泥濘 梶井基次郎

 今日は、梶井基次郎の「泥濘」を配信します。縦書き表示で、全文読めますよ。
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 何をする気にもならない自分はよくぼんやり鏡や薔薇の描いてある陶器の水差しに見入っていた。心の休み場所——とは感じないまでも何か心の休まっている瞬間をそこに見出いだすことがあった。以前自分はよく野原などでこんな気持を経験したことがある。quomark end - 泥濘 梶井基次郎
 
この箇所が、コーネルの箱の美術を連想させるように思いました。石鹸の挿話が2回あるんです。これが絵画的というのか、奇妙な存在感を示していました。仕送りのお金をやっと手に入れて、町をゆく「自分」の心情と同時に、美しい情景が描写されてゆきます。ついうっかり間違って買ってしまった石鹸を見ていると、母の記憶と声が再生されます。月光と石鹸……。
 

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飛行機に乗る怪しい紳士 田中貢太郎

 今日は、田中貢太郎の「飛行機に乗る怪しい紳士」を配信します。縦書き表示で、全文読めますよ。
 ごくふつうの自動車を一人で運転しているときに、後部座席に物音がしたりすると、ほんとうに怖くなることがあると思うんですけど、これは荒海のなかをゆく飛行機で、居ないはずの客席に誰かが居るように思えてくる話しで……短い怪談なんですけど、しっかり恐かったです。
 

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 追記   実話ものなので、オチが無いのが逆に響いてくるように思いました。

細雪(17) 谷崎潤一郎

 今日は、谷崎潤一郎の「細雪」その17を配信します。縦書き表示で、全文読めますよ。
 今回ちょっと、不思議な描写があって、イギリスに幼い娘がいる、という美しい婦人カタリナの話があって、それがどうも、夕食に招かれたのに、そこに他の家族が一人もいない。料理が出て来るのかと思ったら出てこない、家が美しく家族も多いのに、みょうに部屋の中が狭い、となんだか不思議なんです。ずいぶんまっていると、こんどはあまたの料理が出てくる。「ハム、チーズ、クラッカー、肉パイ、幾種類ものパン、等々がまるで魔術のように一時に出現して置き切れぬ程に並べられた」
 ここから移住者となりディアスポラとして生きるロシア人が、中国や日本の政治について論じはじめるんです。小説の内部で、政治が語られてゆきます。とくに20世紀前半の英国の教育についてが論じられていて、これはこの時代には存在しないことになっていた本だなあと、思いました。
 十五年戦争中に日本で生きるロシア人というのは、発禁だらけの戦争中に、新しい日本人の姿を記す日本人作家と通底しているところがあるのでは、と思いました。言葉の行き先が不明になっている、という問題と、作中の不思議な人間描写には、響きあっているところがあるように思えました。
 この小説は、大日本帝国から発禁処分を受けて発表できなくなったんですけど、谷崎はまったく怖れることなく、そのまま書き継いでいって、戦後にもこの小説を描き続けて完成し、のちの米国やフランスで高い評価を受けているんです。時代を超える文学で、いま読んですごいと思うんだから、当時の人が読んだら破格の作品だったんだろうなあと、思いました。今回は、トルストイの書いた『アンナ・カレニナ』の登場人物と同じ名前だ、と作中に明記されているウロンスキー(ヴロンスキー)というロシア人の挿話が興味深かったです。
  

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「細雪」の上中下巻、全巻を読む。(原稿用紙換算1683枚)
谷崎潤一郎『卍』を全文読む。 『陰翳礼賛』を読む。

■登場人物
蒔岡4姉妹 鶴子(長女)・幸子(娘は悦ちゃん)・雪子(きやんちゃん)・妙子(こいさん)

