細雪(1) 谷崎潤一郎

 今日は、谷崎潤一郎の「細雪」その1を配信します。縦書き表示で、全文読めますよ。
 今回から百回くらいかけて谷崎の細雪を読んでゆこうと思います。ぼくは「陰翳礼賛」と「痴人の愛」と「卍」は読んだんですが、これははじめて読むのでとても楽しみです。この小説は上巻中巻下巻の3冊あります。今回は全巻を通読してゆけるようにまとめてみました。
 ぜんぶで百章ちょっとあってぼくはまだ第一章しか読めていません。鶴子・幸子・雪子・妙子の4姉妹の物語だそうです。悦ちゃんというのは幸子の娘です。
 4姉妹のおもな呼び名や属性は、鶴子(長女)・幸子(娘は悦ちゃん)・雪子(きやんちゃん)・妙子(こいさん)というようになっています。三女の雪子がどのようなひとと結婚をするのか、というのから物語が始まります。
「なあ、こいさん、雪子ちゃんの話、又一つあるねんで」
 ということで、どういう結婚がありえるのか、4姉妹でいろいろ話してゆくようなんです。近い未来について何度もはなす、いろいろうわさをする、そういうところも話しとして展開してゆくようです。
 これは1936年からの約5年間を描いた作品で、当時の物価は1円でいまの1000円くらいの貨幣価値がありました。
 そういえば文豪ゲーテは色彩論や美学論を記しています。谷崎の「陰翳礼賛」は日本の美学を読み説いた随筆で、本作でも谷崎潤一郎の美のまなざしを堪能できるのでは、と思います。
 一番年下の妙子(こいさん)というのがヤンチャで大人ぶっていてなんだか魅力的です。
 作中のほとんどが関西弁なんですけど、谷崎潤一郎はじつは関西弁は話さなかったそうです。それなのにこんなにきれいな関西弁を書けるというのがすごいと思います。
 会社員のしっかりした稼ぎの男が見合い相手らしいのですが、フランス系の会社に勤めているので、結婚したらフランス語を教えてもらえるかも、ということを話しています。
 最初のほうからビタミンBの注射をする、という奇妙な話が出てきます。医者の手を借りずに、姉妹同士でこの美容法をやっている。現代ではビタミンのサプリメントを飲みたがる人がいて、そういうイメージなのかと思いますが、血も針もでてくるのでなんだか、秘蔵の美容法みたいで謎めいています。注射ごっこではなく、ほんとに姉妹で注射をしている……。次回に続きます。全三巻の全文をいっきょに通読することもできますので、好きなところを読んでみてください。
 

0000 - 細雪(1) 谷崎潤一郎

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「細雪」の上中下巻、全巻を読む。(原稿用紙換算1683枚)
谷崎潤一郎『卍』を全文読む。 『陰翳礼賛』を読む。

死せる魂 ゴーゴリ(11)

 今日は、ニコライ・ゴーゴリの「死せる魂」第10章を配信します。縦書き表示で、全文読めますよ。
 今回は最終章について書きますので、本作を近日中に読み終える予定のかたは、先に名作の本文だけを読んでみてください。
 ついにこの物語の最終章になりました。チチコフはもう、詐欺の活動が行き詰まったので、ぜんぜんちがうところに逃げていってしまおうと考えます。ところが「何一つチチコフが予想したようにはゆかなかった」のでした。
 ついに、ゴーゴリは、チチコフの正体を、最終章で描くんです。作中には「実のところ作者は、こうして、ようやく自分の主人公の身の上話をする機会が得られて寧ろ嬉しいのである」と書きはじめます。彼チチコフの少年時代が、悪党の幼年期のように哀れに語られてゆくのです。「少年時代にも、彼には友達もなければ遊び仲間もなかった」そうして「支金庫の役人」になり「最後に税関吏の職にありついた」このころに、2人の役人だけで、密輸団とひそかに結託して、とほうもない悪事を行って大金を不正に稼ぎ出し、逮捕されて財産のほとんどを没収された、というのがこの小説が始まる何年か前に起きていた、この最終章まで隠され続けていた大事件なのでした。
 この物語の謎である、なぜチチコフが400人もの死せる農奴を買い取ったのか、その真相はこうなんです。むりやり一言でいうのなら、ロシア帝国の国庫という、いわば国の大金庫から、大金を詐欺で奪い去ってしまうため、やみくもに農奴の名簿を集めたのでした。死んだ農奴を生きている農奴に見せかけて、国庫から莫大な大金を借りてだまし取って逃げ去る、これがチチコフの狙いでした。特殊詐欺の大盗賊と言えば、想像しやすいと思います。彼は大事件を起こしてから、その地を去って、新天地で幸福に生きようと、いうのが記されざる狙いであったようです。帝国から重大なものを盗むのなら、もう新天地以外では生きられないかと思います。ちょうどドストエフスキーの「カラマーゾフの兄弟」におけるミーチャのアメリカ亡命計画のようなものを、引きおこすのではないでしょうか。作中の記載から言っておそらく、大金を手中に入れてフランスかイタリアで生きはじめて、そこで妻子をもうけたいのだと思います……。
 ゴーゴリが詐欺師について批判を行っている箇所は、こうでした。
quomark03 - 死せる魂 ゴーゴリ(11)
 やたらに取込むこと——これがすべての悪因となり、そこからして、世間で余りかんばしく言わないようなことも仕でかされるのである。quomark end - 死せる魂 ゴーゴリ(11)
 
