老人と海 ヘミングウェイ

 今日は、ヘミングウェイの「老人と海」を配信します。縦書き表示で、全文読めますよ。
 これは1952年に出版されたヘミングウェイの中編小説です。さいしょは対話が大部分を占めているのが印象に残りました。
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 「じゃあおやすみ、サンチャゴ」
 少年は出て行った。quomark end - 老人と海 ヘミングウェイ
   
 というところからずっと一人で、老人と海を描く物語が展開します。本文こうです。
quomark03 - 老人と海 ヘミングウェイ
  老人はすぐに眠りに落ち、アフリカの夢を見た。彼はまだ少年だった。広がる金色の砂浜、白く輝く砂浜。目を傷めそうなほど白い。高々とそびえる岬、巨大な褐色の山々。最近の彼は毎晩、この海岸で時を過ごすのだった。彼は夢の中で、打ち寄せる波の音に耳を傾け、その波をかき分けて進む先住民たちの舟を眺めていた。quomark end - 老人と海 ヘミングウェイ

 重要なところで「ライオン」や「雪山」というような、大きな隠喩を記すのがダイナミックでみごとに思いました。老人が魚を釣り上げたところの描写がなんとも独特なんです。釣れかけているところで、むかし釣り上げた魚の描写が入ったり、大魚とほぼ同時に、べつの魚が釣れてしまってこれを意図的に切り落としたります。「別の魚を引っ掛けたせいで奴を逃がしたら、その代わりがいるか? 今さっき何の魚が食いついたのか、それは分からん。」とか大魚を釣り上げるために、とりあえずさっき釣れたマグロを生で食っている描写とか、大魚をひっぱりつつ金色のシイラを釣り上げて食うとか、釣れている状態と言えるのか釣れていない状態なのか、どっちか分からないという奇妙な状態が、たいそう長くつづくのがなんだか不思議なんです。本文こうです。
quomark03 - 老人と海 ヘミングウェイ
  彼は、斜めに走るロープの先の暗い海を見下ろした。食わなきゃいかん、手に力をつけるんだ。手が悪いわけじゃない。もう長い時間、あの魚とこうしているんだからな。永遠にでも続けてやる。さあ、マグロを食わねば。
 一切れをつまみあげ、口に入れて、ゆっくり噛んだ。まずくはない。
 よく噛んで、残らず栄養を吸収するんだ。quomark end - 老人と海 ヘミングウェイ
 
「漁ができた」と言えるのか「漁ができなかった」と言えるのか、判別できないのがなんだかすごいんです。「漁ができなかった」という証拠も、序盤や終盤であまたに記されていくんです。
 この二分割できない文学的な描写が進展していって、魚と人が入れかわるような描写にもなったりもします。「奪う側」と「奪われる側」というような二分が出来ずに、人間と動物や、現実と幻想や、古代と近代が、奇妙に混じりあってゆくのが、見事に思いました。中盤では、大魚を射止める、ということを、月を射止めることに喩えたりもしていて壮大な古典文学みたような描写もありました。
 老人がただ一人で魚を釣って……帰ってきた、という大まかなあらすじとはまったく異なる、ひとことで言いあらわせない何だかが、書き連ねられた文学に思いました。ゴールドラッシュの黄金時代を連想させる作品に思いました。こういう本を再読したくていろいろ本を探していたのだと、思いました。
 

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本作品は石波杏氏によって翻訳され「クリエイティブ・コモンズ 表示 2.1 日本 ライセンス」で公開されています。詳しくは本文の底本をご覧ください。
 
 
 

かすかな声 太宰治

 今日は、太宰治の「かすかな声」を配信します。縦書き表示で、全文読めますよ。
 これは物語をあまたに描いた太宰治にしてはめずらしく、話のスジがほとんどない、散文詩のような短編でした。乱雑に並べた名言集のような、展開がなく、オチのない作品なんですが、このような掌編であってもやはり太宰治の独特な個性が表れているのが不思議に思いました。

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ゲーテ詩集(40)

