過剰の意識 中井正一

 今日は、中井正一の「過剰の意識」を配信します。縦書き表示で、全文読めますよ。
 戦争が終わったのに、当時とまったく同じ方針で高度経済成長へ突入してゆく大都会の果てしない喧噪について中井正一が記しています。本文こうです。
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 「おはよう」というかわりに、東京では数百万の人がこの憎しみの中に浸され、「おやすみ」というかわりに、また数百万の人がこの哀しみの中にもまれて、その一日を過ごすのである。歴史が始まって、こんなかたちの人間の集合があったであろうか。quomark end - 過剰の意識 中井正一
 
 ぼくは日本で一位に混雑する列車に何年間か乗り続けたことがあるんですけど、じつはそれ以上に、当時の東京は闇雲に混雑していたのではと思えるような、100年前の東京の映像記録を見たことがあります。現代ではもうすこし混雑を緩和する仕組みができているように思います。中井正一は神話的な童話について回想をし、こう記します。
quomark03 - 過剰の意識 中井正一
  私は一つの童話を思い起す。強い力の巨人があった。彼は大地に身を置いているかぎり、その力を失わない。彼は時に大地から身を離すと、その力を回復するために、その大なる掌を開き、そのたなごころを、しっかりと大地に着けるという。
 私は力を回復するために、大地にじっと掌を置いている巨人の姿は美しいと思う。quomark end - 過剰の意識 中井正一
 
「私たちはただ受身で立ったり歩いたりしているだけである」……それから「手の骨格が、足の骨格から変わってきた何万年かの百年ごとの変革ぐらい知っていてよいのである。だのに何も知らない。」また「たとえ五千年の歴史が、どんな誤りを犯していても、この二十万年の驚くべき現実に比べれば、四十日のすばらしい旅行の最後の一日に風邪をひいているようなものである。」と告げます。
 二十万年の人間の歴史を、自身の身体から感じとるべく、歩いて、なにかを独自に言ってみるべきである、と中井正一は一九五一年の初夏に記していました。最後の一行が印象に残りました。ドストエフスキーの記した「大地」という言葉を連想する随筆でした。
 

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