またゴーゴリはこの物語の終盤でこう告げています。
quomark03 - 死せる魂 ゴーゴリ(11)
 どんな性格をも軽蔑することなく、じっとそれに観察眼をそそいで、裏の裏までそれを吟味検討することの出来る人は賢明である。quomark end - 死せる魂 ゴーゴリ(11)
 
 彼は蒐集したものごとを、莫大な裏金を稼ぐためにのみ費やして、あらゆる混乱を生んだわけです。ちょっとうっかりしているだけで、こういう悪は生じうる、とゴーゴリは警告します。このあたりの箴言は興味深いものでした。大詐欺師チチコフをのせた馬車は、誰も知らぬ大地へとかけてゆきます。本文こうです。
quomark03 - 死せる魂 ゴーゴリ(11)
  ああ、ロシアよ、お前もあの、どうしても追いつくことの出来ない三頭馬車トロイカのように、ずんずん走って行くのではないか? quomark end - 死せる魂 ゴーゴリ(11)
 
 ぼくには最後の文章が、90年後に起きたホロドモールのような事態を予見していたところがあるように思いました。ゴーゴリの物語を読んでいると、小さな詐欺の積み重ねというのが誰も望まない不幸をまねきうるのでは、というように思えました。
 ところでゴーゴリはたいへん有名な作家で、あの『外套』をみごとに描ききった作者ですから、ぼくはてっきり、ダンテ『神曲 三部作』やゲーテの『ファウスト』みたいに劇的に完結するもんだと思いこんでいたんですけど、これあきらかに完結していないんですよ。カフカの『城』とか、日本の大菩薩峠とか、漱石の『明暗』とかと同じで、完結できてないんです。第一部完、のはずなのに、ダンテ『新曲 地獄篇』のようには完結していません。広げた風呂敷が広がりっぱなしのまま終わるんです。
 こんな魅力的な文学を作っておいて、完結させないとはいったい何ごとなんだと思いました。
 ゴーゴリは、この『死せる魂』というのを、ダンテの『神曲 地獄篇』になぞらえて書いたものだから、『神曲 煉獄篇』をこのあと書くんだ、という意気込みがあったんです。読んだかたならご存じだと思うんですが、この二者の作家には決定的な違いがあるんです。ダンテの主人公は、正義のまなざしを持っていて、神の恩恵を受けた旅人みたいになってどんどん超然としていって最後のほうは完全に読者をも置き去りにしてゆくんですが、ゴーゴリのはもうまったく違うんです。主人公は人間的な失敗を繰り返し、どんどん致命的な状況を積み重ねて行き詰まっていきました。
 ゴーゴリ「死せる魂」の主人公はもはや100%の詐欺師で、正義心をなぜだかちっとも持ち合わせていないし不信心だし信じるものを持ちあわせていないんです。ただただ大量の死人を買い漁っていっただけです。さもしい権力者とそっくりなことをした、無名の貴族という感じで終わってしまいました。
 ダンテの地獄篇では、最下層へゆくほど、深い罪が記されていったんですけど、そうとうの深部の第八圏の第十嚢にこそ『虚偽や偽造の詐欺師』が位置づけられているんです。暴力者よりもじつは詐欺師のほうが罪が重いようにダンテは捉えているのでは、と思ったんです。
 ダンテ神曲では深奥にゆくほど「かつては聖人や知者や哲人のような存在でもあった人の罪」があきらかにされていって、最後の最後は人類最大の罪人とされる、キリストを裏切ったユダこそが最深部に居て、読者はこの究極の裁きを、まのあたりにしたわけです。
 いっぽうで本作チチコフは、買えないはずの死者の鬼籍を大量に集めることには成功しました。チチコフはいったいなにをしたかったのか、と思いました。なにを目的にして進んでいるのか、もはやまったく意味不明になってしまいました。
 チチコフは100%の軽度詐欺師だというのは第一章の最初から記されていたことです。じつは裏側ではもっと致命的な詐欺をしているのでは、ということを疑いながら読んでいったわけですけれども、詐欺の方針で物事を進めてゆくと、全体はこのように崩れ去ってゆくのだ、というのをまのあたりにしたように思いました。チチコフは目に見える悪人では無いんです。いっけん礼儀正しくて賢い人に見え、場面によっては人間的に見えます。彼の唯一の親友マニーロフから見れば、チチコフはほんとに悪気のなくて明るい、なんとも良いヤツなんです。
 ぼくは、このゴーゴリの『死せる魂』を読んでいる途中で、あの愛の画家シャガールが愛してやまなかった物語世界こそがこのゴーゴリ『死せる魂』だと知って、まさかゴーゴリが人類最大の悪について本作で描こうとしているとは夢にも思わなくなっていたんです。
