今日は、谷崎潤一郎の「細雪」その50を配信します。縦書き表示で、全文読めますよ。
日本でずっとドイツ料理屋を営んでいて、戦時の不景気によって日本での店を畳むことになったシュトルツ家の夫人は、あと半月もせずに日本を発って故郷へと帰ってゆくのですが、子どもたちにとっては今生の別れとなる日々をすごしている状態です。
別れる寸前まで、ローゼマリーと悦子は、毎日のように遊んでいたのでした。「悦子の帰宅後は、彼女が学校から戻るのを待ちかねるようにして、残る僅かな日数を、一日も欠かさず一緒に遊び暮していた。」という記載が、印象に残りました。悦子はローゼマリーと遊ぶようになって自然とかんたんなドイツ語も使うようになった。
引っ越してゆく隣家の様子をずっと見ていた、母の幸子の描写もありました。大水があった時の罹災者の支援の様子も、思い出として描きだされるのでした。
「もうこの家には何もありません。私達、船に乗るまでこのバスケットのナイフやフォークで食事します」という引越の数日前の一場面がありました。敗戦寸前と戦後すぐに執筆された文学作品として印象深い章であるように、思いました。
「書画」や「振袖」や「刺繍」といった日本の美しいみやげ物を、隣家の人々はシュトルツ一家に贈るのですが、これが二十世紀最大の戦禍の中で、敗戦ののちまで持ちこたえうるのかどうかは、どこにも記されていないのが、かえって文学的な時代描写になっているように思いました。本文には、幼子たちのこういう描写もありました。
明日はいよいよ乗船すると云う前の晩には、ローゼマリーは特に許されて悦子の部屋に泊ったが、その夜の二人の燥ぎようと云ったらなかった。
細雪の長編の中でも、今回はとくに、この作品の特徴が良く出ている場面があまたにあるものなので、全文を読まない場合はこんかいの章だけを読むのもおすすめかと思いました。「ただ素晴らしく贅沢な船」に乗って、遠い故郷へと帰っていったシュトルツ一家との別れの場面は、涙ぐむ女性たちの描写もあって、近代文学を代表するような本作の、みごとな物語描写のように思いました。こんな記載もありました。
「まあ、綺麗な。百貨店が動き出した見たい、———」
と、妙子が、海岸の夜の秋風に白いブラウスの肩を縮めながら云った。
人間を運ぶための船の本来のありようも失われてしまった敗戦前後の時代に、こういう文学の記載があったのか、というように思いました。当時の女性たちが読むための本だったのでは、というようにも思える描写もありました。
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当サイトでは『細雪 中巻一』を通し番号で『細雪 三十』と記載しています。『中巻三十五』は通し番号で『六十四』と表記しています。
「細雪」の上中下巻、全巻を読む。(原稿用紙換算1683枚)
谷崎潤一郎『卍』を全文読む。 『陰翳礼賛』を読む。
■登場人物
蒔岡4姉妹 鶴子(長女)・幸子(娘は悦ちゃん)・雪子(きやんちゃん)・妙子(こいさん)