 今日は「ゲーテ詩集」その40を配信します。縦書き表示で読めますよ。
 今回は春の歌で、明るさが感じられる穏やかな詩でした。

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(追記   日付の確認を間違えて、更新が1日分、ズレてしまいました。ふだんは2日に1回、昼の12時に配信しています。)

機械 横光利一

 今日は、横光利一の「機械」を配信します。縦書き表示で、全文読めますよ。
 これは百年前にしては最新の機械がそろった工場で起きた、不審な事件についての物語なんです。軽部という男と「私」は、仕事場で仕事中に際限なく争いをつづけていて暴力的で、危険な状態なんです。「私」は「屋敷」という優秀な男の仕事場での不審な行動に、違和感を抱く。
 産業スパイとして仕事を不当に盗みに来たのではないかという疑いを三人で抱きあっている。科学者や工学者や労働者とは思えない、無駄な殴りあいの暴力が突発的に生じ続けるのが、ワケが分からない映画でもみている気分になりました。
 賢いはずの三人の労働者が、意味不明に殴りあいをする、という奇妙な話しなんですが、途中で「真鍮を腐蝕させるときの塩化鉄の塩素はそれが多量に続いて出れば出るほど神経を疲労させるばかりではなく人間の理性をさえ混乱させてしまうのだ。」という記載があって、労働中にシンナー中毒みたいな中毒症状が出て、アル中のように暴力的になることはあり得るのでは……と思いました。
   

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追記 ここからは完全にネタバレなんですが、三人で酒を飲んだあとに「屋敷が重クロム酸アンモニアの残った溶液を水と間違えて土瓶の口から飲んで死んで」しまったんです。軽部が屋敷を殺した可能性がある。酒にさんざん酔っていたので「私」が「屋敷」を殺した可能性もある。「私の頭もいつの間にか主人の頭のように早や塩化鉄に侵されてしまっているのではなかろうか」というのが恐ろしいです。麻薬か睡眠薬を不当に飲まされて、過失致死事件を引きおこしてしまった場合、いったい誰が本当の犯人なのか分からなくなってしまうのでは、と思いました。

神道の新しい方向 折口信夫

 今日は、折口信夫の「神道の新しい方向」を配信します。縦書き表示で、全文読めますよ。
 戦中と戦後に、学者の折口信夫がいったいどう考えていたのかが、少し見えてくる随筆でした。戦時中の宗教心はいったいどういうものだったかを、米国と比較しながら検討していました。ふつう戦争というと経済力の差で決まるはずだと思うんですが、折口氏は宗教の視点から、国の強さを読み解いています。これは現代ならまったく気が付かない視点なのではと、思いました。今回、折口氏が述べている「社会的の礼譲」というのはたぶん、中国の孔子の言う「礼」に近い意味のことかと、思われます。日本の神道、というのがあまり言語化されてこなかったと思うんですが、この謎の宗教性について、折口信夫が記していました。
 序盤の「静かな反省が起つて来ました」という言葉が印象に残りました。敗戦のことは何年か前から分かっていた人の記録もあるんですが、折口信夫はどう考えていたのだろうか、と思いました。
 古代ギリシャ宗教が千年以上ずっと重要視されてこなかったように、日本における「神社教」は千年以上は下火の状態が続いていた。折口信夫はこう記します。「日本人は、信仰的に関係の深い神を、すぐさま祖先といふ風に考へ勝ちであります。その考へのために、祖先でない神を祖先とした例が、過去には沢山にあるのです。」「われわれはまづ、産霊神を祖先として感ずることを止めなければなりません。宗教の神を、われわれ人間の祖先であるといふ風に考へるのは、神道教を誤謬に導くものです。それからして、宗教と関係の薄い特殊な倫理観をすら導き込むやうになつたのです。」
  折口信夫は、日本の宗教を本来の状態に戻すには、こう考えるべきだと述べます。
quomark03 - 神道の新しい方向 折口信夫
 大きな神々をば、われわれの人間系図の中から引き離して、系図以外に独立した宗教上の神として考へるのが、至当だと思ひます。さうして其神によつて、われわれの心身がかく発育して来た。われわれの神話の上では、われわれの住んでゐる此土地も、われわれの眺める山川草木も、総て此神が、それぞれ、適当な霊魂を附与したのが発育して来て、国土として生き、草木として生き、山川として成長して来た。人間・動物・地理・地物皆、生命を完了してゐるのだといふことをば、まう一度、新しい立場から信じ直さなければならないと思ひます。quomark end - 神道の新しい方向 折口信夫
 
