれれば文面上辻褄は合つてもゐようが、「各感性は各進化しつつある」現実の世界は、可動的グラヒカル・リプレゼンテーションとやいふらむか、而して、可動的グラヒカル・リプレゼンテーションは可動的である故に名附け難いので、人類は結局、同好の士、非同好の士と、アダムより我等が子々孫々に至るまで、最後の段階では情意的(気分的、間違へないでね)であり、高遠なる思索家とは、遂に貧血症のことだらうか?quomark end - 音楽と世態 中原中也
 
 この箇所をAIを使いつつ要約してみると、こうなります。
 結局、大事なのは人それぞれの「感じ方」なんだ。「人の感じ方は人それぞれ」って言えば、言葉の上ではうまくまとまるかもしれない。この世界は、動く絵や映像のようなものなのかも。ずっと変わり続けているから「これはこうだ」と言い切るのがむずかしい。名前をつけようとしたときには、もう少し違うものになってしまっている。
 だから人間は結局、「同じ好みの人たち」と「違う好みの人たち」に分かれて、アダムの時代からこれから先の子孫にいたるまで、最後には「気分」みたいなものでしか分かり合えないのかもしれない。そして、むずかしく考えごとをしている人って、実はちょっと貧血気味なだけなのかもしれないね。
  

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