細雪(40)谷崎潤一郎

 今日は、谷崎潤一郎の「細雪」その40を配信します。縦書き表示で、全文読めますよ。
 幸子の娘である悦子のことが描かれます。まだ小学校にも行かないような年齢の子どもたちも混じって、電車ごっこや木登りをして遊んでいます。ドイツ人一家シュトルツ家のペーターとの戦争ごっこの場面で、指でっぽうで遊んでいるだけなのに、家の中がこの遊びのためにくちゃくちゃに散らかってしまう場面が記されます。
 いっぽうで大人たちは、家に入りこんだ蜂のことで大騒ぎをしている、という状態なのでした。負け戦の報道を禁じるどころか、あらゆる言論の自由が阻害されて、小説の発表さえ禁じられるという1943年からの日々の中で、事件の起きない小説を谷崎が記していた、ということが見えてくる章でした。
 

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当サイトでは『細雪 中巻一』を通し番号で『細雪 三十』と記載しています。『中巻三十五』は通し番号で『六十四』と表記しています。
 
「細雪」の上中下巻、全巻を読む。(原稿用紙換算1683枚)
谷崎潤一郎『卍』を全文読む。 『陰翳礼賛』を読む。
  
■登場人物
蒔岡4姉妹 鶴子(長女)・幸子(娘は悦ちゃん)・雪子(きやんちゃん)・妙子(こいさん)
 
 

ステッキ 寺田寅彦

 今日は、寺田寅彦の「ステッキ」を配信します。縦書き表示で、全文読めますよ。
 杖のさまざまな使われ方と、その社会背景について書いている随筆です。田舎の貧しい暮らしや、羊飼いが使う杖はどういった用途なのかとか、いろんなことを書いていました。「蛭を売る」という習慣があった村というのは、現代では聞いたことが無いように思って引き込まれました。調べてみると現代では、養殖の蛭をつかって血を吸わせて治療をするという医術があるんだそうです。
 百年前の近代都市でしか存在しなかった、ファッション要素としてのみ用いる若者のステッキというのは、これはもう現代ではどのような都市でも見られないものだろう、と思いました。百年前の若者は、人が溢れる埃まみれの東京都心で、ヒノキの剣みたいな武器代わりの杖を、持ち歩きたいという願望があったのでは、とか思いました。
   

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筧の話 梶井基次郎

 今日は、梶井基次郎の「筧の話」を配信します。縦書き表示で、全文読めますよ。
 梶井基次郎は「檸檬」がおすすめなんです。今回も代表作と似た構成で、「私」が散歩をしていて、その風景画を記しているんです。
 筧というのは、地べたより高いところにかけられた古い水道のことです。とにかく描写が静謐で、美しい風景が描かれます。本文こうです。
quomark03 - 筧の話 梶井基次郎
  香もなく花も貧しいのぎらんがそのところどころに生えているばかりで、杉の根方はどこも暗く湿っぽかった。そして筧といえばやはりあたりと一帯の古び朽ちたものをその間に横たえている……quomark end - 筧の話 梶井基次郎
 
 この描写で終わらずに、自己の感覚を描きだします。「澄みとおった水音にしばらく耳を傾けていると、聴覚と視覚との統一はすぐばらばらになってしまって、変な錯誤の感じとともに、いぶかしい魅惑が私の心を充たして来る」
 見えない水音が「私」を果てしなく魅了してゆく、そのあと筧から水が涸れ果てて、麻薬の切れた患者のように「暗鬱な」「絶望」にひたってゆく「私」が描きだされます。グレン・グールドの「フーガの技法」の演奏を彷彿とさせるような、蠱惑的な小説でした。
  

