ゲーテ詩集(53)

 今日は「ゲーテ詩集」その53を配信します。縦書き表示で読めますよ。
 今回の詩は、リナというただ一人に宛てた、個人的な詩のようです。ゲーテは詩に日付を入れて日記の意味を持たせよと述べていたり、詩を思想の書として記したり、「ファウスト」のように詩の連続で長大な物語を作ったりと、さまざまな詩を書いたように思います。
   

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夢の影響 與謝野晶子

 今日は、与謝野晶子の「夢の影響」を配信します。縦書き表示で、全文読めますよ。
 
 夢の謎のことを書いているんですが、考察と表現がみごとで、今まで何十年も言葉にならないまま感じていたことが書かれていました。
 夢には意味内容が無くて、眼がさめれば消え去るだけのもので、数字で判断したら無のものであってなんの価値も無さそうに思えてしまうんですけど、そこでの感動は残るし、その日の現実にも良い影響を与える。悪夢からめざめて助かったと思う、その助かったという感情は事実なわけです。夢を観察して、夢を考察すると、平生では思いつかなかったヒントも見つかる。
 夢の中のできごとは、歌や詩や小説の言葉と、近いところがあるのでは、と思いました。
 夢枕に立つ、なにかの喜びも、ただの水泡のようなものではなくて人の実感のようなところがある。次の一文が印象に残りました。本文こうです。
quomark03 - 夢の影響 與謝野晶子
 ……目が覺めて居る時よりも一層よく寫實的に觀察することの出來るばかりで無く、其れにおのづから明暗の度が適度に附いて、ちやんと一つの藝術品として立體的に浮き上つて構圖されて居る場合があります。さう云ふ場合に、人が夢を見て居ると云ふことは眠つて居るので無くて、藝術家としての最も純粹な活動をして居ることに當ると思ひます。quomark end - 夢の影響 與謝野晶子
 
 与謝野晶子は「小野小町が夢を愛したと云ふ氣持は私にも想像することが出來るやうに思ひます。」と書くのでした。
 川を愛するとか、夢を愛するとかいうのは、前時代的で間違っているような気がしていたんですが、与謝野晶子は、こういう芸術上の喜びがあって良いのだというように考えて、いるのでした。
 

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おりこうハンス グリム

 今日は、グリムの「おりこうハンス」を配信します。縦書き表示で、全文読めますよ。
 これは……児童向けの童話のはずなんですが、まったく同じ場面が何十回も繰り返されていて不思議な構成の物語なんです。
 グリムは意外と、ドナルドジャッドの現代美術みたいにシンプルな、反復の作品を作るのだなと、思いました。小説なのに、歌や詩のようなリフレインが平然と繰り返される童話で、なんだかオチがみごとでした。
 

