老年と人生 萩原朔太郎

 今日は、萩原朔太郎の「老年と人生」を配信します。縦書き表示で、全文読めますよ。
 萩原朔太郎といえば「月に吠える」がお勧めなんです。今回の随筆では、老いたくないという若いころの願望と、年老いてからの生きかたについて記しています。当時は今よりも寿命が短くて六十歳で晩年だったはずです。「初めて僕が、多少人生というものの楽しさを知ったのは、中年期の四十歳になった頃からであった。」という記載が印象に残りました。本文と関係が無いんですけど、僕個人としては「ほとんど稼げない」ということと「やれることが無い」ということでは、打つ手が無くてやることがまったく無い状態のほうがしんどかったです。朔太郎はこう記します。
quomark03 - 老年と人生 萩原朔太郎
  僕は物質の窮乏などというものが、精神の牢獄ろうごくから解放された自由の日には、殆んど何の苦にもならないものだということも、自分の生活経験によって味得みとくした。quomark end - 老年と人生 萩原朔太郎
 
 前半の数行が過激な内容なんですけど、すてきな随筆でした。
 

0000 - 老年と人生 萩原朔太郎

装画をクリックするか、ここから全文を読む。 (使い方はこちら) (無料オーディオブックの解説)
(総ページ数/約10頁 ロード時間/約3秒)
 

富籤 アントン・チェーホフ

 今日は、アントン・チェーホフの「富籤」を配信します。縦書き表示で、全文読めますよ。
 宝くじの9割くらいの数字が当たっていることを発見した状態で、のこりの1割の数字を見る前に、もし大金が手に入ったらいったいなにをしようか、ということを妙に考えはじめる。真面目な労働の対価を得るのではなくて、想定外のお金が手に入る……ということを、ずいぶん詳細に考え続ける男女の話で、これは……仮想の物語を詳細に書きあらわす、ということにも共通している話しに思いました。小説を作るという構造そのものの仕組みにも似たことが論じられているように思いました。ふつうなら考えられない金のことを考えてみる。すごい物語を描き続けたドストエフスキーが、どうしてギャンブルに夢中だったのかとか、そういうことも想起させられる小説でした。
 

0000 - 富籤 アントン・チェーホフ

装画をクリックするか、ここから全文を読む。 (使い方はこちら) (無料オーディオブックの解説)
(総ページ数/約10頁 ロード時間/約3秒)
  
追記  ここからはネタバレになると思うんですが……今とまったく異なる人生の展開を思い描くうちに、今ここの生きかたがズレてしまって、男女の間で諍いが起きる。新しい想定が見えすぎる人というのは、見えざる不和や苦労を背負い込むのでは、と思いました。さいごの言葉がほんとに、こんなに苦々しく笑うこともめったにない、と思いました。男のくやしまぎれの悪態というのが、表面上の言葉を突き抜けて、圧倒的なユーモアに到達しているという、絶妙なオチでした。