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学問のすすめ(11)福沢諭吉

 今日は、福沢諭吉の「学問のすすめ」その11を配信します。縦書き表示で、全文読めますよ。
 今回はまず、上意下達が必須なのはどういう条件か、というのを福沢諭吉が書いています。まだ自立が不可能な幼い子どもを、じっさいに育てている親なら、これは親が命じて、幼子が従うということがどうにも必要で、この親と子の関係を、権力のなかで無理に作ったものが、日本中世の上下関係である「名分」と専制だったというように記していました。
 権力者が人々を赤子と考えて命令するのは、礼を失している。
「政府と人民とはもと骨肉の縁あるにあらず、実に他人の付合いなり」という指摘が印象に残りました。
 親子関係を模した権力構造は、いっけん良さそうに思えても、じっさいには政治では通用しない。その例として、なにもかもくわしい旦那が商いをしていて、ほかの子どもみたいな扱いをされている番頭や手代が、命令に従っているだけで経営権がひとつも無い場合は、いくら大旦那の経営と考察が優れていても、子のほうはズルをして金を不正に奪うことしか頭が働かなくなる。これは人間が悪いというよりも、専制というシステムそのものが悪いとしか言いようがない。このズルをする人たちが、偽の君子となって、専制の世界で、不正な金を吸いこんで、盗みを働くようになる。専制が盛んなら、こういう偽の君子による不正は必ず起きる、ということなのでした。
 専制と忠義は日本の伝統で、義士が「身を棄てて君のために」はたらく、ということも歴史上、あるにはあったのだがその人数は驚くほど少なく、専制の組織は維持できない。
 では、どうしたら良いのかというと、名分を守るのではなくて職分をだいじにする。政府であれば、暴力の抑止と、富の適正な分配を上手く行うことが職分です。職分を忘れたらそれはもう「無法の騒動」に至るので、身分や立場のことは重んじず、自分の仕事を踏み外さずに、やりとげる。名分はひどい結果を生むけど、職分を重んじれば組織は栄える。次回に続きます。
  

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★ 『学問のすすめ』第一編(初編)から第一七編まで全文を通読する
 

悟浄出世 中島敦

 今日は、中島敦の「悟浄出世」を配信します。縦書き表示で、全文読めますよ。
『山月記』で有名な中島敦が、妖怪の沙悟浄を描いた小説です。なぜ人食いの妖仙である沙悟浄が三蔵法師の弟子になったのか、その前日譚のところが描かれています。
 悟浄は「九人の僧侶そうりょった罰で、それら九人の骸顱しゃれこうべが自分のくび周囲まわりについて離れな」くなり、悩みが高じて、哲学的な疑問を抱くようになった。妖怪でしかない沙悟浄が、この悩みを解決するために、黒卵道人こくらんどうじんや、沙虹隠士といった導師のもとを訪ね、死と苦と哲学についての教えを得るのでした。
 西洋でいうところのディオゲネスの思想にも似た不思議な議論と、師を求む旅が展開するのでした。妖怪から修行者へと転じてゆくさまが長々と記され、ついに三蔵法師に出会うのでした。本文こうです。「悟浄ごじょうは、はたして、大唐だいとう玄奘法師げんじょうほうし値遇ちぐうし奉り、その力で、水から出て人間となりかわることができた。そうして、勇敢にして天真爛漫てんしんらんまん聖天大聖せいてんたいせい孫悟空そんごくうや、怠惰たいだな楽天家、天蓬元帥てんぽうげんすい猪悟能ちょごのうとともに、新しい遍歴へんれきの途に上ることとなった。」
 冒険譚と哲学書が混交したような、なんだかすてきな本でした。
  

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(総ページ数/約10頁 ロード時間/約5秒)
 

母 芥川龍之介

 今日は、母の「芥川龍之介」を配信します。縦書き表示で、全文読めますよ。
  二十世紀の初頭に、日本人の2つの家族が上海に住んでいて、裕福な暮らしをしているはずなんですが、なぜか暗い気配がある。ふっくらと太った丈夫そうな赤んぼうを育てている隣家と比べて、顔色の悪い自分の赤ん坊のことが気になる母の物語なのでした。どういう話しか、分からない展開で、難読書かと思ったのですが、終盤に苦の正体が明らかになるのでした。不幸のあとの数日間の描写があって、この数頁の芥川龍之介の物語構築が印象深く、ふつうなら言葉にならない意識が記されていて、近代日本の純文学らしい作品だというように思いました。
 中盤と終盤に描かれるふくよかな赤ん坊は、無辜を象徴するような存在で、芥川龍之介の描いた「蜘蛛の糸」における「ある日の事でございます。御釈迦様おしゃかさまは極楽の蓮池はすいけのふちを、独りでぶらぶら御歩きになっていらっしゃいました。池の中に咲いているはすの花は、みんな玉のようにまっ白で、そのまん中にある金色きんいろずいからは、何とも云えないにおいが、絶間たえまなくあたりへあふれて居ります。極楽は丁度朝なのでございましょう。」というように描いた極楽と、この赤ん坊は近しい存在としてあるのでは、と思いました。
 放鳥、というこの小説が書かれた頃に日本から消えていった、文化のことが描かれるのでした。
 

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