清心庵 泉鏡花

 今日は、泉鏡花の「清心庵」を配信します。縦書き表示で、全文読めますよ。
 格調高い日本文学と言えばこの泉鏡花の名作群だと思うんですが、今回はとくに序盤の数頁が難読で、事情もなにもよく分からず、謎めいたまま、山奥の尼寺である清心庵でのできごとが描きだされます。松茸、しめじやまいたけや、あるいは赤赤とした毒蕈があたまにとれる、苔と露におおわれ尽くした山深いところにある尼寺に、謎めいている「うつくしい女衆」がひっそりとやって来ます。彼女たちは貴い人をのせるための空籠をかかえている。いったいなぜまた、こんな山奥に、空っぽの大きな籠をかついで、やって来たのか。その籠にはいったい誰が乗るのか……。
 尼寺にはおもに四人が暮らしています。山番をしているおじいさん。それから「摩耶」という名前の三十いくつの美女で「御新造さん」とも言われている富豪の奥さん。ほぼ未成年の十八歳くらいでまだ幼い少年である「お千ちゃん」。ご高齢の「尼様の、清心様」。この四人が登場人物で、「摩耶」を迎えに来た女衆がここに高貴な空籠を抱えてやって来ます。
 清心様のお寺での出来事なんですが、この尼様が、物語中はずっと不在なんです。どうして肝心なときに、ふっと出かけてしまったのか……。
 神秘的な山の物語で、茸の毒と、水の清涼さの対比が印象に残る物語でした。作家の中島敦が、泉鏡花の作品を絶賛するのも得心がゆく、文学作品でした。
 

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追記  ここからはネタバレなので、近日中に読み終える予定の方はご注意ください。じつは尼寺に、十歳なのか十八歳なのかよくわからないようなお千ちゃんという男がいる。尼寺にお邪魔していた「摩耶」という奥様をたぶらかして、このお千ちゃんと摩耶の男女が二人で、尼寺に長らく暮らしてしまっている、のではないかという妙な噂があることが中盤になって明らかになります。
 清心様はいったいなにを思って、この二人の男女を尼寺で二人きりで暮らさせてしまったのか。これには理由があって、お千ちゃんはじつは、九歳くらいの幼いころに、亡き母に連れられて、この清心庵を訪れているんです。とうじ母はたいそう困っていて、清心庵の尼様に悩みごとを相談しに来ていた。清心さまも心を込めてこの相談に乗っていたのですが、あまりに暗い打ち明け話につい怖気だってしまったのか、この母子の帰り際に、大きな声で「おお、寒寒しい」と言ってしまった。これを聞いて山路を帰っていった千ちゃんの母は、運悪く山奥で行き倒れとなってしまった。
 千ちゃんは、母の面影を求めて、十年経ってこの清心庵を再び訪れたのです。すると清心様は、こんどこそ無碍に追いはらうわけにもゆかない、この子の母を殺してしまったのは自分だろうということで、このかわいそうな千ちゃんを、母に似た「摩耶」という婦人と一緒に、尼寺に居させてあげて、そのまま尼様は尼寺からお出かけ遊ばされてしまったので、ありました。
 摩耶は、慈悲かあるいは母性によって、この千ちゃんを可愛がってしまって、食べさせてあげている。尼さんになるつもりもないのに、尼寺に住みついてしまった……。さいごの、高貴な空籠に人が居ないところと、女の美しい笑顔の描写、草叢、月明かり、夢のような女人の姿の美しさに戦慄をおぼえる、みごとな明治の文学でした。動画サイトに本作のAI音声朗読があって、これは読みすすめやすかったです。
ところで、摩耶というのは、ブッダの生母のことで、泉鏡花はこの摩耶夫人像をずっとたいせつにして信仰しつづけたそうです。

  

いのちの初夜 北条民雄

 今日は、北条民雄の「いのちの初夜」を配信します。縦書き表示で、全文読めますよ。
 子どものころに感動した本を、大人になってから再読するのは緊張するんですが、本作は読みやすい文体で構成された、児童文学としても愛読されうる作品に思いました。
 病者仲間の手にしている義眼の描写がみごとで魅入られました。北条民雄にとっての文学は、この義眼や松葉杖のような存在だったのでは、と思いました。序盤で自死と生と木々のことについて書くのですが、これは聖書の死生観の影響も色濃いのでは、と思ったのですが、作者の北条民雄はヨブ記を愛読していて、この物語との共通項があるように思いました。中盤から後半にかけて苦悶の描写が展開されて凄絶な心情が記されてゆき、そこから闘病記に閉塞せずに、いのちの詩と生命論に進んでゆくのがもの凄い作品に思いました。病の体験と、聖書のヨブの文学性が混交したような独特な文学でした。これは発表当時から文学界でも広く読まれた作品なんです。若いころに病で苦しんだ現実の記憶と、この本に描かれた文学上の記憶が、心中で入り混じってゆくという読書体験をした、1936年ごろの読者は多かったのでは、と思いました。 「いのちの初夜」という言葉は、師の川端康成に添削してもらってつけた題名なんだそうです。
  