細雪(15) 谷崎潤一郎

 今日は、谷崎潤一郎の「細雪」その15を配信します。縦書き表示で、全文読めますよ。
 この作品は大長編作品なんですが、上中下の三巻に別れていて、いまげんざい第一巻の真ん中あたりなんです。
 主人公の雪子の縁談、というのをずっとやっているんです。古き伝統の縁談……なのかと思っていたんですけど、ちょっと調べてみると、日本では縁談というのが生じはじめたのはじつは、鎌倉武将とか戦国時代とかの、武家だけでやっていた政略結婚から始まった、限定された事態なんだそうです。たいていの時代の貴族や大衆は、ほぼ本人同士の恋愛結婚(または本人同士の決定)だったそうです。源氏物語の、婚姻におけるあまたの騒動、というのは、これを3回も繰り返し現代語訳した谷崎潤一郎は、深く意識していたと思うんです。
 こんかい、上巻の中心地点にいるんですが、縁談がついえておしゃかになったことが語られます。この物語が書かれて読まれたころの1944年は、どの主人公というかどの人びとも、自分の生きかたを選べないという時代だったはずで、この1944年の世界観というのを、源氏物語の世界観と一体化させてみると、「細雪」の雪子の人生観になるのでは、とか空想をしました。
 「細雪」の雪子は、豊かな生の中に居るはずなのに、自分で決める機会がどうも生じないんです。発禁を連発する帝国の軍部と、文学者谷崎と、日本の伝統の3つがせめぎ合って、この「細雪」が成立しています。帝国の徒はこの作品を時局に合わないということでふつうに発禁にしているわけですが、黙って谷崎はこの長編を書いています。ところが、戦後の感覚でこれを読みすすめていると、これはもう敗戦寸前の1944年の暗い世相の影響が色濃いとしか思えないんです。そこで描かれるのが、武家のはじめた縁談の1944年版というようなものなのでは、と思いました。
 雪子は幸福に生きるように父に望まれていたけれども、父はもう世話をすることができないので、代わりに雪子の姉が、雪子の未来を用意しようといろいろ工夫をしているところです。書かれて読まれたのは1944年ですが物語の内部では1941年に幕を閉じます。この数年後の戦争の終わりに向かって生きている人の日常生活が描かれています。いま読むと、ウクライナで平和に生きようとしている家族の日々が、連想されるのでした。
 雪子のお見合い相手として上手くゆくはずだった男とは破談になった。これを取りもってくれた井谷という女性は、破談になりそうな理由をいちおうは知っていた。
 蒔岡家の長をやらされている貞之助は、縁談をいろいろ準備してくれている井谷に謝る。なんでもかんでも断るわけではない、やむを得ない事情があるので、今回だけは無かったことになるんですというように、説明します。
 宇宙飛行士になりたいとかワールドカップに出たいとか、そういうのが挫折することはすごく良くあることだと思うんです。第一志望の学校や就職先に行けない、というのは現代人なら99%経験していることと思うんですけど、この時代の、破談というのはほとんどの男が体験してきてない、平和な絶望感というのがあるのでは、と思いました。
 思っていたような幸福に辿りつかない。雪子に直接の原因は無いんです。周囲では、きっと次こそ、幸福になる相手を見つけてきますので、と前向きに検討している。雪子は資産も人間関係も、とても豊かなところに居るのに、どう見積もっても青い顔をせざるを得ない事態に直面するんです……。富者には富者の不幸が、あるんだなあと、想定外の世界をまのあたりにして、知らなかった世界をのぞき見ている気分で読みすすめています。
 亡き父が望んだ幸福を用意する責任が、貞之助や幸子にはあるんです。そうなると雪子には自由恋愛という方針が持てなくなる。自分で未来を決められない事情がある、というのはこういう奇妙な状態を作るのかと、思いました。美容院の女主人の井谷さん、ってお見合いを用意する仕事を0円でやってるんですけど、すごい熱心なんです。こういう人は二十世紀前半中盤には、今と違って、目立って存在していたようです。「必ずこのお埋め合せは致しますから」と言っていて、縁談を上手く成立させるためにいろいろやるんだろうなあ、と思いました。
初婚の雪子には、あまりにも荷が重い、5人もの子どもが居る資産家の男が、いま妻を探しているという話しもあるんですが、自分で決める場合は、こういう婚姻の可能性もあるとは思うんですが、義理の妹の雪子にそんな苦労話を持ちかけるのは、どう考えてもありえない。自分で決めずに縁者が決める、という場合は、違う判断力というのが生じるようです。当時の血縁主義は、現代よりも色濃い。父の遺志とか、母から子へ受け継がれるものとか、いろんなことが気になってくる本なのでした。
 手に職をつけていて、ちょっと自由な暮らしを楽しんでいる4番目の娘の「妙子はここのところ、来年早々第三回目の人形の個展を開くためにずっと製作に熱中していて、もう一箇月も前から毎日の大部分を夙川しゅくがわのアパートで暮していた」妙子は恋愛も仕事も順調で、趣味で、舞を習うことに夢中なんです。姉の幸子にこれをちょっと披露する。なんだか華やかな場面でした。見えざる戦争の死者と、自然な死とが重ね合わせて描かれている場面に思いました。本文こうです。
quomark03 - 細雪(15) 谷崎潤一郎
  両親達は草葉の蔭からどのようにながめておいでか……と思うと、幸子は妙にたまらなくなって涙が一杯浮かんで来たが、
「こいさん、お正月はいつ帰って来る」
と、強いてその涙を隠そうともしないで云った。
「四日には帰るわ」
「そんならお正月に舞うてもらうさかいに、よう覚えて来なさいや。あたしも三味線稽古しとくよってにな」quomark end - 細雪(15) 谷崎潤一郎
 