 けれども、周辺情報や本作を読みすすめてゆくうちに、これはダンテ『神曲 地獄篇』の終盤と同じく、人類最大の悪のありさまを、見せてやろうというのが、ゴーゴリの最大の狙いだったのではと思うようになったんです。それで思ったのは、もしダンテ『神曲 地獄篇』で裁かれていたあのユダが、キリストを裏切らなかった場合、あるいは裏切る寸前までのユダを観察していて、このイスカリオテのユダこそが人類最大の悪を成すのだとは誰一人、気がつかないはずだと思ったんです。ユダは会計で軽い詐欺行為をしてはいます。けれどもたいした悪人には思えないですよ。そこはチチコフに似ています。いかにも粗暴で暴言だらけでつねに暴力に塗れている人だったら、パッと見て分かるんですけど。ユダを見て、この数千年間でいちばん悪いヤツはコイツだ、と分かる人はまあ居ないはずなんです。使徒で聖人で、よい活動に参画していて、罪を悔いたりもする。もっとも罪深い人間とは思えない。しかし聖書でも、ダンテの本でも、ユダがもっとも罪深いことになっています。ゴーゴリはこの『地獄篇』のことをそうとう意識して描いていたわけで……ユダにも似た、罪深さの深奥にいる中心人物として、本作のチチコフはずっと描かれてきた、ということなんだと思いました。
「チチコフはじつは、ふざけているユダなんだ」という仮説をもとにして読むと、なかなかおもしろいんです。「やれやれ、助かった!」「チチコフはそう思って、十字を切ったものだ」という記載も、裏切り者のユダが、十字架にかけられたキリストを安易に扱っている、その不信心なところに納得がゆくわけです。19世紀の逃走中のユダが、葬列をつくる役人たちから隠れようとするすがたも、興味深かったです。
 チチコフは詐欺師です。けれども努力しているし目標があるように見えました。詐欺師は「判断させない・検証させない・ほかの可能性を探究させない」という方針があります。他人の「検討」をどんどん壊すように動いてゆきます。チチコフは探究心がすごくて、とにかく目標達成のために村人たちの方針を探って研究熱心でした。チチコフ本人はけっこう文化的な教養を持っているヤツだと言えると思います。しかしチチコフは他人に研究心を起こさせようというような、持続的活動の方針は最後の最後まで現れませんでした。チチコフは殺人者や排外思想家とちがって、直接的にはなんの害ももたらさないんです。ですから、詐欺師なのかどうかの判別がしにくい、中間的でグレーゾーンの男でした。
 ゴーゴリの作品は、19世紀ロシアへの探究心を起こさせたり「あれ? この主人公の行動はいったいどういうこと?」と思わせて読者が検証をはじめるわけで、これが伝統的な名作の作用だと思うんです。チチコフは不思議なグレーゾーンの男なので、詐欺っぽいものと文化っぽいものの両面が生じているように思います。
 あの愛の画家シャガールが好んでユーモラスに描いたのが、このチチコフでもあるわけです。じつに不思議なことだと思います。
 ダンテ神曲みたいに、ユダを罰する魔王の背中をよじ登って世界が反転し、地獄の最奥から地上へいっきょに抜け出せる、というような大団円が訪れていない……という謎も感じました。チチコフがやったことは存在しない鬼籍を買い漁り続けただけで、ほんとに主人公が失敗に失敗を上塗りして、右往左往しているんです。作者がこれにどうも引きずられてしまったのでは、というように思いました。頓挫するべくして頓挫した物語のように思えます。
 ダンテの場合は、悪に対する怒りと裁きと告発というのを地獄の奥底へと進みながら『神曲 地獄篇』で描いていたと思うんですが、ゴーゴリの場合は、愛すべき農村世界の中で生じ続ける不正と不合理と不幸を主人公チチコフみずからが巻き起こし続けるという展開だったように思います。チチコフは盛大に行き詰まりました。この物語内部の作用が、作者にも影響を与えてしまって、悪から脱する長い道のりを描く『神曲 煉獄篇』を超克する物語を、ゴーゴリは書ききることができなくなってしまったのでは、と思いました。
 ゴーゴリは、作中のほとんどで、牧歌的な農村に生きる人々と、さまざまな失態を生み出すユーモラスな人間性を描くことに費やしました。
 そこが権力志向のダンテと、そうとうちがうように思います。ダンテ神曲では生活をいっさい描いておらず、失われた権力を思い、理想の権力体系を描きだし、唯一神に邂逅するための高みへ登る旅路を描ききりました。3部構成の3回もの大団円が衝撃的でした。
 いっぽうでゴーゴリの『死せる魂』は、あらゆる農村の人間的な生活と、地主という名の働かざる者たちの哀れな人間関係と、奴隷制度が終わりを告げつつある時代のさもしい権力者たちを描き続けた作品でした。しかしまさか、国家に対する最大の詐欺がこれからどうなるのか、その顛末もろくに記されずに、この複雑怪奇な詐欺師の物語が幕を閉じるとは想定外でした。
 チチコフが目に見えて「あっこいつは悪いヤツだ」と見えてくる場面がありました。前半30%の第三章で……とつぜん激怒したチチコフの発言はこうでした。
quomark03 - 死せる魂 ゴーゴリ(11)
 私はね、ただキリスト教徒としての博愛心から、あんたのためを思って言い出したまでのことさ。可哀想な寡婦ごけさんが胸も潰れる思いをしながら、貧苦にあえいでいる有様を見かねてさ……。えい、もう構うこっちゃない、とっととくたばってしまうがいい、お前さんの持村むらも一緒に滅びてしまうがいいんだquomark end - 死せる魂 ゴーゴリ(11)
 
