ゲーテ詩集(42)

 今日は「ゲーテ詩集」その42を配信します。縦書き表示で読めますよ。
 今回は、羊飼いの詩です。ジャン=フランソワ・ミレーの羊飼いの絵画を連想させるような、絵画的な描写がみごとな詩でした。
   

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追記 ゲーテのこの詩は複数の場面や長い時間を織り込んでいて、重層的な描写になっていて……単純な一枚絵よりも深い印象を残すのでは、と思いました。

ムジナモ発見物語り 牧野富太郎

 今日は、牧野富太郎の「ムジナモ発見物語り」を配信します。縦書き表示で、全文読めますよ。
 さいきん朝の連続ドラマで有名になっている牧野博士の本を、当サイトでも小さな電子書籍にしてみました。ぼくは牧野富太郎の本をたったの3回だけしか読んだことがないんですが、ちょっと調べてちょっと読んだだけでもすごい人で、19世紀の1862年生まれなのに戦後にも生きていて長命で、商人から学者になった植物学の専門家で、じつは夏目漱石とほぼ同時代で、漱石のほうが年下だったわけで、漱石って長生きしていたらじつは1950年とかの戦後にも生きていたんだとか、自然科学の思想は長命に有効なのではとか、随筆を読むだけでもいろいろ不思議なことが見えてくるように思いました。
 この随筆では、牧野博士が発見した「ムジナモ」という水草について記しています。wikipediaでもこのムジナモのことは詳しく記されているんです。他の植物学の現代書を開いても、牧野富太郎博士の発見した植物はあまたに記されているんです。
 ところでこのムジナモを発見したことによって、世界的な植物学者として認識されたそうですが、旧帝大ではこれに関連して牧野博士が排除されてしまったという事態があったそうです。どういうことなのか、もうちょっと詳しく知りたいなあと思いました。どうも研究の競合があったようで、これが原因で牧野博士は研究所を追い出されてしまったようなんです。
 ムジナモは根を持たず、水の中の虫を捕らえて栄養とする、というたいへん珍しい植物で、この生態について細かく記していました。
 作中に記された、エングラー監修の本というのは、アドルフ・エングラーの『植物分科提要』のことです。調べてみると114ページに”Makino auf Nippon”と記されていました。ムジナモの画像もネットにいくつか載っていました。
  

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方則について 寺田寅彦

 今日は、寺田寅彦の「方則について」を配信します。縦書き表示で、全文読めますよ。
 寺田寅彦は百年前の物理学者なのに、わかりやすい言葉でものごとを論じてくれて、読みやすいところがあるのが特徴だと思うんですが、今回のは対象者が科学者にたいしてのものなのか、難しい文体で記されていました。カオス理論に近いことを論じていると思うんですが、宇宙や自然界は鴻大すぎるので、自然の世界で起きる法則を人間が読み解けないのでは、という問題提議でした。
 引力は実際に存在していて、月の引力は海に影響を与えるわけだし、太陽の引力で地球が回転して昼夜が生じるし、春夏秋冬ができてくる。寺田寅彦は、もし引力が遠方にたいしてもっと強力な作用をもたらした場合は、どういうものになっただろうかという架空の世界を想定するんですけどSF的でした。
 寺田寅彦はいっけん些細な問題のはずの、ものの長さを数字で規定することのむずかしさを論じています。一尺の竹というように記したとしても、翌日にはその竹の長さはすこし変化している。一定のものというのは存在しない、ということを述べています。
 測定や方則にも、そういった細部のズレが必ず存在しているわけで、それを考えた上で、理論や統計や方則というのをとらえてみるようにと、寺田寅彦は述べています。本文こうです。
quomark03 - 方則について 寺田寅彦
  平たく云えば、方則というものを一種の平均の近似的の云い表わしと考えるのである。そうすれば方則というものはよほど現実的な意味を持つようになって来る。このような区別は甚だつまらぬ事のようであるが、自分はあながちそうとは思わない。quomark end - 方則について 寺田寅彦
 
 また、だからと言って方則や科学的考察がまったく役に立たないわけではなく「現在の知識の限界を」知り「方則を疑う前には先ずこれを熟知し適用の限界を窮めなければならぬ。その上で疑う事は止むを得ない」と記していて、天動説から地動説へと、科学的考察の土台もガラッと変化したことがあることを例示し、科学的な方則、あるいは道徳的な方則が、大きく変化してゆくことは今後もあるはずであることを記していました。
 今回はポアンカレや「フックの法則」や「クーロンの法則」について論じていました。

