女王 野口雨情

 今日は、野口雨情の「女王」を配信します。縦書き表示で、全文読めますよ。
 トムちゃんという小学生の女の子と、そのお母さまである先生の、物語でした。
「トムちやんのお母さまが学校に勤めるやうに」なります。この葛原先生が「愛の歌」という「村人の心を和げ」また慰める歌を作ります。この歌詞が記されてゆき……。

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追記 
 お母さまが学校を休むようになったので、祭りの日にはいつも花のかんむりをかぶって「女王」になるトムちゃんの家に、小学生のみんなでお見舞いに行くのでした。
 お母さまは病気の療養中で、トムちゃんはこの看病をするので、祭りの日の「女王」は「しげのさん」にお任せすると、トムちゃんは言うのでした。
 すてきな村の、心やさしい幼子たちの物語でした。

残された日 小川未明

 今日は、小川未明の「残された日」を配信します。縦書き表示で、全文読めますよ。
 「残された」というのは「居残りさせられた」という意味なんですが、これは小学校低学年だけのために書かれた児童文学です。出来ない算数の計算をやらされて、出来ないだけなのにサボっていると誤解されて怒られる、長吉少年の物語でした。やたらと考え込んでしまって、勉強したり遊んだりすることが出来なくなってしまって、考えの迷路の中に迷ってしまってどうにもならない幼子の、その道のりを辿る物語でした。すずめに話しかけたり、すずめに願いごとをしたり、すずめの生き方をうらやましいと思ったり…………。
 

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追記  ……すずめの生き方をうらやましいと思ったり、最後には、すずめは言葉も分からないからべつに偉くないのだ、と思ったりする長吉少年を描きだす、短編でした。
 「偉い」という言葉が奇妙に使われているのが印象に残りました。おそらく、少し前の時代の、宮沢賢治の「どんぐりと山猫」で述べられた「えらいのだ」というのを連想しつつ書かれた童話なのではと、思いました。

 

初恋 矢崎嵯峨の舎

 今日は、矢崎嵯峨やざきさがの「初恋」を配信します。縦書き表示で、全文読めますよ。
「コロ」という猫を愛撫する「お雪」の姿が印象に残る、嵯峨の屋おむろ(本名は矢崎鎮四郎)氏の近代小説でした。
 折り紙が上手な「お雪」が年下の少年である「自分」に、折り鶴を教えてあげるのですが、ちょっとまちがえると、少年の手をしたたかに打ってあやまりを指摘しているという描写がなんだか、躾の厳しい家に育っていて、まだ幼さの残る男女のリアルな人間像に思いました。大好きな「お姉さま」のお雪が、関東へと帰ってゆくのが悲しくて泣いてしまう少年の姿が描かれていました。
 そういえば子供のころは、別れることが新しい暮らしの始まりだ、という感覚が無くて、別れることが永劫の離別のようなものに思えて悲しかったなというのを思いだす、幼いころの記憶を辿る物語でした。
 

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追記  娘がくれた3つの折り紙を大切に持っていて「いまだに遺身として秘蔵している」という記載がありました……。

昇降場 広津柳浪

 今日は、広津柳浪の「昇降場」を配信します。縦書き表示で、全文読めますよ。
 文久元年に生まれて1928年に67歳で没した広津柳浪の軍記作品を読んでみました。
 汽車にのって出征する軍人を見送る、停車場の女たちを描いた作品でした。そういえば漱石の草枕(1906年)の終盤でも、こういう停車場の場面が唐突に挿入されていると思ったんですが、この広津柳浪の昇降場のほうが1年くらい早く書かれていたようです。この数年前に日露戦争があって、鴎外や漱石のみならず、日本の多くの文人がこの状況を見ていたのでは、と思いました。

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追記  「貴方は死んで呉れちゃいやですよ。決して死ぬんじゃありませんよ」という妹に対して『もう可い、何も云わない方が可い』と述べる軍人が描写されていました。戦時中の不和と暗さが描かれる終盤の記述がありました。

二黒の巳 平出修

 今日は、平出修の「二黒の巳」を配信します。縦書き表示で、全文読めますよ。
 品川の花街にある「桔梗」というお茶屋で働く「お糸」さんという女性と芸者たちと、「私」や「種田君」や友人との交流を描きだした、明治末期の小説です。
 大きな病にかかったり、なんども離縁したり貧乏になったりで先行きの見えない、お茶屋あそびにかかわる男女の様相が描きだされます。
 お糸さんと藤浪君の2人は同い年で、なにか縁がありそうなのですが、どうも現実には平行線なままの二人の、人生の岐路にたった真面目な話が、なんだか印象に残りました。
 

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書道と茶道 北大路魯山人

 今日は、北大路魯山人の「書道と茶道」を配信します。縦書き表示で、全文読めますよ。
 陶芸と料理を極めた魯山人が、茶人のことを論じています。抹茶を入れる技術のことを「点茶」と言うのですが、茶道はもっと広く礼法や茶室など全体をかまえるところまでやっている、という話しから、宗和の号で知られる金森重近や、尾形光琳の落款について論じていました。
 尾形光琳の「燕子花図」の絵画の右下部分に「法橋光琳」という四文字の落款が入っているのですが、この文字の入れかたの美的なところを論じています。魯山人や多くの茶人は、こういう国宝になるような風雅な仕事を理想としていたのでは、と思いました。
 魯山人は、どうも上手く創作が出来ていない人の特徴を捉えていて「技巧で飾る」ことになってしまっていて「実質以上になんかうまく見せるようなふうの癖が誰にでもついて」しまっているのが良くない、という指摘でした。尾形光琳の絵や文字は、そういう迷走から抜けだしているのだ、というように思いました。
 

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追記 今回、論じられていた「法橋光琳」という文字に関しては、じつは「法橋」はのちの時代の誰かが書き加えた可能性があるそうです……。