 チチコフはいっさいキリスト教を信仰してないですよ、ここでも大ウソを言っているんです。チチコフはしっかり悪人なんです。ゴーゴリは本作で脇役のセリフとして「どいつもこいつもキリストを売る奴ばかりでな」というように記していて、ユダはあらゆるところに存在しうる、ということをほのめかし、さらに第十章では「チチコフはじつはナポレオンなのかもしれない」というような珍説もユーモラスに描きました。これによって「チチコフはじつはユダなのだ。死せる魂たちというのはじつはダンテ神曲の地獄や天堂と相似形なのだ」という読解を可能にするように書いているんです。ダンテはユダを地獄の最奥で容赦なく罰しつづけました。魔王に永劫にかみ砕かれつづけるユダを反転させ、人間的な存在に引き戻していったのが、まさにあの『外套』を描いたゴーゴリなんだと思います。
 どうしたってイスカリオテのユダを愛すべき人間としては描けないわけですが、チチコフは愛すべき哀れさを持ち備えているんです。
 ゴーゴリは1841年ごろに『死せる魂』第一部最終章を書きおえているんです。その約25年後(1867年ごろ)イタリアの偉大な作家ダンテに憧れてギュスターブドレがこの『神曲』のこの絵を描いているんです。
 この絵に描かれる『神曲』の壮大な魂たちの一群。詐欺師チチコフの抱えていた妄想は、おそらくこういう感じだったと思うんです。「死せる魂がいっぱいだ!」というかんじ。チチコフはこういう新世界を思い描いていたはずなんです。チチコフはじっさいには混乱と狂騒と不和以外はなにも生じさせなかったんですけれども。ぼくはどうしてチチコフがこんなに苦労して夢中になって、死せる魂を集めつづけたのか。いちおう表面上の目的は手に入るはずのない国庫の大金なのですが、その真相はようするに、このギュスターブドレの絵を見て「うわーすごい!」と思ったのとほとんどまったく同じ気持ちだけで、チチコフは動き続けたんじゃないか、と思ったんです。画家ギュスターブドレが、チチコフに関する謎について、もうぜんぶの答えを描いていた、というふうに思います。言語化するなら「どうして400もの蝶蝶を集めたんですか」と言われて「だって蝶蝶がすごかったから」という理由しかないのとほとんどまったく同じ理由で、チチコフはこの大長編の旅路で400人もの死んだ農奴のリストを作り上げてしまったんだと思います。
 そのチチコフの活動に「たましい」とか「奴隷制度問題」とか「税制の不備」とか「政治上の不正」とか、その他いろんな意味を見出してしまったのが、チチコフに疑問を抱いた人々なのでは、と思いました。
 ぼくは第9章あたりまでは、作者ゴーゴリは『神曲』を下敷きにこの『死せる魂』を描いたんだとロシアの評論家が書いているのに、いったいこの本のどこがダンテ『神曲 地獄篇』なんだ? とずっと思っていたんですが、ついに終盤に差しかかって、きゅうに物語全体が、ダンテ『神曲 地獄篇』と対を成す作品として立ち現れてきた、と思ったんです。
 今回、読んでいていちばん気になったのは、ゴーゴリの恩師で十歳年上のプーシキンのことです。ゴーゴリが当時いちばん考えていた「死せる魂」というのはおそらくこの恩師プーシキンのことのはずなんです。それはwikipediaに、このように記されています。
quomark03 - 死せる魂 ゴーゴリ(11)
 彼は叙事詩、ロシア版のダンテ『神曲』を作り出すつもりだった。しかし、アレクサンドル・プーシキンの死が伝えられるとショックを受けて何も書けなくなり、イタリアに移ってから少しずつ執筆を再開した。quomark end - 死せる魂 ゴーゴリ(11)
 
 ロシア生まれの偉大な詩人プーシキンは黒人兵士のひ孫さんなんです。恩師には黒人奴隷の血が入っているんです。このことをゴーゴリはずいぶん考えたと思うんです。wikiにはプーシキンは『ピョートル1世に寵愛された黒人奴隷上がりのエリート軍人』のひ孫である、と書いています。ダンテが政治家連中から政治人生を滅ぼされてしまってから「神曲」を作ったように、文学の恩師プーシキンが奸計によって滅ぼされてしまった。wikiにはこう書いています。
quomark03 - 死せる魂 ゴーゴリ(11)
  プーシキンの進歩思想を嫌った宮廷貴族達は、フランス人のジョルジュ・ダンテスをたきつけ、ナターリアに言い寄らせる。やがて、プーシキンは妻に執拗に言い寄るダンテスに決闘を挑み、1837年1月27日、サンクトペテルブルク北郊のチョールナヤ・レチカで決闘を行った。この決闘で受けた傷がもとで、その2日後に息を引き取った。37歳没。政治的な騒動を恐れた政府は、親しい者だけを集めて密かに葬儀を執り行った。quomark end - 死せる魂 ゴーゴリ(11)
 
