今日は、夏目漱石の「虞美人草」その1を配信します。縦書き表示で、全文読めますよ。
漱石の長編をいくつか読んだことがあるんですが、この「虞美人草」ははじめて読みます。噂によると、これがいちばん熟練の技術で、濃い男女関係が描かれる……らしいです。まず2人の男の登山から物語が始まっていました。京都の叡山というのは、比叡山のことだと思います。
「なるほど好い景色だ」と甲野さんは例の長身を捩じ向けて、際どく六十度の勾配に擦り落ちもせず立ち留っている。
「いつの間に、こんなに高く登ったんだろう。早いものだな」と宗近君が云う。宗近君は四角な男の名である。
28歳くらいの2人は「学士」で登山を続けている。「大空に向う彼の眼中には、地を離れ、俗を離れ、古今の世を離れて万里の天があるのみである。」おおよそ100年前の小説であっても、自然界の描写は今とまったく変わらないのでは、というように思いました。
音楽家のグールドは、湖畔の散歩をしつつ、漱石の「草枕」をたいへん愛読したということを聞いたことがあるんですが、これに納得がゆく文が虞美人草にも、いくつか記されていました。山道に疲れて身を横たえた甲野君の心情描写がみごとでした。「あとは静である。」から「考えるともなく考えた甲野君はようやくに身を起した。」までの文章が、百年後のカナダにまで届くほど美しいように思いました。ここを繰り返し読むだけでも、漱石文学の堪能なのでは、と思いました。
「赤も吸い、青も吸い、黄も紫も吸い尽くして、元の五彩に還す事を知らぬ真黒な化石になりたい。」「遐なる心を持てるものは、遐なる国をこそ慕え。」
ちょっと読みにくい箇所は、AIに現代語訳してもらうと読みやすくなって、100年前の原文もすんなり読めるようになると思いました。
「甲野君」の「万里の道を見ず」「ただ万里の天を見る」というのはいったいどのような心境なのだろうかと思いました。甲野君はなぜか2人で山登りに来たというのに1人きりになりたがり1人で考え事を続けるのでした。どうも自分としては、漱石が、メメントモリにひたる主人公を描く時に、そこに離ればなれとなった親友の正岡子規の気配を、感じるように思うのです。次回に続きます。
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「虞美人草」の一から十九まで、全文を読む。(原稿用紙換算584枚)
夏目漱石『夢十夜』を全文読む。 『草枕』を全文読む。
追記 むかしは比叡山に登るような男が、黒い日傘をさして歩いていたようです。


