舞ひと踊りと 折口信夫

 今日は、折口信夫の「舞ひと踊りと」を配信します。縦書き表示で、全文読めますよ。
 折口信夫は難文の学術書を数多に書いていて、趣味嗜好だけで読むには難しすぎると思うんですけど、これはごくわかりやすい内容を論じていました。舞と踊りがちがう……言葉の微妙な差異が論じられています。これは「民俗芸能の会」の「芸能復興・創刊号」という本に寄稿された随筆だそうです。

 

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晶子詩篇全集拾遺(38)

 今日は、与謝野晶子の「晶子詩篇全集拾遺」その(38)を配信します。縦書き表示で、全文読めますよ。
 安部公房の「砂の女」が好きなんですけど、その物語を彷彿とさせるような詩が、晶子詩篇全集拾遺の中にありました。「砂の上」という詩です。安部公房はこの詩を、読んだことがあったのだろうか、無かったのだろうか……と思いました。
 

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追憶 芥川龍之介

 今日は、芥川龍之介の「追憶」を配信します。縦書き表示で、全文読めますよ。
 これは芥川龍之介の、実話の随筆なんですけど、おもに子どものころのことを記しています。幽霊の話しとか、いたずらとおしおきの話しが妙に印象に残りました。
 あと、動物の遺骸の処理が現代とまったく異なっていて、つまり町外れには腐臭が漂っていたのだろうかと、思いました。
 山奥の遺骸はふつうに鳥や虫たちが解体してゆくわけで、二十日もあれば骨になるみたいです。
 芥川龍之介は軍人の家系の中で育って海軍機関学校で英語の教官をしていたわけですけど、作品をみると軍国主義という感じがしないです。その理由がちょっと見えてくるのが、この随筆の三十五番目のところで登場する、久井田さんと漱石の話なんです。ほんの少しの時間しか会っていない人が、けっこう重大な価値を齎すことって、あるよなあと思いました。漱石の生き方がどういうように芥川に影響を与えたんだろうか、ちょっと調べてみたいと思いました。
 学生時代に、ライオンというあだ名の友人と長い旅をしたことを書いているんですけど、その描写が瀟洒しょうしゃとでも言えば良いのか、見事なんです。これが子どものころの芥川龍之介の感覚なんだ、と思いました。
 

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プウルの傍で 中島敦

 今日は、中島敦の「プウルの傍で」を配信します。縦書き表示で、全文読めますよ。
 植民地時代の少年たちの物語が描きだされています。自分で自分の学校の成績を意図的に下げて、禁じられた遊びに夢中になるあたりの描写がおもしろかったです。
 ふつうそういうときに、攻撃的な傾向を帯びがちなんだと思うんですが、道を外れるほど詩的になるのが、さすが中島敦だと思いました……。暴虐の代わりに音楽をやるとか、暴動ではなくサップを楽しむという文化がかっこ良いと思うんですけど、中島敦はそこに詩を置いているのだと思いました。
 

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論語物語(8) 下村湖人

 今日は、下村湖人の「論語物語」その8を配信します。縦書き表示で、全文読めますよ。
 今回は、孔子が「中庸の徳は至高至善のもの」と言うんです。ちょっと調べてみると、中庸にかんする記載が、儒教の四書の中のかなり大きな割合を占めている。「中庸」の教えがあって、これをさいごに学びなさいと孔子一門は言っているようです。例によってwikipediaの「中庸」頁が、分かりやすく記されていました。平均値の中間のところを中庸というのではなくて、問題が起きている現場で、両陣営にとって価値のある学問なり技術なりを作れる力がないと……中庸は生じがたいような気がしました。
  

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★『論語物語』をはじめから最後まですべて読む(※大容量で重いです)
『論語』はこちら(※論語の原文に近い日本語訳です)

夏の花 原民喜

 今日は、原民喜の「夏の花」を配信します。縦書き表示で、全文読めますよ。
 原民喜は、被爆する以前に詩人として長らく活動していて、1945年夏に原爆の直撃を受けて生き残り、その被害を正確に記していったのがこの「夏の花」の内容です。(誤記を一部訂正しました……)原民喜は戦争の被害の事実を克明に記しているので、中盤であまりにも凄惨な描写が続くのですが、行方不明だった中学生の甥が帰ってきた、そのあとの描写を読んでいて唸りました。冒頭では、主人公「私」が、まるで戦争の被害を受けていないころに、亡くなっていった妻の墓を訪れる場面が描かれます。この最初の描写が美しいんです。これが終盤の「N」の彷徨と共鳴していて、読み終えた時に、平和と戦時が二重写しに描きだされて、唐突に現実世界に引き戻されたように思いました。wikipediaの解説が詳細で、参考になりました。また原民喜の小説を読むのなら、広島文学資料室webサイトを併せて閲覧することをお勧めします。
quomark03 - 夏の花 原民喜
  香はしき山々の上にありて獐の
ごとく小鹿のごとくあれquomark end - 夏の花 原民喜
 
 という冒頭の詩の言葉が印象に残りました。
 

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