 このことを、ゴーゴリは本作でずっと「奴隷ってなんなんだ」「死せる魂ってなんだ」ということを考えながら書いていったと思うんです。いったいなにが悪いからこうなったんだろう、と考えて、ダンテが書いたように地獄の最奥にいる詐欺師たちの悪が、立ち現れてきたんだと思います。
 『死せる魂』発表の約20年後の1860年あたりに、ゴーゴリのふるさとでは「農奴解放令」が発令されます
 
 ゴーゴリは20年後あるいは100年後あるいは現代の、ロシアとウクライナの、進歩と哀惜をみごとに捉えていたように思うんです。
 シャガールが愛したのが、このゴーゴリの『死せる魂』という芸術なんです……。愛だけを描き続けたシャガールが描いたのは、地獄篇ではなくこの『死せる魂』なのでした。

0000 - 死せる魂 ゴーゴリ(11)

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追記
またいつか、ゴーゴリが、古いウクライナの民話を集めておもしろく書いていった「ディカーニカ近郷夜話」も、数年後にでも読んでいってみようと思います。

死せる魂 ゴーゴリ(10)

 今日は、ニコライ・ゴーゴリの「死せる魂」第10章を配信します。縦書き表示で、全文読めますよ。
 役人たちは、不安と焦燥でゲッソリ痩せ細った顔になった、というんです。原因は「新らしい地方総督」がやって来たというのと、チチコフが手に入れた、死せる農奴たちの400人もの名簿の存在、この2つでどうも、混乱してしまっているんです。
 こんかい、嘘つきのノズドュリョフというのがクローズアップされるんです。死せる魂を400も買い取ったチチコフにかんして「偽札造りの詐欺師」だとか「知事の娘を誘拐するつもりだ」とか「役人の不正を暴く審査官なのだ」とか、いろんな噂がさかんに生じて、お役人たちがみんな混乱してしまい、いちばん信用の出来ない相手ノズドュリョフに相談をしてしまいます。粗暴なノズドュリョフはこの小説では150回ほど記載されていて、いちばんはじめ前半2%あたりの第一章で、この男がギャンブルに興じているところが描かれていて、ここで人生ではじめて出逢ったことになっているんです。ところがこの終盤でノズドュリョフは、チチコフとは幼なじみだとかいうウソを平然と言います。前半40%の第4章ではノズドュリョフが第二の主人公というかチチコフの敵対者としてさかんに描かれています。その延長戦が今回、行われたわけです。
 あまたのウソの中から立ち現れてくる世界の様相というのの描写がみごとでした。新しい地方総督がやって来るという政治的変節のある時期に、チチコフが現出させたあまたの死人の鬼籍が存在すると、それが謎めいて見えてしまい、自分の仕事と関連付けて考えてしまうんです。自分の不誠実さが原因で、死んだ人たちが怒っているかもしれない、という不安があるんです。これまで「死んだ農奴たち」という意味で記されてきた「死せる魂」のほんらいの意味が立ち現れてきたように思います。死者はいったい、どう思っているのか……。
 それから、この第10章の終盤にもなって、新しい作中作が描きだされるんです。物語の中に描かれる、ちいさな物語です。ナポレオンのニセ伝記というのも語られ続けて、これが魅力的でした。片手片足を失った傷痍軍人がふるさとに帰ってきたら、暮らしてゆくだけの生活の手立てが無くなってしまっていた。実家はもう破産してしまっていた。現代では目に見える問題を抱えている人なら、国家から生活費をもらえるわけで、生存権という概念が存在しているんですけれども。ナポレオンの時代ではそうはゆかなかった。この果敢に闘った元軍人が、生きさせろというので、お役人たちに訴えを起こしまして、役人も国が原因で深手を負った男の言い分を理解して、この生存権だけはなんとか満たせるように、ギリギリの食費だけは与えることにした。ところが、彼はちゃんと幸福に生きさせろという訴えを起こしたのであって、終身刑の囚人みたいな最低限度すぎる生存権では満足できないので、怒りはじめたのです。ちょっとここは清貧のキリスト者がパンと水のみで飢えを耐え凌ぐような感じがあるわけです。フランス人みたいに良いワインを飲んで穏やかに色恋に興じたいわけです。おかみはそれを認めないので、たいへんなことになる。彼は役人連中のまえで暴れ回って、いずこかへ去ってゆきます。ゲーテも取り上げていた忘却のレテ川というのまでたちあらわれます。
 ウクライナ生まれのロシア人であるゴーゴリが描きだす、かつての敵国フランスの裕福さとナポレオンの偉大さについての描写は、なんだか哀れに逆転した世界観を見せつけられているようなかんじというのか、屈折した笑いが生じるような描写で、逆立ちして見たような歴史の不思議を感じさせる記載でした。
 街中ででたらめを言いふらす人々によって「チチコフはじつはかのナポレオンが変装した姿なんだ」という珍説まで飛び出します。これまでチチコフにはステキな噂が絶えなかったわけですが、敵対者ノズドュリョフの悪目立ちもあって、今回からついに、権力をもつ人たちはチチコフを避けるようになったのでした。じゃあチチコフはどうするのか、この問題に関わった人々はどうするのか、というので次回の「死せる魂」最終章に続くんです。作者ゴーゴリとしては第二部第三部の構想ももっていたんですが現実にはこの第一部しか完結していないんです。「死せる魂」といえば次回の第11章で完結なんです。
 次回こそが「死せる魂」の最後の章になるはずなんですが……これはもしかすると、未完の第二部があるのだから、もしかしてチチコフが、死せる魂を蒐集しつづけた意味と真相は、完全に文学史の闇の中へと消え去ってしまうのでは……と思いました。なんだか芥川龍之介の『藪の中』の展開に似てきたように思うんです。真相がそもそも見えない、一つの結論というのがそもそも存在しない、多重に意味が積み重なった世界が立ち現れてきました。本作ではゴーゴリは、神の視点で描いているので登場人物の内心もときおり書いているんです。作者は主人公チチコフ本人の本心というのをらくらく書けるはずなんですが、ゴーゴリは意外とそういうところが秘密主義で、ほとんど記さないんですよ。
 読者の自分としては、なにか推理小説の謎解きのような、はっきりとした結末を見たいわけです。じゅうぶんにこの世界を見てきたのだから、大団円を見たいんです。ゴーゴリはこの点をどう考えて、最終章を書くのでしょうか。次回に続きます。
 