 この前後の描写が美しかったです。
 

0000 - 細雪(15) 谷崎潤一郎

装画をクリックするか、ここから全文を読む。 (使い方はこちら) (無料オーディオブックの解説)
(総ページ数/約20頁 ロード時間/約3秒)
 
「細雪」の上中下巻、全巻を読む。(原稿用紙換算1683枚)
谷崎潤一郎『卍』を全文読む。 『陰翳礼賛』を読む。

■登場人物
蒔岡4姉妹 鶴子(長女)・幸子(娘は悦ちゃん)・雪子(きやんちゃん)・妙子(こいさん)

女 水野仙子

 今日は、水野仙子の「女」を配信します。縦書き表示で、全文読めますよ。
  女性の作家が、自作の題名を「女」とするのはなんだか妙だなと思いながら読みはじめたら、これが想定外にハードボイルドな小説で面白かったです。拷問と探偵と謎解き、というのが展開します。安吾や武田麟太郎が書きそうな日本近代の家並みと、犯罪の謎解きが入り混じる、不思議な小説でした。
 

0000 - 女 水野仙子

装画をクリックするか、ここから全文を読む。 (使い方はこちら) (無料オーディオブックの解説)
(総ページ数/約10頁 ロード時間/約3秒)
  
 
電子書籍サイト『明かりの本』を運営し制作していますシュンといいます。
『明かりの本』ではシルエット写真のための女性モデルを募集しています。
● Photoshopのデジタル絵の素材として繰り返し使用します。個人を特定しにくい写真を求めています。
● まずはお気軽にお問い合わせを。  

digitalbookartimagesono01326 300x400 - 女 水野仙子

政事と教育と分離すべし 福沢諭吉

 今日は、福沢諭吉の「政事と教育と分離すべし」を配信します。縦書き表示で、全文読めますよ。
 福沢諭吉はこう述べています。
quomark03 - 政事と教育と分離すべし 福沢諭吉
 政治は人の肉体を制するものにして、教育はその心を養うものなり。ゆえに政治の働は急劇にして、教育の効は緩慢なり。quomark end - 政事と教育と分離すべし 福沢諭吉
 