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細雪(21) 谷崎潤一郎

 今日は、谷崎潤一郎の「細雪」その21を配信します。縦書き表示で、全文読めますよ。
 この物語は、父が不在なんですけれども、家族の交流を描いた作品で、今回は、とくにこれが顕著でした。親戚づきあいや、義兄の栄転と引越ということが記されます。関西から関東に引っ越すというのは現実としてはそうとう大きな出来事だとおもうんですが、そういえば漱石も引越が多く、ラフカディオハーンは世界中を引っ越しして生きて、太宰も東北から東京に引っ越し、谷崎も関東から関西に、小説の話し言葉も標準語から関西弁に変化していった作家なのでした。近代は今よりも引越がむつかしいかと思うんですが、居場所を変えることが作家のひとつの大きな方針なのかも、と思いました。谷崎がこれを書いている前後に、空襲と疎開ということがあるんですが、それも作品に影響を与えているのかもしれません。幸せな引越は……当人にとっては世界がガラッと変わるのに、他人にとってはほとんどなにも変わらない、不思議な違いがあるようで、作中ではその悩みが記されていました。本文こうです。
quomark03 - 細雪(21) 谷崎潤一郎
 住みれた大阪の土地に別れを告げると云うことが、たわいもなく悲しくて、涙さえ出て来る始末なので、子供達にまで可笑おかしがられているのだと云う。そう聞かされると、幸子も矢張可笑しくなって来るのであるが、一面には姉のその心持が理解出来ないでもなかった。quomark end - 細雪(21) 谷崎潤一郎
 
 四姉妹のなかの長女鶴子のことが記されるのはほぼ初めてで、しかも三姉妹とはちがう東京に行くということで、長女が住んでいた家がもうすぐ空き家になるようなのでした。そこは父が暮らした家で、二女の幸子もよく知っている家なのでした。「その家には特別な追憶を持っている」幸子は「電話で突然その話を聞いた時に、何かしらはっと胸をかれる思いがしたのは、もうあの家へも行けなくなるのかと云うことに考え及んだからであった」……「幸子としても生れ故郷の根拠を失ってしまうのであるから、一種云い難いさみしい心持がする」ということなのでした。
 けっきょく家はさしあたり「音やん」の家族に留守番かたがた安い家賃で住んで貰うことにした、と本文に記されていました。音やんは、父の知り合いです。
 引越の整理をしている姉を訪ねた幸子なんですが、そこで父の骨董趣味のことを思いだします。姉は一度に二つのことが出来ないたちのようで、引越の整理に夢中で、せっかくたずねてきた幸子とまるで話しもせずに、黙々と荷物の整理をしていたのでした。四姉妹の物語なのに、いちばん上の鶴子がほとんど出てこないと思っていたら、なるほど、こういう状況だったのかと思いました。今回は四姉妹のなんだかすてきな人間関係が記されていて、みごとな章でした。「細雪」を抄録するんだったら、じつはこの二十一章が独立して載せやすいのかも、と思いました。
 

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「細雪」の上中下巻、全巻を読む。(原稿用紙換算1683枚)
谷崎潤一郎『卍』を全文読む。 『陰翳礼賛』を読む。

■登場人物
蒔岡4姉妹 鶴子(長女)・幸子(娘は悦ちゃん)・雪子(きやんちゃん)・妙子(こいさん)

三つのことば グリム

 今日は、グリムの「三つのことば」を配信します。縦書き表示で、全文読めますよ。
 これは完全に児童向けの作品で、小学校低学年しか読者対象になっていないと思うんですが、読んでみたら不思議な魅力を感じました。文学の中心にはユーモアがあるのだ、という評論を読んだことがあるんですが、今回この本を読んでいて、この童話も文学の中心的な存在なんだろう……と、思いました。
 

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押絵と旅する男 江戸川乱歩

 今日は、江戸川乱歩の「押絵と旅する男」を配信します。縦書き表示で、全文読めますよ。
 これは乱歩の独特な怪奇小説で……化物は出てこないんですが、なんだか神秘的な怪異が語られつづける小説でした。蜃気楼を見るために旅をしていた「私」が人気のまったくない列車の中で「西洋の魔術師の様な風采ふうさいの男」と出逢って、男が持ち運んでいた謎の絵画を見せてもらう。その絵画の中に、持ち主の男にそっくりな人間が描かれていて……この絵画の謎について、男が語ってゆくという物語でした。老いない少女と、老いてゆく男たちという対比が、なんだかカフカかポーの純文学のような迫力を感じさせるように思いました。
 なにか妙な体験をしたあとに小説を読んでいて、物語の登場人物とほとんど同じことをしている人間が現実にいることにはじめて気が付く……ということがあると思うんですが、そういう物語の作用そのものを、絵画に閉じ込められた謎の人間として描いているように思えました。こんな怪しい小説は、昔も今もあまり無いのでは、と思う小説でした。
  

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