我鬼 坂口安吾

 今日は、坂口安吾の「我鬼」を配信します。縦書き表示で、全文読めますよ。
 戦国時代を勝ち残った秀吉の後半生を、大戦中に唯一被害を受けずに作家をやり通した坂口安吾が活写しています。能や茶といった文化に関心の深かった秀吉や、残酷な秀吉のことを記しています。親族の憎悪の描写が辛辣で、どうにもリアルな短編小説でした。
 秀次の描写はこうでした……「彼の心は悲しい殺気にみちてゐた。彼は武術の稽古を始めた。秀吉を殺すためのやうであつたが、襲撃にそなへ身をまもるための小さな切ない希ひであつた。出歩く彼は身辺に物々しい鉄砲組の大部隊を放さなかつた。いつ殺されるか分らない。」あとからやって来る「家康の影」に対する恐怖心の描写が印象にのこりました。秀吉の最晩年が描きだされていました。

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電気鳩 海野十三

 今日は、海野十三の「電気鳩」を配信します。縦書き表示で、全文読めますよ。
 近代のSF作家というと、ジュールヴェルヌと海野十三がいろんな作品を書いたと思うんですが、今回のは少年が主人公の小説で、おもいっきり戦争中の冒険譚なんです。日本語をしゃべる「わる者」の男たちがおおぜい押しよせてきて、主人公の少年はさかんに逃げ回って、スパイたちの秘密の活動の謎を解き明かすという……。海野十三の作品の中でもけっこう荒唐無稽で、行き当たりばったりの展開なんですけど、少女をなんとか助け出そうとする主人公の奮闘が、なんだかかっこいい、小中学生向けの物語でした。主人公の父は科学者で、秘密兵器を開発しています。日本軍が地底戦車を極秘に開発している、この実体を暴こうとして「わる者」たちが画策してるのでした。海野十三の少年向け作品に描かれる、少年とスパイと軍、という描写がなんだか迫力がありました。主人公の少年は、奪いとった電気鳩を調べてみて、自分の味方にしてしまうのでした。
 

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細雪(22) 谷崎潤一郎

 今日は、谷崎潤一郎の「細雪」その22を配信します。縦書き表示で、全文読めますよ。
 関西から関東に引っ越す、姉の鶴子が、ついに準備を終えて、挨拶回りもすませて、幸子の家に数日ほど泊まりに来た。幸子と鶴子は結婚してからは、あまり語らいあう時間が無かったので、今回のことは幸子にとって嬉しかった。ところが姉の鶴子はたんに、のんびり寝ころがって休んでいるだけで、三日も経ってしまった。家族水入らずだと、かえってなにも起きないもので、なにも語らなかったりする。谷崎潤一郎はほんとに、人間っぽい人間を書くのが上手いなあと、思いながら読みました。鶴子はそのまま東京に行ってしまった。それから本文こうです。
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  亡くなった父の妹に当る人で「富永の叔母ちゃん」と呼ばれている老女が、ある日ひょっこり訪ねて来た。quomark end - 細雪(22) 谷崎潤一郎
 
 これは、姉の鶴子も計画していたことですが、雪子と妙子はこれからどう生きるのかを、話しに来たというのでした。本家である鶴子の家の引越を機に、雪子と妙子の二人も東京で暮らしたらどうか、仕事のほうも東京のほうが有利なはずだということなのでした。
 えっ? だとすると小説は幸子と雪子のどっちの家を追うんだろうか、と思いました。
 年齢や仕事から考えてみると、上京するのはいかにもありえそうな話なんですが、恋人や仕事場や生活圏をそんなに簡単に変えられるわけでもないだろうし、どうなるんだろうと思いました。
 雪子は自由なのか、そうではないのか、読んでいてちょっと判別できないんです。
 姉である幸子の考えは納得がゆくもので、妹の雪子を召し使いみたいに使ってしまっていて時間を奪っているのではないかという危惧をしていて、雪子は幸子の家から出ていったほうが幸福になるのではというように考えているわけです。これは幸子が良く考えたことに思えます。雪子は東京の本家にお世話になって、新しい家族を探しはじめるということになるのでした。これで十数人の鶴子の一家は東京へ旅立ちます。本文こうです。
quomark03 - 細雪(22) 谷崎潤一郎
  百人近くも集った見送り人の中には先代の恩顧を受けた芸人、新町や北の新地の女将や老妓ろうぎも交っていたりして、さすがに昔日の威勢はなくとも、ふるい家柄を誇る一家が故郷の土地を引き払うだけのものはあった。quomark end - 細雪(22) 谷崎潤一郎
 
 こんな百年前の日本を描いた、映画のシーンがあったら忘れがたいだろうなあと思いました。戦争で人を殺したくないということで、若者がふるさとを離れて、言葉の通じない国を訪れるようなことが現代に起きているわけですが、この小説が書かれた前後には日本でもおおくの苦が生じていて、そこで谷崎がこういう静謐な描写の文学を記し続けているというのは、凄いと思いました。四番目の妹である妙子は、ギリギリのところで、一家の引越の挨拶にすべりこんで、ちょっとだけ会釈をして帰るんですが、そこに八年前に親交のあった関原という男が現れます。この二人の軽妙な対話がすてきでした……。
  

