論語物語(3) 下村湖人

 今日は、下村湖人の「論語物語」その3を配信します。縦書き表示で、全文読めますよ。
 今回は「伯牛はくぎゅうやまいあり」というエピソードです。
 今回の物語に登場する、病身の伯牛は一人で黙考しているうちに「戦慄と、萎縮と、猜疑と、呪詛と」に嘖まれるんです。弛まずに学び続けた中国の偉人であっても、親友や師を逆恨みしてしまったりする。それには原因があって、せっかく学んだのに難病に冒されて心も病みつつあるからなんですけれども……。
 孔子は困っている弟子のことを、いったいどう考えるんだろうかと思いながら読みすすめました。
 孔子はなぜか、かつて共に苦労した話しを、伯牛に伝えるんです。
 今回、伯牛が「真似」という問題をすこし論じていたんですけど、最近なんだか気がついたことなんですけど、「倣う」というのは成長に重要なことで、成績の良い人を真似て学習すると能力も上がるわけで、なんでも真似るという習性が誰にでもあると思うんですけど、真似という行為をしていると、あることが起きるように思うんです。
 能力の高い人を真似ていると、なにが起きるかというと「危険」だけをとにかく吸い寄せてしまうと思うんです。投資でバリバリ稼いでいる人を真似ると、すごい借金を吸いよせてしまう。軽業師の真似をすると怪我をする。
 真似、という行為をして、いちばんさいしょにやって来るのは、その人が抱えているリスクだ、と思ったんです。ヘタをすると危険だけを自分の手元に吸いよせてしまう。
 オリジナルに行動している人は、リスクが目に見えた上でいろいろ独特な活動している。ぼくはコピペやマネが好きなんですけど、モノマネ師は、リスクが目に見えないまま形だけ真似るから、どこからリスクが飛び出してくるかが分からない状態なんです。
 孔子の物語を読んでいて、誇大妄想になっちゃったらどうしようと思って警戒していたんですけど、この翻訳者の下村湖人というのがあくまでも凡人の眼差しで中国の古典文化を読み解いていて、そういう危険性はけっこう無さそうだなと思ってホッとしながら読みすすめています。
 じっさいの孔子の考えは、以下の本文から読んでみてください。
 

0000 - 論語物語(3) 下村湖人

装画をクリックするか、ここから全文を読む。 (使い方はこちら)
(総ページ数/約10頁 ロード時間/約3秒)
『論語物語』をはじめから最後まですべて読む(※大容量で重いです)
『論語』はこちら(※論語の原文に近い日本語訳です)

月夜と眼鏡 小川未明

 今日は、小川未明の「月夜と眼鏡」を配信します。縦書き表示で、全文読めますよ。
 これは子どものための童話ですけれど、大人でも楽しめる短編小説なんです。カズオイシグロの文学に登場する、記憶や世界認識に独自性をもつ人物像がぼくにはとても新鮮に感じられたのですが、今回の小川未明の描くおばあさんは、カズオイシグロが書こうとする人間と共通しているところがある……と思いました。小川未明の世界はもっと童話らしくて神秘的なんです。
quomark03 - 月夜と眼鏡 小川未明
 花園には、いろいろの花が、いまを盛りと咲いていました。昼間は、そこに、ちょうや、みつばちが集まっていて、にぎやかでありましたけれど、いまは、葉蔭で楽しい夢を見ながら休んでいるとみえて、まったく静かでした。quomark end - 月夜と眼鏡 小川未明
 

0000 - 月夜と眼鏡 小川未明

装画をクリックするか、ここから全文を読む。 (使い方はこちら) (無料オーディオブックの解説)
(総ページ数/約10頁 ロード時間/約3秒)
 

長崎留学 中谷宇吉郎

 今日は、中谷宇吉郎の「長崎留学」を配信します。縦書き表示で、全文読めますよ。
 ぼくは、武家社会と維新のことについてうといんですけど、いつか知ってみたいと思っていて、ちょうどこの蘭学と維新の随筆を見つけて読んでみました。「覗かせてくれるという一番大切な点」という中谷宇吉郎の指摘が、ものすごく印象に残りました。たとえば映画を見ていて観客の自分たちは、ギャングやマフィアに感情移入して、その生き方を垣間見るんですけど……ほんのちょっとだけ、カケラだけでも理解してみるというのがなんだか、重大なような気がするんです。
 蘭学者は西洋の医学と文化を、つたない言語能力で垣間見た。このちょっとだけ『覗けるようになっている状況』というのがじつは、未知との遭遇としての価値があるように思いました。
 まだすこししか理解できていない、自分たちの不能が目に見えている、という条件のほうがかえって学びが深まる可能性が高い、ように思いました。
 

