鍋料理の話 北大路魯山人

 

 今日は、北大路魯山人の「鍋料理の話 」を公開します。縦書き表示で、全文読めますよ。
 近代の美食について、北大路魯山人が論じているんですが、日本は貝類の料理が上手なんだと言うんです。たしかにおだしの効いた貝の料理は美味しいですし、醤油だれで食う焼き貝は最高なんですけど、洋食だとそうはいかない。
 貝塚の時代から日本は、貝を食べることが伝統的なのかもしんないと、思いました。
 あと魯山人は、飯は出来たてこそが美味しい、だから鍋は誰もが楽しむ、というように書いていて、焼肉や自炊飯が美味しいのは、この出来たてで数秒後にくうから美味しいんだろうなとか、思いました。子どもの頃に、ごはんができたのに「ちょっとまって」と言っていると親からすごい怒られた、というのを思いだしました。
 魯山人の生活に根づいた美学もちょっと記されていて、面白い随筆でした。
  

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晶子詩篇全集拾遺(14)

 今日は、与謝野晶子の「晶子詩篇全集拾遺」その(14)を公開します。縦書き表示で、全文読めますよ。
 与謝野晶子が今回、京言葉で詩を書いているんですけど、とても自然に書きこなしています。与謝野晶子は方言を使わずに文学を作ることが多いと思うんですけど、京言葉で書く詩も、みごとでした。
 

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或る農学生の日誌 宮沢賢治

 今日は、宮沢賢治の「或る農学生の日誌」を公開します。縦書き表示で、全文読めますよ。
 宮沢賢治は農学校で野菜や穀物や果物をつくる仕事と、文学を書く仕事を両方ともやった作家で、今回は、農業と芸術について、農学生の視点から書いています。
 賢治の書き記した農業の文学は、世界中で読んでもらえるものだと思うんですけど、海外で人気があるのでしょうか。雨ニモマケズの外国語訳のことしか知らないです。宮沢賢治の作品は、農を中心にして見ると、印象が変わるように思いました。

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判決 カフカ

 今日は、フランツ・カフカの「判決」を公開します。縦書き表示で、全文読めますよ。
 カフカと言えば異様な毒虫を描いた物語が印象深いんですけど、もう一方で、楽に実現できそうなことがもろもろの繊細な理由で不能になっている、機能不全に陥っているものごとを書くのが特徴的だと思うんですけど、今回の作品は、カフカの迷宮の一つとして特別な魅力のあるものだと、思いました。すぐ目の前に居る、父と子の意思疎通の不可能さと、はるか遠い地へ行った友人との文通に於ける齟齬の、二つの……このコントラスト。今回のはとくに、すごくテンションの高い物語展開なんです。あっけにとられる親子関係なんです。オチのこの、非現実的すぎる悲劇がほんとにこう、ふつうなら悲嘆に暮れるような人生の人がそうなるところを、カフカはみごとに事態を入れ替えて描いていて、悲劇の逆転した喜劇とでもいうのか、とても不思議な物語になっていました。
 そういえばカフカってずっと独身だったんですね。なんとなく、真面目な公務員をしながら漱石みたいにじつは結婚してたのかなとか思い込んでいました。カフカは結婚出来る条件が整っていたはずなのに、まるで「城」の主人公みたいに、独身から出てゆけなくなっちゃったんだろうかと思いました。
  

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晶子詩篇全集拾遺(13)

 今日は、与謝野晶子の「晶子詩篇全集拾遺」その(13)を公開します。縦書き表示で、全文読めますよ。
 今回の二つの詩を読んでいて、与謝野晶子は詩を書くときに、論理性と絵画性と、どちらも追及した文学者なんだと思いました。自然界の描写がとにかく読んでいて心地良いです。
 

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模倣と独立 夏目漱石

 今日は、夏目漱石の「模倣と独立」を公開します。縦書き表示で、全文読めますよ。
 これは夏目漱石の講演会の、書き起こし文なんです。これを聞いた久米正雄は、のちに作家になって、漱石に弟子入りして師から激励の手紙を受け取っています。
 漱石は絵画や芸術についてずいぶん突っ込んで話すんです。「気高いものはいくらもあります。そういうような意味の絵にはどうも欠乏し切っているのが文展である。これを逆にいうと、そういう絵を排斥しているのが文展である」という記述に衝撃を受けました。話しの中心としては、こうなっています。本文こうです。
quomark03 - 模倣と独立 夏目漱石
  文展の画家や西洋から帰って来た二人は自分で自分の絵を描かない。それから今の日本の方のは自分で自分の絵は描くけれども未成品である。感想はそれだけですがね。それについてそれをフィロソフィーにしよう——それをまあこじつけてフィロソフィーにして演説の体裁ていさいにしようというのです。quomark end - 模倣と独立 夏目漱石
 
 人には、二通りの力があって、ひとつは模倣をする力。スズメは、周りと呼吸をあわせていっせいに飛び立つ。そういう力で自然界を生きぬいている。ただそれだけだとただの動物と同じで、そこに自主独立の力というのがある。他人を模倣しない、自分にしかない思想なり主義がある。コピペばっかりの僕の引用ではなんの説得力も無いんですが、漱石が言うには、そういうインデペンデント、自主独立の力のある人は、親鸞とかイプセンである、というんです。「思想、主義から出発して書いたものがイブセンの作の中にある…………イミテーションではない…………特別な猛烈な自己である。それがためイブセンは大変迫害を受けたという訳であります」と漱石は言っています。
quomark03 - 模倣と独立 夏目漱石
  …………インデペンデントに御遣りになって、新しい方の、本当の新しい人にならなければ不可いけない。蒸返むしかえしの新しいものではない。そういうものではいけない。
 要するにどっちの方が大切であろうかというと、両方が大切である、どっちも大切である。人間には裏と表がある。私は私をここに現わしていると同時に人間を現わしている。それが人間である。両面を持っていなければ私は人間とはいわれないと思う。唯どっちが今重いかというと、人と一緒になって人の後に喰っ付いて行く人よりも、自分から何かしたい、こういう方が今の日本の状況から言えば大切であろうと思うのであります。quomark end - 模倣と独立 夏目漱石
 

0000 - 模倣と独立 夏目漱石

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