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ガリバー旅行記(3) ジョナサン・スイフト

 今日は、ジョナサン・スイフトの「ガリバー旅行記」その3を配信します。縦書き表示で、全文読めますよ。
 前回は、小人の国や、巨人の国に迷い込んだガリバーだったのですが、今回は海賊に襲われて海を漂流してから、奇妙な島にたどりつくんです。「飛島」という、なんだか地動説で描かれた世界地図の絵画のような、巨大な島を目の当たりにするんです。深海魚の眼が奇妙になっているように「飛ぶ島」の生きものも、奇妙な姿をしているのでした。なんだか天国と地獄が一体化したような見かけにおどろく物語になっていました。
 深海の生物がすごい生態系になっているように、この国の生態系もまったく異質で、未知の文化を形成しているのでした。都市の構成としては、ふつうの文明では平面的に広がる世界だと思うんですが、この「飛ぶ島」では上下に移動する立体の都市なのでした。国王や貴族や「先生」が現れて、ガリバーにさまざまなことを教えてくれます。「飛ぶ島」ぜんたいは宇宙船のように、地球のいろんなところへ移動できる……動く半月の球、のようなものになっていて、あきらかに18世紀や現代の文明を超越しています。
 ダンテ『神曲』天堂篇のはじまりのところでは、こういう中空に浮く世界が美しく描かれていたわけですので、このあたりの古典文学が今回の『飛島』と似ているように思います。幾つかの資料を調べてみると、おそらくダニエル・デフォーの『ロビンソン・クルーソー』と三部構成のダンテ『神曲』を合体させたら、この物語に近いものになるように、思いました。
 いっけん高度な文明が発達したようにみえる巨大宇宙船のごとき「飛島」なんですが、人々の暮らしぶりはそうとう無理のあるものになっていて、家もデコボコで、神話で言うところの『バベルの塔』の下層で生きるような暮らしになっているのでした。さらに太陽に近づきすぎたために熱線への恐れを抱いていたりして、三百年後の現代におけるオゾン層の崩壊によって太陽光に耐えられなくなる問題、について悩んでいる。まったくバベルの塔の滅びに似た問題を抱えているのでした。
 作中では、数学と音楽には秀でていて「飛島」をつくることに成功したのに、現実にはひどい国と暮らしになってしまっている、という悩みが描かれていました。都市生活をおくる現代人にもうまく響いてくる、寓意のみごとな物語に思いました。
 この「飛島」は磁力の仕組みで中空に浮かんでいるんです。王ののぞみは、数学を発展させることにしか興味がないようなんです。王は眼下にある国々から税金をしぼり取っていて、逆らう国には、上からおおいかぶさるようにして暗闇で包んでしまうのでした。「王の命令に従わないと、最後の手段を取ります。それは、この島を彼等の頭の上に落してしまうのです。」と書いていました。そうすると下の国はぜんぶ潰れてしまうわけですが「飛島」の円盤の部分もちょっと壊れて、揺らいでしまうので、この最終手段はほぼ使われていないというのでした。大国の悪行……十八世紀イギリス帝国主義への批判というように思えました。
「この国では、王も人民も、数学と音楽のことのほかは、何一つ知ろうとしない」ので話しも通じず、ガリバーはもうこの飛島に居るのがイヤになって、下にある国に、鎖をつたって降ろしてもらうことにしました。下にある国の「バルニバービ」では奇妙なことが起きていました。自然は豊かなのに、貧しさがはびこっているのでした。その理由は「飛島」の高度な数学に魅せられた人々がこの国にもあまたに居て、仕事をせずに研究だけに夢中になっていて、未来の壮大な計画だけを作りつづけて、だれも働かなくなってしまったのでした。のちのちは豊かな楽園になるはずの「計画」はあまたにあるんですが、現実には誰もちゃんと仕事が出来なくなっているんです。
 これも現代イギリスや先進国で見られる文化的な若者たちに共通する悩みが描かれているように、感じました。「計画」だけが進歩しつづけて、現実には仕事がちっとも出来なくなってしまう。これが「飛島」の数学研究の発展しつくした世界なのでした。AIにほとんど全ての仕事を任せたあとの、人類の世界のようにも思えました。本文こうです。
quomark03 - ガリバー旅行記(3) ジョナサン・スイフト
  残念なのは、これらの計画が、まだどれも、ほんとに出来上ってはいないことです。だから、それが出来上るまでは、国中が荒れ放題になり、家は破れ、人民は不自由をつづけます。quomark end - ガリバー旅行記(3) ジョナサン・スイフト
 