 政治は、農業や産業といった、さまざまな業態を、状況にあわせて増やしたり減らしたりということをおこないます。「政治の働は、ただその当時に在りて効を呈するものと知るべき」と福沢諭吉は言います。人びとの動きを制御するわけですが、人がどう生きるのかというのは、心の問題であって、教育によるしかない。信号機は、道路にいる人の動きを停止させるわけですけど、人が道を進んでどこに行くのかは心が決めるわけで、それは教育によってゆるく変化させてゆくしかない。
 今まさに停止してもらうには、信号機や政治が必要だけど、長期的に見てどこに行くのかは、政府は関われない。教育ならこれは論じられる。
「心の運動変化は、はなはだ遅々たるを常とす」そして「人生の教育は生れて家風に教えられ、少しく長じて学校に教えられ、始めて心の体を成すは二十歳前後にあるものの如し」さらに「その実際は家にあるとき家風の教を第一として、長じて交わる所の朋友を第二とし、なおこれよりも広くして有力なるは社会全般の気風に」よるところが大きい。
家の考え、近しい友の考え、社会全体の考え、それと教育による考え、これで文武や芸がそれぞれの個人の中で形づくられる。けっきょくは、社会全体の考えというのが、人の心を教えて、強い影響を与える。
 今回の福沢の主張としては、戦国時代の終わりごろから文字の教育が成立していった、それまでは「文字の教育はまったく仏者の司どるところなりしが、徳川政府の初にあたりて主として林道春はやしどうしゅんを採用して始めて儒を重んずるの例を示し、これより儒者の道も次第に盛に」なった。
「全国の士人がまったく仏臭を脱して儒教の独立を得るまでは、およそ百年を費し」たそうです。
 教育の効果は、ひじょうにゆっくりとしていて遅いわけで「政事の性質は活溌にして教育の性質は緩慢なり」ということを述べ、その政治と教育が入り混じってしまうと「弊害」が生じる。緊急医療のように今すぐに効果を生じさせるのが政治で、急を要する政治というものを、教育と混ぜてしまうと、言ってみれば、緊急手術に必要な麻酔薬そのものを、日常の食事に繰り返し混ぜるような、異様なことになってしまう。
 福沢諭吉は「ただ政治上の方略に止まるべきのみにして、教育の範囲に立入るべからず」と記します。
 「政教分離」とか「文民統制」といった、wikipediaの頁と一緒に読んでみました……。
 僕は十代後半で技術系の学校に通っていたという自認があるんですが、じっさいに長期的に働くためには、なんらかの技術を身に付けたほうが人生がうまく進展するような気がします。福沢諭吉は、教育は、遅く作用するものを中心にすべきで、政治の要請に完全に従った急ごしらえの訓練形式の教育は、これは間違った教育だと、たぶん言うのだろうなあと、思いました。「数十百年を目的にする教育」が必要だと、述べていました。ゆっくり進展する教育……。
 福沢諭吉は、政治が廃刀令を出して士人の心が変化したというのはまあ、妥当な政策だったけれども、この廃刀というのを教育で、同じように短期間で実現しようとした場合、急激に教えることになって絶対に無理がある。政治がすべき行いと、教育がすべき行いは、まったくちがうと、書いています。ちょっと正確性を欠く記載なので、詳しくは本文をご覧ください。「実に政治は臨機応変の活動にして、到底、教育の如き緩慢なるものと歩をともにすべき限りに非ず」と福沢諭吉は言います。
「教育の即効を今年今月に見んとする」のは辞めたほうがいい。
「学校の教育と」「政事とを混一して」たいへん粗暴な状態になったことがある、という実例も書いていました。福沢諭吉の「目的とするところは学問の進歩と社会の安寧」であってそのためには「政教の二者を分離して各独立の地位を保た」せ「政事は政事にして教育は教育なり」とすることがだいじで「相近づかずして、はるかに相助け」よ、と告げています。
 

0000 - 政事と教育と分離すべし 福沢諭吉

装画をクリックするか、ここから全文を読む。 (使い方はこちら) (無料オーディオブックの解説)
(総ページ数/約10頁 ロード時間/約3秒)
 
追記   むかし、今すぐに改革すべき喫緊の問題に、教育者がほとんど関われないのは、いったいなぜなんだろうと思ったことがあったんですが、その謎がちょっと解けたように思いました。教育の効果は遅い……二十年後になって納得する助言をしてくれた人が、教育に聡い人だ、と言える気がしました。
 

ゲーテ詩集(35)

 今日は「ゲーテ詩集」その35を配信します。縦書き表示で読めますよ。
 ゲーテといえば……春と真夏の詩人というイメージなんですが、今回も、明るい自然界を描きだすんです。現代人よりも、ゲーテのほうが春と自然を言祝ぐということは、それだけ厳しい冬に耐えてきた結果なのでは、と思いました。
  

0000 - ゲーテ詩集(35)

装画をクリックするか、ここから全文を読む。 (使い方はこちら) (無料オーディオブックの解説)
(総ページ数/約10頁 ロード時間/約3秒)
 
全文を読むにはこちらをクリック