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夢と人生 原民喜

 今日は、原民喜の「夢と人生」を配信します。縦書き表示で、全文読めますよ。
 原民喜は被爆後しばらくのあいだ東京に暮らしていました。若いころ千葉県立船橋中学校で英語の教師をしていて、そのころの平和な日々のことを歩きながら回想しています。原子爆弾と死について記して、この被害を受けなかった妻のことを繰り返し、夢の場面と重ね合わせて描きだしていました。美しい文体が印象に残りました。本文こうです。
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  急に湿気を含んだ風が草の葉を靡かすと、樹木の上を雲が走って、陽は翳って行った。すると光を喪った叢の翳にキリストの磔刑の図を見るような気がした。ふと、植物園の低い柵の向に麦畑のうねりや白い路が見えた。と、その黒い垣が忽ち僕を束縛している枠のようにおもえるのだった。quomark end - 夢と人生 原民喜
 
 今回、原民喜はボッティチェッリの「春」に描きだされた美しい顔と、自己の記憶に対する違和感について記しています。夏目漱石も「草枕」でモチーフとした「オフィーリア」の絵画世界も描きだされていました。

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妻 アントン・チェーホフ

 今日は、アントン・チェーホフの「妻」を配信します。縦書き表示で、全文読めますよ。
 近代ロシアにおいてもっとも有名な作家、チェーホフの文学作品を読んでみました。今回は、難民化した十数人の農民たちを描きだすことから物語がはじまります。「農民はこぞって農舎および全財産を売却し、トムスク県に移住したりしところ、目的地に到らずして戻って参りました」そうして難民化してしまった。
 チェーホフは本作で、いろんな人をとにかくくさすんですけれども、その教養ゆたかな嫌味の数々に、そこはかとないユーモアが含まれていて、読んでいて楽しいんです。
 主人公は、寄付をして支援している難民のことについて、ほとんど知らないんだということに思い至り「現におれは奴らを知りもせず、理解もせず、一度だって見たこともなく、愛してもいないじゃないか」というような疑問も抱く。妻が「陰謀を企ら」んでいるとまで考えはじめて「おれは旅に出なけりゃならん!」と言ったりする。ところがどうも人当たりは良いんですよ。
 あらゆることに批判的になっていて、妻にも支援対象者にも、ずいぶん辛辣な文句をつぶやきながら、えんえん善行を志す主人公というのが、おもしろかったです。
quomark03 - 妻 アントン・チェーホフ
   百姓の笑顔を眺め、大きな手袋をした男の子を眺め、農舎を眺め、自分の妻のことを思い出しながら、今やっと私は、この人に打ち勝つようなそんな困窮はないことをさとるのだった。空気の中にもう勝利の気が漂っているような気がし、私は誇らしい気持になって、私も彼らの仲間だぞと叫ぼうとした。しかし……(略)……
 私は私の想念とともに一人ぼっちになった。社会事業を成し遂げた何百万の人の群から、人生の手が私を、無用で無能な悪人として弾き出したのだ。私は邪魔者だ、民衆の困窮の一分子だ、私は闘いに負け、弾き出されて、停車場へ急ぐのだ。ここを発ってペテルブルグの、ボリシャーヤ・モルスカーヤ街のホテルに身を隠すため。
…………quomark end - 妻 アントン・チェーホフ
 
 このさきの終盤の展開が、すてきでした。
 

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筧の話 梶井基次郎

 今日は、梶井基次郎の「筧の話」を配信します。縦書き表示で、全文読めますよ。
 梶井基次郎は「檸檬」がおすすめなんです。今回も代表作と似た構成で、「私」が散歩をしていて、その風景画を記しているんです。
 筧というのは、地べたより高いところにかけられた古い水道のことです。とにかく描写が静謐で、美しい風景が描かれます。本文こうです。
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  香もなく花も貧しいのぎらんがそのところどころに生えているばかりで、杉の根方はどこも暗く湿っぽかった。そして筧といえばやはりあたりと一帯の古び朽ちたものをその間に横たえている……quomark end - 筧の話 梶井基次郎
 
 この描写で終わらずに、自己の感覚を描きだします。「澄みとおった水音にしばらく耳を傾けていると、聴覚と視覚との統一はすぐばらばらになってしまって、変な錯誤の感じとともに、いぶかしい魅惑が私の心を充たして来る」
 見えない水音が「私」を果てしなく魅了してゆく、そのあと筧から水が涸れ果てて、麻薬の切れた患者のように「暗鬱な」「絶望」にひたってゆく「私」が描きだされます。グレン・グールドの「フーガの技法」の演奏を彷彿とさせるような、蠱惑的な小説でした。
  