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「細雪」の上中下巻、全巻を読む。(原稿用紙換算1683枚)
谷崎潤一郎『卍』を全文読む。 『陰翳礼賛』を読む。

■登場人物
蒔岡4姉妹 鶴子(長女)・幸子(娘は悦ちゃん)・雪子(きやんちゃん)・妙子(こいさん)

生きること作ること 和辻哲郎

 今日は、和辻哲郎の「生きること作ること」を配信します。縦書き表示で、全文読めますよ。
 和辻哲郎といえば難解な哲学書を書く思想家であって、その思想書の全文を精読できる人はめったに居ないのではと思うんですが、今回のは読みやすい言葉で、おおくの人が知っている古典文学について記しているので読み通しやすいように思いました。
 ダヌンチオ(ガブリエーレ・ダンヌンツィオ)を戦中に批判できた人はほとんど居ないのではと思っていたんですが、和辻氏は1916年(大正5年)ですでに、ダンヌンツィオの作品の「冗漫に堪え切れない」と記していて、トルストイの作物には「語の端々までも峻厳な芸術的良心が行きわたっている」と記しています。ほかにもドストエフスキーやさまざまな作家について論じていました。
 思想や芸術は、実体験とどのように関連するのか、というのがずっと気になっていたんですが、和辻氏のこの論述が鋭いように思いました。
quomark03 - 生きること作ること 和辻哲郎
  体験の告白を地盤としない製作は無意義であるが、しかし告白は直ちに製作ではない。告白として露骨であることが製作の高い価値を定めると思ってはいけない。けれどもまた告白が不純である所には芸術の真実は栄えない。quomark end - 生きること作ること 和辻哲郎
 
 和辻氏はじつは、若いころは破滅的な物語小説を書いていたんですが、同時代の谷崎潤一郎の文才に打たれて、小説をやめて哲学に向かっていったそうです。
 和辻哲郎の哲学書は和製の帝国主義に於ける思想の混乱と絡んだものもあって、異様に難解だと思うんですが、この「生きること作ること」は読みやすいことばで、芸術と生について記していて理解しやすく、和辻氏の難読書を読むときには、この随筆と併せて読むと良いように思いました。
 後半で、和辻氏は、今からゲーテファウストのような、生き直しの本を書かねばならぬと記すんですが、そこでこう述べるんです。
quomark03 - 生きること作ること 和辻哲郎
  私の考えでは、私の夢想するファウストは私の愛がゾシマのように深くならなくてはとても書けそうにない。今の私の愛は愛と呼ぶにはあまりに弱い。私はまだ愛するものの罪を完全には許し得ないのである。愛するものの運命をことごとく担ってやることもできないのである。それどころではない。迷う者を憐れみ、怒るものをいたわることすらもなし得ない……。quomark end - 生きること作ること 和辻哲郎
 
 ゾシマというのは『カラマーゾフの兄弟』に登場した、敬虔な老僧のことです。
 最後の一文が辛辣な自己批判で、衝撃的でした。ディケンズやトルストイといった古典文学を読むにあたって、とても参考になる随筆に思いました。忘れないよう、なんども読みたい随筆だと、思います。
  

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空車 森鴎外

 今日は、森鴎外の「空車」を配信します。縦書き表示で、全文読めますよ。
 むなぐるま、というのは古言で、これを聞けば今昔物語集にあるような絵巻物の情景が連想される、と森鴎外はいいます。だから現代の世界で「むなぐるま」という言葉は簡単には使えない。
 現代の文章に「古言をその中に用いたのを見たら、希世の宝が粗暴な」使われ方をしたと思ってたいていの人は憤慨する。そして森鴎外は「不用意に古言を用いることを嫌う」のですが、現代文にやはり「ふと古言を用いる」「あえて用いるのである」と述べています。
 どうしてかというと「古言は宝である」から不用意には使えないけれど、この古語というのをひとつも使わないなら、古語が誰にも使われなくなってしまう。だから傷がつくけれども、新しい性命を与えるために古語を使ってゆくと、森鴎外は述べています。
 ここから森鴎外は、自分の見た、とても大きな空車について記すのですが、妙に印象的で、なんだか中国の禅僧のかんがえた十牛図の果てしない世界を連想しました……。老子が「無用之用」にて描写した車輪と通底している、空車の描写であって、後半の数行がみごとな随筆でした。

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ゲーテ詩集(42)

 今日は「ゲーテ詩集」その42を配信します。縦書き表示で読めますよ。
 今回は、羊飼いの詩です。ジャン=フランソワ・ミレーの羊飼いの絵画を連想させるような、絵画的な描写がみごとな詩でした。
   

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追記 ゲーテのこの詩は複数の場面や長い時間を織り込んでいて、重層的な描写になっていて……単純な一枚絵よりも深い印象を残すのでは、と思いました。