 中盤で記される、おかしな発明家たちの研究心というのがすごくって、天才なのかバカなのか分からないようすが描きだされるのでした。ふつう家は土台からつくって最後に屋根を作るもんだと思うんですが、それとまったく逆に、ハチの巣のつくりかたと同じ方法で、上から下にむけて建物を作る計画を練っている男とか、蜘蛛を研究して新しい布を作る研究者とか、なんだか迫力のある人間が次々に現れるのでした。
 300年も前に、あらゆる学問の書を書ける人工知能の機械を作ろうと研究している学者が登場していて、すごい本だなと思いました。現代AIの元祖の機械についていちばんはじめに書いたのは、ジョナサンスイフトのこの本なのかも、とか思いました。
 今回の中盤の箇所は、不思議なことがいっぱい書いてあって、300年前の本とは思えない魅力を感じる児童文学に思いました。藤子F不二雄の「暗記パン」の原典は、ガリバー旅行記第三部の中盤に「暗記せんべい」として描かれているのでした。平和な世界の子どもたちに、ジョナサンスウィフトはこういう物語を届けたかったのか、と思う冒険譚でした。「飛ぶ島ラピュタ」の正体はじつはイギリスのグレートブリテン島に『バベルの塔』をくっつけたもののことなのでは、と思いました。話しのはしばしが知的好奇心を生み出すもので、アイルランドやロンドン文化のかっこよさを感じさせる物語でした。
 

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★ガリバー旅行記の第1部から第4部まで全文通読する

『一人の教授の意見では、悪徳や愚行に税金をかけるがいい、というのでした。ところが、もう一人の教授の意見では、人がその自惚れている長所に税金をかけたらいい、というのです。』とか、イギリスの政治や進化を夢想させる記載があまたにあって、こういうところにも魅力を感じました。
 中盤からガリバーは、魔法使いと幽霊の島というところを訪れ、それから日本経由でイギリスに帰ろうとしてバルニバービの「宮廷」の王を訪れて、ここで不気味な慣習を目の当たりにするのでした。このあたりの権力者のつくっている隠謀のしくみと、その稚拙さというのが描きだされるんですが、なんだかユーモラスでもあるんです。ふしぎな表現でした。
 後半の「死なない人間」と呼ばれる人々がじっさいにはどうやって生きるのか、ということを記していて、これは老いつづけて死ににくい人間という意味で、二百歳を越えたころにはもはや記憶も言葉もまったく失っていて意思疎通もできない、謎めいた人間になってしまうというのでした。なんとも哀れで壮大な生のことが描かれるのでした。
 ガリバーは第三部の終盤で、日本を経由してヨーロッパへと向かうのでした。いきなり日本の長崎の出島のことが描かれていてちょっと驚きました。当時の「踏み絵」のことも書かれていました。
 ガリバーはぶじ、三度目の冒険を終えて家族と再会するのでした。ガリバー旅行記は次回の第四部で、完結です。
 

舞姫 森鴎外

 今日は、森鴎外の「舞姫」を配信します。縦書き表示で、全文読めますよ。
 この森鴎外の代表的な作品は、難解な文体で記されているので、wikipediaに記された解説と一緒に読むと、読みやすいかと思います。
 「余」は五年前にベトナムはセイゴン(サイゴン港)を通りすぎて、ドイツを訪れた。
 主人公はいまイタリアは「ブリンディジ」の港を出て二十日ほど経っていて、もうすぐ日本に帰りつく状態で、この舞姫のことを書きはじめたんです。
 知られざる恨みが「余」の心を悩ましている……。その恨みというのがなにかを「余」は書きはじめるんです。幼いころからシングルマザーの母に育てられて、母を喜ばせるために「余」は学問にはげんで、官僚になってベルリン留学を命じられた。
 ハイネも詩に描いた「ウンター・デン・リンデン」が舞台として描かれているんです。この近くで「余」は教会で泣くエリスという女性と出会って、このエリスを援助し交際します。
ハイネは「ウンター・デン・リンデン」についてこういう詩を書いています。
quomark03 - 舞姫 森鴎外
 友よ、このウンテル・デル・リンデンへ来い
ここでおまへは修養が出来る
ここでおまへは目のさめるやうな
女逹を見てたのしめる
みんな派手な着物のぱつとした
愛嬌のあるやさしさに
どつかの詩人は頭をふつて
さまよふ花だと名を附けた
…………
……quomark end - 舞姫 森鴎外
 