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文芸的な、余りに文芸的な 芥川龍之介

 今日は、芥川龍之介の「文芸的な、余りに文芸的な」を配信します。縦書き表示で、全文読めますよ。
 これは谷崎と芥川の有名な文学論争で、芥川はまずこう書いています。
「話の奇抜であるか奇抜でないかと云ふことは評価の埒外にあるはずである」
 谷崎といえば、与謝野晶子訳があるにもかかわらず、源氏物語の現代語訳を1938年ごろから晩年の1965年にかけて三回も作っていることで有名だと思うんですが、今回の議論で、芥川はこう告げています。
quomark03 - 文芸的な、余りに文芸的な 芥川龍之介
 僕は決して谷崎氏のやうに我々東海の孤島の民に「構成する力」のないのを悲しんでゐない。quomark end - 文芸的な、余りに文芸的な 芥川龍之介
 
「入り組んだ筋を幾何学的に組み立てる才能」は「源氏物語」のころから盤石で日本作家は「かう云ふ才能を持ち合せてゐる」というように芥川は、指摘しています。谷崎はこれにどうも影響を受けて、十数年後の1938年ごろに源氏物語訳をはじめて、谷崎はこの源氏物語の翻訳を一生の仕事にすることに、したのでは、というように自分には思えました。
 序盤で志賀直哉論が記されているんですが、氏の思想の「清潔さ」に重きを置いて論じているのが印象的でした。芥川と谷崎の論争は、おそらく志賀直哉氏が持っている道徳的な清潔さに欠けている創作の箇所に、両者の文学上の問題意識があったのではと、思います。
 ほかにも漱石や北原白秋や啄木や正宗白鳥や芭蕉や、ゲーテやシェイクスピアやトルストイ、神曲や近松、ランボーやヴィヨンなど、近代の代表的な文学性についてさまざまに論じているので、近代文芸の全体像が見えてくる、すてきな評論に思いました。本論の主な論旨は本文にこう書いていました。
quomark03 - 文芸的な、余りに文芸的な 芥川龍之介
  僕は何度も繰り返して言ふやうに「筋のない小説」ばかり書けと言つてゐるわけではない。従つて何も谷崎潤一郎氏と対蹠点に立つてゐる訣ではない。唯かう云ふ小説の価値も認めて貰ひたいと言つてゐるのである。quomark end - 文芸的な、余りに文芸的な 芥川龍之介
  
 中盤で中国文化を模倣すること、西洋人が日本の美術を模倣すること、創作における模倣と昇華について論じています。文芸における、代作と師弟にかんしてちょっと書いているんですが、そういえば哲学者のソクラテスや老子は、弟子によって公式に書かれた思想書なので、文学に代作者が居てもなんの不思議も無いはずだ、と思いました。遠野物語などの、聞き書きの文学はいわば代作の芸術に近いところがあるのでは、と思いました。終盤では、ギリシャ芸術に関する、憧憬と不可思議さについて書いています。
中盤65%あたりから、谷崎潤一郎と源氏物語のことを記していて、やはりこの本の文芸的思索も手伝って、谷崎は1938年ごろから1965年にかけて、繰り返し源氏物語を翻訳するようになったんだろうと、思いました。芥川が小説論を盛んに論じながら「詩人」という言葉に深い思い入れのあることが印象に残りました。本文こうです。
quomark03 - 文芸的な、余りに文芸的な 芥川龍之介
  僕の作品を作つてゐるのは僕自身の人格を完成する為に作つてゐるのではない。いはんや現世の社会組織を一新する為に作つてゐるのではない。唯僕の中の詩人を完成する為に作つてゐるのである。quomark end - 文芸的な、余りに文芸的な 芥川龍之介
  
 終盤では、森鴎外と批評、それから新感覚派や横光利一について書いていました。

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追記  文学上の不思議な話をいくつも書いていて、とくにトルストイとヒステリイについての挿話が興味深かったです。
ほかにも、書かれた作品が古典として残るには「アナトオル・フランスの言つたやうに後代へ飛んで行く為には身軽であることを条件としてゐる。すると古典と呼ばれるものは或はどう云ふ人々にも容易に読み通し易いものかも知れない」というのもすてきな考察に思いました。それから以下の寸評が、芥川の文学創作に於いて重要な記載に思いました。
quomark03 - 文芸的な、余りに文芸的な 芥川龍之介
  僕は義理にも芸術上の叛逆に賛成したいと思ふ一人である。が、事実上叛逆者は決して珍らしいものではない。或は前人の蹤を追つたものよりも遙かに多いことであらう。彼等は成程叛逆した。しかし何に叛逆するかをはつきりと感じてゐなかつた。大抵彼等の叛逆は前人よりも前人の追従者に対する叛逆である。quomark end - 文芸的な、余りに文芸的な 芥川龍之介 
 最後は、ゲーテの偉大な芸術を前にして、去勢された自己を認識せざるを得なかったハイネの文芸論で締めくくっていました。