砂子屋 太宰治

 今日は、太宰治の「砂子屋」を配信します。縦書き表示で、全文読めますよ。
 これは文学作品では無くて、ほんの一頁の祝電の手紙なのでした。山崎剛平氏が1935年に砂子屋書房を創業したんですが、その時の祝いの言葉です。作中で紀伊国屋文左衛門の栄枯盛衰について記しているのが、事業者への警句になっているのでは……と思いました。太宰が予想して心配したとおり、この書房は十年もたずに閉業になっているのです。「身辺の良友の言を聴き、君の遠大の浪漫を、見事に満開なさるよう御努力下さい。」という終盤の言葉が、やはり歴史的な作家の文章だ、と思いました。山崎剛平氏は他にも『槻の木』を創刊していたり、本業の酒造を営んでいたり、随筆家であったり、戦後も九十五歳まで長生きをした人だそうです。
  

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学問のすすめ(1)福沢諭吉

 今日は、福沢諭吉の「学問のすすめ」を配信します。縦書き表示で、全文読めますよ。
 福沢諭吉は本論で、貧富や賢愚のことを説いています。生まれた時は賢愚の差は無かったのに、日々、学んでいるかどうかで、差がついてしまうのだと述べています。むずかしい仕事をしている人が、身分の重い人だと言っていて、おおくの人のめんどうを見ている農業者も、むずかしいことをやり遂げているので身分が重い、放蕩ざんまいで愚かな結果が出てしまう働き手は身分が軽い、というように福沢諭吉は述べています。
 また異体字とか「䱯」とか「鵦」とか「龓」というような難読字が読めることが賢いのでは無くて、家族をゆたかにして賢く生活できることを学問がある人だ、とも言っています。
 手紙を書くとか会計をちゃんとするとか日常で使う実学がまず大事ですと、福沢諭吉は述べています。あと大金持ちであっても他人の情や暮らしを妨げるようでは、ただの放蕩だと、述べています。「自由を達せずしてわがまま放蕩に陥る者」にならないよう、学問をすすめています。
 福沢諭吉は「自由を妨げ」られるようなことがあれば「争うべきなり」と勧めているんですが、暴力的な「強訴」は愚かだと述べていました。フランスでは多くの貴族が襲撃を受けたフランス革命があって、現代フランスでも、政府が増税をしようとしたら、強訴や一揆のような乱暴なデモをして政府に抗議をして増税を辞めさせる文化があるんですけど、福沢諭吉の自由闘争論はそれとはかなり違うようです。
「身の安全を保ち、その家の渡世をいたしながら、その頼むところのみを頼み」近しいものと教えあいながら、自分たち市民側がみな学問を深め続ければ、自然とひどい政府もマシになってゆくというような、べらぼうに時間のかかる改善というのを勧めているようです。「愚民の上に苛き政府あれば、良民の上には良き政府あるの理なり」「法のからきとゆるやかなるとは、ただ人民の徳不徳によりておのずから加減あるのみ」というのは、たしかに3.11のことを忘れて世界中で認められてない45年とか59年も経つ老朽原発の稼働さえ許可する法を作ってしまった今の日本政府は、多くの愚によって支えられてしまっているように思います。いっぽうでフランス原発を長年メルトダウンさせなかったのはやっぱりフランス市民ぜんたいが賢かったからなのでは、と思いました。「まず一身の行ないを正し、厚く学に志し、ひろく事を知り、銘々の身分に相応すべきほどの智徳を備え」よ、というように福沢諭吉は記していました。「支配を受けて苦し」むことがないように、まずは自分で実学を学んで、自由を手にしよう、というような記載もありました。これで第一編である『初編』が終わるのですが、全体では十七編あります。また次回、第二編を読んでみようと思います。

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★ 『学問のすすめ』第一編(初編)から第一七編まで全文を通読する
 
 
追記  谷崎潤一郎の「細雪」中巻下巻は9月27日から再開する予定です。

道なき道 織田作之助

 今日は、織田作之助の「道なき道」を配信します。縦書き表示で、全文読めますよ。
 これは……道やぶれた男が、子にヴァイオリンの厳しい教育をほどこす、ちょっと不気味な物語なのでした。これも芸術の道なのかと思う、なんだか愛憎のさかまく執着と苦の絵巻物でした。
 

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ガリバー旅行記(4) ジョナサン・スイフト

 今日は、ジョナサン・スイフトの「ガリバー旅行記」その4を配信します。縦書き表示で、全文読めますよ。
 ガリバー旅行記はこの第四部で完結します。これまでの3回とまったく同じ展開で、またもガリバーは航海に出て、海で襲われてから、未知の島に辿りつくのでした。
 ところが今回は、妙な動物が現れて、これが異様な知力を持っているのでした……。ここからはネタバレなので、近日中に読み終えるかたは本文を先に読み終えてください。
 高い知力を持つ馬がガリバーの目の前に現れます。靴のことがとても気になるフウイヌムという馬たちなんですが、彼らは高度な文明社会をつくりだしているのでした。沼正三の奇書を連想させるような、馬が世界のあるじで世の王になっている世界なのでした。
 ちょっと人々の馬にたいする考え、というのをいくつか思いだしたんです。夏目漱石は、若き芥川龍之介に対して手紙でこう書いています。
quomark03 - ガリバー旅行記(4) ジョナサン・スイフト
  牛になる事はどうしても必要です。吾々はとかく馬になりたがるが、牛には中々なり切れないです。(略)牛は超然として押して行くのです。何を押すかと聞くなら申します。人間を押すのです。quomark end - ガリバー旅行記(4) ジョナサン・スイフト
 