 鴎外の「舞姫」のモデルとなった世界観は、このハイネの詩なのかと思います。というのも「舞姫」の本文には「力の及ばん限り、ビヨルネよりは寧ろハイネを學びて思を構へ」と書いています。ビヨルネ(ルートヴィヒ・ベルネ)もハイネも、共通項があるんです。それはパリに亡命して移住者となっているんです。ユダヤ人でもあるハイネが、出会いの物語をつくって、その次の時代に離散の物語が現れた……。ディアスポラとなるか、故郷に帰るか、という問題について考える物語になっていました。
 国を出て世界をつくって、また日本に帰って2つの世界を行き来した。その2つの世界の、境界線のところに、ハイネや「舞姫」が拡げる文学性があるように思いました。
 文体が難しすぎて読めない、というかたは、「舞姫」現代語訳版がネット上にありましたので、検索して読んでみてください。2回読まないと、内容が判らない、むつかしい本でした。
 ハイネはウンター・デン・リンデンの「出会い」を描いて、鴎外がこの詩の続きであるかのような「別れ」を連歌のように描いたのでは、と思いました。エリスはさいご悲劇のヒロインとなっていて、終盤の数行は衝撃的なものでした。
 作中の中盤で「大學にては法科の講筵を餘所にして、歴史文學に心を寄せ、漸く蔗をむ境に入りぬ」と、法学をほっぽりだして歴史や文学に夢中になったと、こう書いているんですが、これは鴎外本人にそっくりなんです。架空の小説と自伝の混交した作品では、と思いました。
 出航と帰航、出会いと別れ、家族と孤立、援助と断絶、友情と愛情、ハイネと鴎外、移住と帰国、エリスと太田豊太郎、信頼と裏切り、開放と閉鎖、部分と全体……放浪と帰属の物語でした。
 

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大阪の憂鬱 織田作之助

 今日は、織田作之助の「大阪の憂鬱」を配信します。縦書き表示で、全文読めますよ。
 今回の織田作之助は、はじまりの数頁でずいぶん奇妙なことを書いていて、眠る前に珈琲を飲まないと眠れない男がいる、というふつうとまったく逆のことを記してから、大阪の闇市のことを書きはじめるんです。戦争が終わっても、混乱はまだ治まっていないころに「食いだおれの大阪」と言われる大阪で食いものが不足するとどういうことが起きるのか、ということが記されていました。
 どうも妙な随筆で、「大阪の闇市にはなんでも売っている」という噂があるそうなんですが、これもどうもおかしいわけで、当時は食糧不足と物資不足と資産不足で、さらにとうじは配給制度がまだあったので、警察は食材を無断で売ることを禁じていて、何も買えなかったはずなんです。
 そのあとに、煙草を売る商人を警察が取り締まって、大乱闘になったという新聞記事のことが書かれています。織田作之助は前半で述べているように、当人も読者も、現実の疲弊ぶりに憂鬱になっているようなんです。闇市では、大規模な窃盗が相次いでいる。『京都から大阪へ行く。闇市場を歩く。何か圧倒的に迫って来る逞しい迫力が感じられるのだ。ぐいぐい迫って来る。襲われているといった感じだ。焼けなかった幸福な京都にはない感じだ。』
 この前後の記載がすごかったです。今はもうどうやっても誰もたどり着けない、戦後すぐの闇深い大阪が活写される、後半がみごとな随筆でした。以下の文章もなんだか印象に残りました。
quomark03 - 大阪の憂鬱 織田作之助
 いつか阿倍野橋の闇市場の食堂で、一人の痩せた青年が、飯を食っているところを目撃した。
 彼はまず、カレーライスを食い、天丼を食べた。そして、一寸考えて、オムライスを注文した。
 やがて、それを平げると、暫らく水を飲んでいたが、ふと給仕をよんで、再びカレーライスを注文した。十分後にはにぎり寿司を頬張っていた。
 私は彼の旺盛な食慾に感嘆した。その逞しさに畏敬の念すら抱いた。
「まるで大阪みたいな奴だ」quomark end - 大阪の憂鬱 織田作之助
  

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