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死せる魂 ゴーゴリ(9)

 今日は、ニコライ・ゴーゴリの「死せる魂」第9章を配信します。縦書き表示で、全文読めますよ。
 いよいよ、物語は終盤に差しかかってきたのですが、ゴーゴリのこの文学では、奇妙な事態がどのように人々のあいだで伝わっていって考えられてゆくのか、というSF的というか哲学的な展開になって来ました。チチコフは、死んだ農奴の戸籍を徹底的に集めつづけてきました。 死んだ農奴なんて買い取っていったいどうするつもりなんだ、ということが物語の中盤から終盤にかけての、中心的な議題になっています。それを人々はどのように観察して、どのように論じるのか、奇妙きわまりない伝聞についてどう考えてゆくのか、というのが終盤の話題になっています。
 なんだか分からないけど、聞いた話しが、とにかく謎めいていてよく分からない。現代で言うと、大きな問題が起きたときに、SNSでは即座に反応せずに、いったん自分と他人の考えを保留して、とにかく静観してみるということが重要だと言われています。こういう問題が、いまこの小説の終盤で起きているように思います。すごく奇妙な謎が目の前にあって、それについてすぐに判定しないで、考えを組み立てるために言葉を留保しておく……。
 本文と関係無いんですが、孔子が言うところの「道に聞きて道に説くは、徳をこれ捨つるなり」というのが思いうかびました。チチコフがやっているのはこの孔子の考えのちょうど反対で、とにかく徳を捨ててやろうという方針があるように思うんです。
 彼チチコフが喜ぶときに、アナーキーというかパンクというのか、不思議な快感がほとばしっています。ぼくはこの話しを読んでいて、貧者への重税の仕組みってまるで、死んだ農奴を数値化してデータだけ収集し続けているのと同じような事態を引きおこすんじゃないかとか、思いました。個人の事情にあわせた持続可能な税金と公共サービスの組み合わせについてはなんの不満も無いんですけれども、死人からさえ税金を取り立てているという珍事に遭遇すると、こんな大集団はイヤだ、と思えてきます。
 チチコフはロシア帝国の反転した合わせ鏡みたいな存在に見えてくるんです。たった1人で反転した帝国を形づくろうとしているような印象がありました。
 死んだ農奴からさえ税金を取り立てる、あまたの貧者たちからあまりにも重税をとりたてすぎて大飢饉が起きた、というのは近代に現実として起きていた事態なんですけれども、この小説を読んでいると、近代の国っていったいなんなんだ? という謎が立ち現れてくるように思います。
 

0000 - 死せる魂 ゴーゴリ(9)

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追記
ここからはネタバレなので、これから全文を読み終えたいかたは本文のみを読んでもらいたいのですが、社交界で名をはせたチチコフは、なぜ死んだ農奴を買い漁ったのか、2人の婦人によればこういう予想になっているんです……。
 
「あれは、ただ人眼を誤魔化すために思いついただけのことで、ほんとうは、知事のお嬢さんをかどわかそうってのが、あの人の魂胆なんですわ。」
 たしかにそれは、まったく思いもよらぬ、またどの点から見ても珍無類な断案であった。(略)『まあ、驚いた!』
 