 あと画家のボナールが「木馬に跨がるのは良いとしても、それを天馬だなとど思ってはならない」と述べています。それから名画ではナポレオンの愛馬である「マレンゴ」が有名なのかなと思います。近代文学だと馬車が貴族だけの乗物となっていて、馬というのが現代で言うところのプライベートジェット機のような存在でもあったんだと思います。ジョナサン・スイフトが、どのようにこの馬のことを考えているのか、というのを知りたくなって、興味深く読めました。
 きわめて知力の高い動物とガリバーは、人間たちの世界のことを話し合うのでした。そうすると、自分のことや人類のことが、危険で危うい生きかたをしていることが見えてくるのでした。このあたりは、戦後しばらくしてから沼正三が描いた奇書とそっくりなんです。第四部は実験的な物語になっているので、これだけを読むのはどうも面白くないように、思います。
 これを翻訳した原民喜は、あとがきに多くの思いを記していました。原民喜は戦争体験の病苦と悩みのために没してしまうのですがさいごのところで、ジョナサン・スイフトが終盤に描いていた、偶然にも通りがかって助けることになった船員たちのもっていた、親切さというのを重んじて文学の創作をしていたのでは、と思いました。
 ガリバーは最終的にどうするのか、というのが謎なんですが、意外なことを希望するんです。もう、自分の国に帰りたく無いし、人間嫌いになってしまって一人で生きてみたいと、無人島の漂流者みたいに生きようとするのでした。水木しげる大先生が戦後に望んだ、南の島に移住して生きるのだ、ということをガリバーは望むのでした。
 ただ、偶然にも、他の人びとがガリバーをふつうに扱ってくれて親切にしてもらえたので、ちょっとずつ人間社会に戻れるようになる、というのがジョナサン・スイフトの描く児童文学の、すてきなところでした。
 

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★ガリバー旅行記の第1部から第4部まで全文通読する

われはうたえどもやぶれかぶれ 室生犀星

 今日は、室生犀星の「われはうたえども やぶれかぶれ」を配信します。縦書き表示で、全文読めますよ。
 室生犀星というと『杏っ子』というのが有名な代表作かと思いますが、こんかいは最晩年の作品を読んでみました。詩や小説を書くためのメモをとっている、ということから室生犀星の「われはうたえどもやぶれかぶれ」が始まります。深夜に幾度も起きて厠にいくしかない、喉もやられて体調が不良になっている「私」の深夜における日常のことを記しています。親戚でも無いかぎり目の当たりにすることの無い事態が事細かに記されていて、驚く内容でした。不調な身体のことと、その病の原因について記しているのでした。咳が止まらないのに煙草を繰り返し吸っているという、不思議な描写がありました。室生犀星は老境の「私」を描きだしていて、ずっとゆばりの不調と病について書いているのでした。序盤で老翁同士の諍いのことを書いていてギョッとするんですが、中盤から、知人であった宇野浩二の晩年のことを記していて印象に残りました。
 

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自己を中心に 三木清

 今日は、三木清の「自己を中心に」を配信します。縦書き表示で、全文読めますよ。
 自己中心的というのはたいてい悪い意味で使われていて「近しい人や他人を排除している」ということを意味するかと思うのですが、漱石の「自己本位」や三木清が述べている「自己を中心に」というのは、他者に貢献するには、自己がしっかりしていないとどうにもならない、という意味のようです。本文こうです。
quomark03 - 自己を中心に 三木清
 自分を中心にして仕事をしてゆくこと、それがけっきょく社会のために尽くすことになるのだと考える。自分というものを抽象して社会はないはずである。quomark end - 自己を中心に 三木清
 
 また「自分自身に還って仕事をするということである。まず主体を確立する」というように記していました。哲学者の三木清であっても、本は依頼されないとなかなか書けない、ということも記しています。三木清は質だけではなく量も重視していて、ゲーテの全集に匹敵するくらいの分量を書きたいという思いがあるようです。
「自分の能力を小出しにしない」で「自分の才能を浪費しないようにすることが大切である」それから、三木清の思想としては「民間アカデミズム」というものこそ重要なんだと、指摘しているんです。
日本の「文化史を見れば、民間アカデミズムは、たとえば徳川時代の儒者の間にも国学者の間にも存在したもので、それがかえってその時代の真のアカデミズムであった」と書きます。国家が主導しないものごとこそが、日本の文化にとって重要なことだという指摘でした。1939年という戦争の時代に書かれた随筆です。
  

0000 - 自己を中心に 三木清

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