二筋の血 石川啄木

 今日は、石川啄木の「二筋の血」を配信します。縦書き表示で、全文読めますよ。
 勉強ができずに泣いてばかりいた幼いころの石川啄木の思い出が記されます。
 学ぶことの楽しさを教えてくれた、藤野さんという幼年期の友だちがいて……これはほんとうにあったことなんだろうなあ、と思いました。美しい子供時代の描写に思いました。
 後半で記される二人の死について考えたこと、貧しい老婆の話、それから幼い友を悼む描写に、平熱の文学とは異なる感動がありました。そのあとにこの初版本の編者が記す〔生前未発表〕という記載に衝撃を受けました。子どもたちに読ませるために書かれたような、やさしい童話のような文体でありながら、生前の啄木はこれを発表しないことに決めていた。原稿を封印した理由はなんだろう、啄木にとって文学はどういう意味を持っていたのだろうか、と思いました。
  

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晶子詩篇全集拾遺(65)

 今日は、与謝野晶子の「晶子詩篇全集拾遺」その(65)を配信します。縦書き表示で、全文読めますよ。
 由良之助というのは、忠臣蔵の大石内蔵助のことです。このほんとに与謝野晶子が書きそうにない、奇妙な詩について調べてみたのですけれども、どうもこれは忠臣蔵をとりあつかった落語の冗談をさらに現代化したちょっとした詩で、二重の冗談を書いた、ということなのだ、とわかりました。『走れメロス』のように、主人公(由良之助とか武蔵など)がだいじなところになかなかやって来ない、というのを、むかしの人はみんな知っていた……そうです。ぼくは知らなかったですけれども。
 それからもうひとつの「冬晴」という作品ですけれども、1933年(昭和8年)12月の詩をwikipediaの年表を見比べながら読んでみると、与謝野晶子の書く平和という言葉が重い意味を持つ時代だったのだと思いました。今回の詩は、「霧氷」における哲学的な問いかけもあって、ほんとお勧めなんです。離れてみると富士山は美しい、というのと百年経ってからみると与謝野晶子の詩歌が美しい、というのには論じるべき共通項がある。
  

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蠅 海野十三

 今日は、海野十三の「蠅」を配信します。縦書き表示で、全文読めますよ。
 ぼくは子供のころ、SF小説か随筆だけをずっと読んでたんですけど、大人になってから近代文学を読みはじめました。そこで発見した作家の中で、日本SFの開祖みたいな海野十三がなんだか面白いと、思うんです。現代SFと読み比べてもまったく見劣りしないレトロSFだと思います。百年くらい前によくまあこんな近未来的なことを考えられたもんだと、感心します。ごくごく小さなロボットって、現代では全長2ミリくらいのロボットがあるわけなんですけど、発明できたのはつい最近のことだと思うんですけど、そういう現代開発が行われているような新しい技術について、百年前に生きた海野十三が空想しています。レトロでちょっと不気味なんですけど、空想をずいぶん具体的に描いているので、読んでいて面白いです。
 

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若鮎の気品を食う 北大路魯山人

 今日は、北大路魯山人の「若鮎の気品を食う」を配信します。縦書き表示で、全文読めますよ。
 美味い鮎がどういうものか、というのを記しています。ぼくは鮎といえば塩焼きがいちばん好きです。けっきょくは釣りたての鮮度の良い鮎が美味い……という話になっているのですけれども、その料理のさまざまな種類と食べかたについて論じつくしているのが、食欲をそそられる随筆でした。魯山人は、鮎の頭も食うようです。YouTubeでも鮎の動画はいろいろありました。
 

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野分(7) 夏目漱石

 今日は、夏目漱石の「野分」その(7)を配信します。縦書き表示で、全文読めますよ。
 与謝野晶子の乱れ髪の歌集を彷彿とさせるような詩を歌う女が、登場します。それからミロのヴィーナスの塑像について男女二人で論じ合うんです。西洋の神と、みだるる髪。この作品の題名は『野分』なんです。野分というと台風のことで、てっきり罹災にかかわる本なのかと思っていたのですが、どうもそうではないようで、文士たちの活動が静かに描写されてきました。今回の第七話でやっと『野分』と記されたんです。調べてみると、この長編小説に『野分』と記されるのはたったの1回だけで、こんかいのこの詩だけで使われているんです。ですから漱石はここの詩のイメージを物語の中心に、したことになるはずなんです。こういう新体詩です。
quomark03 - 野分(7) 夏目漱石
  いたずらに、吹くは野分の、
いたずらに、住むか浮世に、
白き蝶も、黒き髪も、
 みだるるよ、みだるるよ。quomark end - 野分(7) 夏目漱石
 
 漱石が、ここで与謝野晶子の「みだれ髪」を想起していない、というのは確率としては低いはず、と思います。与謝野晶子の文学からインスパイアされて、作中の女性が生き生きと記されていった、かもしれない、と空想をしました。与謝野晶子にはこういう歌があります。
quomark03 - 野分(7) 夏目漱石
  夏花に多くの恋をゆるせしを神悔い泣くか枯野ふく風quomark end - 野分(7) 夏目漱石
 
 自由恋愛は難しい時代に、与謝野晶子の詩歌は、世間や文学界からみたら衝撃だったはずです。ぼくの空想では、漱石はこういった歌をイメージしつつ、この物語を紡いだのではないかと、いうふうに推測しました。ただ今回は、漱石にしては珍しく、男女の関係性はほぼまったく描かれずに、孤立しかかっている三人の男たちが記されてゆくんです。「野分」という言葉も、自然界に於ける野分というよりも現代でも使われる言葉でいうと「風当たりが強い」というような世間からの圧力のことを「野分」と記しているんです。野分に漱石はこう記します。
quomark03 - 野分(7) 夏目漱石
  中野君は富裕ふゆうな名門に生れて、暖かい家庭に育ったほか、浮世の雨風は、炬燵こたつへあたって、椽側えんがわ硝子戸越ガラスどごしにながめたばかりであるquomark end - 野分(7) 夏目漱石
 
 というように本文では書かれています。「野分」の意味は近代の文士に対する、この「浮世の雨風」のことを意味しているんです。批評性を持つ文学者が、世間からの排斥を受ける。自分としては、この小説の想像力は、与謝野晶子夫婦が世間から受けた不当な風雪について考えたこと、それをメタファーとして物語にしていったように、自分としては思えました。作中で高柳君は、最初は多数派を操る権力者たちに従ってしまっていて、白井先生を不当に攻撃していた。ところが白井先生の文学を垣間見て、その考えを改めて、世間の風を受けて立つ、という意志を持ちはじめている。こんかいの第七話は急に男女のことが記されていて、女には、まるで源氏物語の中心人物のように名前が記されておらず、なんだか不思議な展開でした。
 

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水の三日 芥川龍之介

 今日は、芥川龍之介の「水の三日」を配信します。縦書き表示で、全文読めますよ。
 これは若いころの芥川龍之介の随筆で明治四十三年の罹災生活の三日間のことを記しています。
 芥川龍之介は効率最優先という世界からかけ離れたことを書くんです。なんでも手作業でやるよりほかない、芥川龍之介とその同級生たちは、罹災民のお手伝いをしていて、手紙の代筆をせっせとやっていっている。大水で生き残った人たちには怪我がなく、家は失われても取り乱さずに避難生活を送っている様子が描かれます。芥川龍之介の記す、避難所の細部の描写が印象に残りました。
   

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