 チチコフが恋愛対象として狙っているらしい知事の娘……これが物語の要点になるのか? と思ったんですがどうもこれはデタラメのようです。ある婦人によれば、チチコフの大胆な詐欺活動には、共謀者がいるはずだという予測なんです。ノズドゥリョフさえチチコフの詐欺仲間だと勘ぐるのですが、これは完全にハズレなんです。ただ、チチコフは明らかになにかを成しとげるために死人の蒐集を行っているんです。それに知事の娘をだますことも含まれているのか。はたしてこれが真相の核心であるのかどうか、それとももっと深い意味がありえるのか、物語は続きます。2人の婦人は、このてきとうにこしらえた噂話を、街中に言いふらして、大混乱の騒動を引きおこしたのです。
 ゴーゴリは推理小説みたいに、謎の真相をなかなか明かさないんです。代わりに、でたらめな噂話の数々が描きだされます。本文こうです。「風説は風説を生んで、市じゅうの者が、死んだ農奴と知事の娘について、チチコフと死んだ農奴について、知事の娘とチチコフについて喋り出し、ありとあらゆるものが起ちあがった。」
 役人たちは、チチコフが買い取った『死んだ農奴(魂)』についていろいろ考えはじめてしまって「本当に犯してもいない罪まで探しはじめ」てしまいます。役人たちは自分がなにか悪いことをしてしまって、犯罪を裁かなかったり、犯人を放置して事件をうやむやにしてしまったりした事実を思いだして、その死人たちの魂をチチコフがあまたに買い取っていって罪を暴こうとしているのではというような、ありえないことまで考えてしまうんです。
「銀行紙幣の偽造犯人」が偽の身分証を手に入れて潜伏しているわけで、これもチチコフの蒐集したあまたの身分証と関連があるかもしれないとか、邪推しはじめるわけです。
 これで役人たちは、真相をちゃんと捜査しようというので、死せる農奴を売った人たちを連れて来て話しを聞いたのでした。コローボチカおばあさんや、チチコフの親友である地主マニーロフなどから、チチコフのことを聞きだした。
 けれどもやはり、なぜ死人の魂を買い取るのかは分からない。小さな詐欺を行っているのは明らかなんですが、肝心の「死せる魂」の真相は分からない。チチコフはじつは役人たちの不正を調査するため秘密裡に派遣された調査員かもしれない。役人たちの今回の結論としてはこうなりました。「チチコフ」「は何者であるか、あの男が悪人として逮捕され拘束さるべき人間なのか、それとも、あの男こそ自分たちを悪人として逮捕し拘禁する権力を持つ人間なのか、それからして先ず決定することにした。」
 そうして警察部長が、いよいよ次章であらわれるのでした。そろそろ結末が見えてきました。ゴーゴリの「死せる魂」はあと2回で完結します。

死せる魂 ゴーゴリ(8)

 今日は、ニコライ・ゴーゴリの「死せる魂」第8章を配信します。縦書き表示で、全文読めますよ。
 生きている農奴に見せかけた、死んだ農奴をあまたに買い取ってきたチチコフには、おかしな噂が盛んに生じて、この噂の渦に感応してしまった婦人が奇妙な匿名の手紙をチチコフに送ったのでした。それから「知事の邸で催される舞踏会の招待状が届いた」のでした。「彼が舞踏会に姿を現わすや否や、異常な活気が沸きあが」ります。
 主人公の詐欺師チチコフは、作中ではパーウェル・イワーノヴィッチと記されるんです。どうして読者にはチチコフと述べ、作中人物たちはみなこぞって「パーウェル・イワーノヴィッチ」と言うのでしょうか。主人公はパーウェル・イワーノヴィッチ・チチコフという名前なんです。 
 とりあえず言葉づかいを上品にしてみる人たちのことも面白く描写されます。
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『このコップ(又は皿)は臭い』などと言ってはならない、いや、そういったことを仄めかすような言葉づかいをしてもいけないのだ。そんな場合には、『このコップはお行儀が悪うございますわ』とか何とか、そんな風な言い方をしたものである。quomark end - 死せる魂 ゴーゴリ(8)
 
 現代日本の場合は、横文字でなんとかおしゃれな雰囲気をつくり出すということがよく起きると思うんですが、近代ロシアでは、フランス語をつかって上品さを演出したらしいです。
 チチコフはついに、四百人もの「どこにも居ない農奴たち」を買い取って、これをどこだかに移住させる予定であることを、公的な書類に書き記し終えて、これが街中の噂になったのでした。多くの人々は、四百人もの農奴を買い取って移住させるなんて、それはたぶんチチコフはよほどの大金持ちのすごい地主なんだろうと、勘違いします。実際には死人たちを安価に買い取っただけなんです。
 データを右から左に移動させて利鞘を稼いだりするだけの空虚な仕事の人が、すごい尊敬されてしまう、それはいったいどういうことなんだ、というような現代的な問題も、ユーモラスに示唆されて取り上げられているように思いました。
 たとえ虚業まるだしであっても、ここまで良い噂が立つような経験というのは1回くらいは体験してみたいもんだと思いました。ただチチコフはこんご、ウソが完全にバレてしまって、破綻する可能性がたいへんに高いわけで、これからいったいどうなるんだろうかと思いながら読みすすめていたところ、粗暴なノズドゥリョフが現れて、チチコフの悪事を婦人連と閣下たちの目の前で暴き立てたのでした。
 ところがノズドゥリョフは常日頃からひどい虚偽を言いつづけてきたので、どうも「チチコフが死んだ農奴を蒐集している」というのはデマだと言うことで、この謎のデマ(じっさいには事実)は広まり続けたのでした。大嘘つきと大詐欺師の闘いは、悪評合戦としても展開してゆきました。
 死んだ農奴はあまたに蒐集された、という話を聞きつけたコローボチカおばあさんは、死者の農奴の値段について調べてみたりするのでした。次回に続きます。
 