寺田寅彦 路傍の草

 今日は、寺田寅彦の「路傍の草」を配信します。縦書き表示で、全文読めますよ。
 ヤギやウシにぜんぶ食われないように、植物は苦い成分を分泌してみたり、切れる葉先にしてみたり、根っこだけになってもまた再生する仕組みであったり、いろいろ自衛をしていると思うし、ミツバチを呼ぶために美しい花にしたり蜜をつくったりして、とにかく植物は居場所を変えられない代わりにいろんな工夫をしていると思うんです。ミツバチにも草食動物にも対応してきたのが植物だ、ということは明らかなので、とうぜん人類に対してもなんらかの対応をしているのが植物だと考えても良いと思うんです。子どもたちのイタズラで、植物が引っこ抜かれてしまう、潔癖な大人たちによって雑草がぜんぶ抜かれてしまう、巨大な都市設計で植物の居場所が減ってしまう、これに対応するために、植物はなにかをしているのでは、とか思いました。本文と全く関係がないんですが、枯草熱とか花粉症は人類に対する応答の一種なのでは、とか空想しました。
 寺田寅彦は、なぜか無法な子どもたちにイタズラされないで生き残る植物の特徴を観察してこれを記しています。「およそ地からはえ出る植物に美しくないと思うものは一つもなかった」という一文が印象に残りました。ところが自分で家や土地を管理しはじめると、草刈りをしないとどうにもならない。ほかにも、雑草といわれてきた植物が穀物に変化していったりする可能性について論じていました。藁をも掴むような話しとでもいうのか、藁で綿を作るというウソをいって金を巻きあげた詐欺師の挿話もありました。ここまですぐに分かってしまうウソだったら、だまされたほうも悪いのでは……という指摘がありました。
  

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過剰の意識 中井正一

 今日は、中井正一の「過剰の意識」を配信します。縦書き表示で、全文読めますよ。
 戦争が終わったのに、当時とまったく同じ方針で高度経済成長へ突入してゆく大都会の果てしない喧噪について中井正一が記しています。本文こうです。
quomark03 - 過剰の意識 中井正一
 「おはよう」というかわりに、東京では数百万の人がこの憎しみの中に浸され、「おやすみ」というかわりに、また数百万の人がこの哀しみの中にもまれて、その一日を過ごすのである。歴史が始まって、こんなかたちの人間の集合があったであろうか。quomark end - 過剰の意識 中井正一
 
 ぼくは日本で一位に混雑する列車に何年間か乗り続けたことがあるんですけど、じつはそれ以上に、当時の東京は闇雲に混雑していたのではと思えるような、100年前の東京の映像記録を見たことがあります。現代ではもうすこし混雑を緩和する仕組みができているように思います。中井正一は神話的な童話について回想をし、こう記します。
quomark03 - 過剰の意識 中井正一
  私は一つの童話を思い起す。強い力の巨人があった。彼は大地に身を置いているかぎり、その力を失わない。彼は時に大地から身を離すと、その力を回復するために、その大なる掌を開き、そのたなごころを、しっかりと大地に着けるという。
 私は力を回復するために、大地にじっと掌を置いている巨人の姿は美しいと思う。quomark end - 過剰の意識 中井正一
 
「私たちはただ受身で立ったり歩いたりしているだけである」……それから「手の骨格が、足の骨格から変わってきた何万年かの百年ごとの変革ぐらい知っていてよいのである。だのに何も知らない。」また「たとえ五千年の歴史が、どんな誤りを犯していても、この二十万年の驚くべき現実に比べれば、四十日のすばらしい旅行の最後の一日に風邪をひいているようなものである。」と告げます。
 二十万年の人間の歴史を、自身の身体から感じとるべく、歩いて、なにかを独自に言ってみるべきである、と中井正一は一九五一年の初夏に記していました。最後の一行が印象に残りました。ドストエフスキーの記した「大地」という言葉を連想する随筆でした。
 

0000 - 過剰の意識 中井正一

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ゲーテ詩集(37)

 今日は「ゲーテ詩集」その37を配信します。縦書き表示で読めますよ。
quomark03 - ゲーテ詩集(37)
 誰が我々の心を知らう?
 ああ、それを知つてくれる人があつたなら
 誰かの心に同感が充ち溢れたなら
 自然のすべての苦痛と喜びとを
 親しく二重に感じられたらquomark end - ゲーテ詩集(37)
 
 ところが、このようなことはほとんど起きないと、ゲーテは告げるんです。ゲーテは美しいことを記し、そのすぐあとに、現実の厳しさを指摘するんです。政治家の仕事もして、神話的な詩人であったゲーテの、重層的なまなざしが印象に残る作品でした。
 

0000 - ゲーテ詩集(37)

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