今日は、中原中也の「高橋新吉論」を配信します。縦書き表示で、全文読めますよ。
中原中也は宮沢賢治の詩集を熱心に紹介した詩人なんだと思うんですが、今回、高橋新吉の文学性について論じていて、なんだかすごい作品でした。本文こうです。
彼がヒュマニティから出発したことは明かだが、立派なヒュマニティは理論を欲するものであるのか、彼は非常に考へる習慣を持つた。けれども彼のやうに一切を演繹することの出来る人は、ヒュマニティの実質を見失ひ易い恐れがある。彼はそれを見失つてゐる。
彼の詩のモチーフはヒュマニティではなく、言はゞ、「俺は全てが分つて生きてゐるのに、人々は分らないで俺と同一平面上にゐる」といふことのやうだ。彼の詩が扱つてゐるものは何時も普遍的なものだが、それを扱ふ動力は私的感情だ。
ほとんどの「良い芸術家が一通り人生への尺度を持つてから」しばらくものを作れなくなる、そしてこの立ち止まってしまうことが、彼の心臓を目覚ましヒューマニティーの実質を呼び起こす、と中原中也は指摘しています。
評論と私信が入り混じった、不思議な作品でした。
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