 このあたりは「昭和天皇の人間宣言」にも関連性のあることに思いました。「折口信夫全集 第二〇巻」に収録されている随筆です。
  

0000 - 神道の新しい方向 折口信夫

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細雪(19) 谷崎潤一郎

 今日は、谷崎潤一郎の「細雪」その19を配信します。縦書き表示で、全文読めますよ。
 今回は、鯛の料理や、桜という日本独特の美しいものごとを記しています。三姉妹はいつも桜と言えば、京都で桜をみるんです。今回の章は「細雪」の物語としての特徴がさまざまに現れていますので、全文を読むつもりが無い人は、この章だけを読んでみると、この大長編作品がいったいどういうものなのか、かなり見えるはずなので、一読をお勧めしたいと思います。たぶん国語の教科書で細雪を掲載するとしたら、この19章だけを載せるのでは、と思いました。
 作中で京都祇園は円山公園のしだれ桜がもう古びてしまっているということが指摘されているんですが、ちょっと調べてみると、この有名なしだれ桜が二代目に植え替えられたのはこの約10年後の昭和24年(1949年)で、初代しだれ桜の種子から育ったのが今も生きて花を咲かせているようです。本文にこう書いています。
quomark03 - 細雪(19) 谷崎潤一郎
  古人の多くが花の開くのを待ちこがれ、花の散るのを愛惜して、繰り返し繰り返し一つことを詠んでいる数々の歌、———少女の時分にはそれらの歌を、何と云う月並なと思いながら無感動に読み過して来た彼女であるが、年を取るにつれて、昔の人の花を待ち、花を惜しむ心が、決してただの言葉の上の「風流がり」ではないことが、わが身に沁しみて分るようになった。quomark end - 細雪(19) 谷崎潤一郎
 
 戦争をしていない1952年から2022年までずっと、人口1万人あたりの死者が100人を超えることは1回も無かったんですけど、戦前と戦中はずっと、世界大戦と農業機械の未発達が原因だと思うんですが、2倍3倍の死者が続いていて1945年がもっともひどいんです。人口の調査結果を見るだけでも、1947年と1952年あたりに、平和による生活の安定がいちじるしいわけで、そこにまだぎりぎり至れない時代に、この細雪が描かれたんだなあと思いました。
 今回は、幸子と貞之助夫婦の日常や、春の観光について記されていました。
ちょっと地図でこの三姉妹の観光先を調べてみました。谷崎は南禅寺と中之島の茶屋が好きなんだろうなと思いました。あと現代では圧倒的に南禅寺の桜が美しいのですが、じつは戦中では平安神宮の桜が美しかったらしいです。いま平安神宮というと銀杏並木であって、桜はあまり見受けられないんですが。
 漱石の「草枕」終章や、森鴎外の「高瀬舟」の罪人のはなしでも思ったんですけど、非人情な世界が広がっている状況ではかえって、「愛着の情」を見出すことがあるんだなと思いました。
 京都の旅を終えたあと、幸子は夫のノートを見つけます。夫婦で、なんとなく旅の歌を詠んでいるのでした。こんな歌でした。
quomark03 - 細雪(19) 谷崎潤一郎
 いとせめて花見ごろもに花びらを
秘めておかまし春のなごりにquomark end - 細雪(19) 谷崎潤一郎
  

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(総ページ数/約20頁 ロード時間/約3秒)
 
「細雪」の上中下巻、全巻を読む。(原稿用紙換算1683枚)
谷崎潤一郎『卍』を全文読む。 『陰翳礼賛』を読む。

■登場人物
蒔岡4姉妹 鶴子(長女)・幸子(娘は悦ちゃん)・雪子(きやんちゃん)・妙子(こいさん)