0000 - 長崎留学 中谷宇吉郎

装画をクリックするか、ここから全文を読む。 (使い方はこちら) (無料オーディオブックの解説)
(総ページ数/約10頁 ロード時間/約3秒)
 

晶子詩篇全集拾遺(32)

 今日は、与謝野晶子の「晶子詩篇全集拾遺」その(32)を配信します。縦書き表示で、全文読めますよ。
 与謝野晶子の詩を読むと、ふだん目にしている文章とちがって、言葉が美しく構成されていることにいつも驚きます。言葉だけで立体的な情景を描き出していて、画家にとってはこういった文学が、モチーフの宝庫なのだろう……と思いました。
 むつかしい言葉を調べてみました。
 悒欝

0000 - 晶子詩篇全集拾遺(32)

装画をクリックするか、ここから全文を読む。 (使い方はこちら)
(総ページ数/約5頁 ロード時間/約3秒)
★はじめから最後まで全文を通読する(大容量で重いです)
 

電車と風呂 寺田寅彦

 今日は、寺田寅彦の「電車と風呂」を配信します。縦書き表示で、全文読めますよ。
 東京の町ってじつは、100年前には、春の田んぼのように泥だらけの道しか無く電車は常に満員で不快度が高かった、そうなんです。これって現代の田舎でも見られない、いまどこにも無いような世界だと思います。寺田寅彦の随筆と研究はずいぶん現代的なモノだと思うんですけど、当時はほんとに、いろいろなところが不備で、無理のある社会だったんだろうなあ、と思いました。
 その泥だらけの東京の中で、風呂屋だけは癒しと和みに包まれている。いまちょっとコロナが減少してきて、温泉くらいなら行けるようになった状況で、この随筆はなんだかおもしろく読めました。
 

0000 - 電車と風呂 寺田寅彦

装画をクリックするか、ここから全文を読む。 (使い方はこちら) (無料オーディオブックの解説)
(総ページ数/約10頁 ロード時間/約3秒)
 

論語物語(2) 下村湖人

 今日は、下村湖人の「論語物語」その2を配信します。縦書き表示で、全文読めますよ。
 この物語ではなんだか孔子が、妙に人間的に描かれているところがあっておもしろかったです。孔子はしょっぱなから、弟子の子貢しこうに皮肉を言ったりするんです。孔子たちについて、どうにも偉人のイメージからはほど遠いことがいろいろ書かれています。「弁論のゆう」であるはずの「宰我さいが懶者なまけもので嘘つきだ」とか。「孔子の声はふるえていた」というようなところにも、偉大さとは異なる人間っぽい描写がありました。
 大器晩成というときにも記されている「器」というのを、孔子やその弟子たちがどのように考えていたのか、今回はそのことが描かれていました。本文の、この箇所が印象深かったです。
quomark03 - 論語物語(2) 下村湖人
  「子貢、何よりも自分を忘れる工夫をすることじゃ。自分の事ばかりにこだわっていては君子にはなれない。君子は徳を以てすべての人の才能を生かして行くが、それは自分を忘れることが出来るからじゃ。才人は自分の才能を誇る。そしてその才能だけで生きようとする。無論それで一かど世の中のお役には立つ。しかし自分を役立てるだけで人を役立てることが出来ないから、それはあたかも器のようなものじゃ。」quomark end - 論語物語(2) 下村湖人
 
 今回作中になんども出てくる「公冶長篇こうやちょうへん」というのは、『論語』の第五章のことらしいです。

 

0000 - 論語物語(2) 下村湖人

装画をクリックするか、ここから全文を読む。 (使い方はこちら)
(総ページ数/約10頁 ロード時間/約3秒)
『論語物語』をはじめから最後まですべて読む(※大容量で重いです)
『論語』はこちら(※論語の原文に近い日本語訳です)