0000 - 死せる魂 ゴーゴリ(8)

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死せる魂 ゴーゴリ(7)

 今日は、ニコライ・ゴーゴリの「死せる魂」第7章を配信します。縦書き表示で、全文読めますよ。
 恋人たちの親愛の情を描き続けた画家シャガールが、このゴーゴリの「死せる魂」を愛読していて、戦後3年の1948年ごろに、すてきな装画の数々を残しているんです。それはネットでもいちおう見ることが出来ます。
 本作では、ゴーゴリはダンテの『神曲 地獄篇』に見立てて物語を構成していますが、ゴーゴリが描きたかったのはダンテの地獄というよりも、シャガールが愛するような、牧歌的な農民たちであったように思います。シャガールの描いた「死せる魂」こそが、ゴーゴリの物語世界のイメージに相応しいんだと思いました。
 この物語の主人公であるチチコフは信用できない仕事をする詐欺師男で、作者のゴーゴリはいったいどういうように思って、この小説を書いているのか、そのことそのものが今回の第7章の冒頭で記されてゆきます。
 ゴーゴリは、作家の苦難というのを描くんです。人間社会の内奥を冷淡に暴き出す作家は、非難と悪罵を浴びることになる、とゴーゴリは書き記します。詐欺師チチコフと偉大な作家にはどこか、共通項があります。主人公チチコフは、ついに死んだ農奴の戸籍を四〇〇人分ももらい受けたのですが、1人もどこにも居ないんです。書類上だけ存在する農奴なんです。
 ゴーゴリはこの奇妙な主人公を書くときに、こう思っています。本文こうです。
quomark03 - 死せる魂 ゴーゴリ(7)
 わたしは不思議な力に引きずられて、まだこれから先きも長いこと、この奇妙な主人公と手に手を取って進みながら、巨大な姿で移りゆく世相を、眼に見ゆる笑いと、眼に見えず世に知られぬ涙をとおして、残る隈なく観察すべき任務を負わされているのだquomark end - 死せる魂 ゴーゴリ(7)
 
 ゴーゴリは架空の世界を描きだすことを「観察する」ことだと、述べているんです。生き生きとした人物像をつくりだすのに、こういう感覚で創作しているんだろうなあ、と思いました。
 詐欺師チチコフは自分の買い取った農奴の名前を見てみるんですが、どう考えてもこれは偽の名前だろうというものも混じり込んでいる。逃亡者も買い取ったので、監獄に入っているはずの者の名前さえある。窃盗犯の名前もたぶんある。めちゃくちゃな名簿なんです。チチコフは名簿の名前だけを見ていろいろでたらめに空想を繰り広げています。
 第7章になって、ひさしぶりに地主マニーロフと再会します。詐欺師チチコフのことをちゃんと親友だと思ってくれているのは、このマニーロフだけかと思います。彼は人が良いので、チチコフの悪性がほとんど見えない。
 今回の詐欺師チチコフの、役所での届出に関しては、なかなかスリリングな描写に思いました。
 チチコフが買い取ってきた農奴たちなんですけれども、これがついに公式に登記される。てきとうに集めていたものが、広い世間の前に出ることになる。これは……こういうことは詐欺をしていない人でも、こういう緊張感はどういう職業の人でもあると思うんです。不法行為はしていなくても、誰でも不誠実なことはどこかでしているわけで、そういうのを隠しながら表だった仕事をしなきゃいけないとか、好き放題自由に仕事をしていた人が新聞記事になったとたんにその仕事の欠陥をスクープされてしまうとか、いつの時代でもあり得ることだと思うんです。チチコフは存在しない農奴たちを買い取ってきてこの名簿を所長に見てもらって登録してもらう。この場面は興味深く読みました。作者のゴーゴリこそがまさに、この小説をロシア帝国の検閲官に読んでもらって、この出版許可を取らなきゃいけない。ほんとうの緊張感というのがここにあるんだと思いながら読みました。この第七章は白眉の展開であったように思います。虚勢をはったり、対立があったり、自分の実力以上の仕事をする場合は、チチコフみたいな状況には、陥るはずだと思うんです。
 詐欺の真相である「生きているように見せかけているけれども、ほんとうは死んでいる農民たち」というのは、名作文学のそもそもの構造でもあるわけで、古典は死者の言葉であるわけで、そこの記載でもの悲しさもあるんです。冥婚にも似たなにかが、古典文学の中にあると思うんです。ダンテは死者ウェルギリウス(ヴァージル)を生きてすぐ側にいる師匠であるかのように描きだしました。ゴーゴリは「死せる魂」の生きた記憶、つまり農村のありさまを物語全体で描いていると思うんです。
 全文を読む時間が無い場合は、今回の章だけを読むのも、この物語を理解するのにずいぶんお勧めできるかと思います。
 主人公チチコフは、詐欺活動を上手く進行させることができて、なんだか喜んでいるのでした……。
 

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