鬼 織田作之助

 今日は、織田作之助の「鬼」を配信します。縦書き表示で、全文読めますよ。
 戦時中で貯金も底をついて、喰うのもままならない、いかにも鬼が立ち現れてきそうな、そういう時代にいったいどのような鬼が出てくるのか、と思ったら、娯楽も言論もほとんど封じられてしまったころに、小説を書く仕事をしている男が居る。これがほんとに仕事の鬼で……オチの一言もすごい。鬼、という言葉を改めて辞書で調べてみると、知らなかった歴史のこともいくつか書いていました。

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論語物語(23) 下村湖人

 今日は、下村湖人の「論語物語」その23を配信します。縦書き表示で、全文読めますよ。
 孔子の言葉といえば「四十にして惑わず」「六十にして耳順う」というように順調に人生の道を歩んでいるようにいっけん見えるのですが、下村湖人の物語を読んでゆくと、孔子は正しい政治を実現するためにえんえん努力しつづけ、戦国の世界に正面からぶつかっているんです。孔子は六十歳を超えたというのに乱世の国々を放浪し「到るところで迫害と嘲笑とを以て迎えられねばならなかった」と書かれています。孔子は当時も現代もすぐれた賢者として知られているのですが、それを政治に活かすための権力は、ほぼまったく持っていないままなのです。孔子はそれを実現するための道を歩みつづけている。
 楚の昭王のところへ向かいたい孔子なのですが、陳と蔡の権力者たちがこれをおそれて阻み「孔子の一行を包囲さした」のです。
「立ったままでは疲れる。ゆっくり坐って」いるべきような状況で、孔子は「野獣のように曠野にさまようている」と自らの人生を語ります。
 孔子がもっとも信頼する弟子、顔回は「五日間の野宿で、誰よりも弱っている」うえ「彼の顔は、ほとんど死人のように青ざめて見え」る状況に陥ります。
 勇ましい子路でさえ「孔子が全く無策でいるのが腹立たし」く感じ、琴を弾く孔子に対して「行詰った揚句の自己欺瞞」だと疑問を感じています。
 君子であっても窮地におちいることはある。しかしそこでみだれることがないように生きることが大切だと、孔子は語ります。
 本文とまったく関係が無いんですけど、ぼくの場合はちょっと嫌がらせを受けただけで途端に態度が悪くなり、やる気がなくなる性格でまさに孔子が言うところの小人の世界観の中に住んでいるんだと思うんですけど、孔子は命の危険さえある状況で、取り乱さないんです。まさに賢者です。
 世に容れられなくとも、道を修めることの重要性を、孔子は説きます。これには納得がゆくんです。世間的にはずっと不成功の状態であっても、道を修めつづけることはできると思うんです。
 孔子は、長い時間をかけて包囲が緩むのを待って、楚の昭王のところへかろうじて辿りつきます。……次回に続きます。

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『論語』はこちら(※論語の原文に近い日本語訳です)

故郷 魯迅

 今日は、魯迅の「故郷」を配信します。縦書き表示で、全文読めますよ。
 魯迅といえば「阿Q正伝」や「狂人日記」が代表作で、こんどまた再読をしてみようと思います。
 都市に出て働いた主人公「わたし」は、子どものころの暮らしかたとは断絶した仕事をしていたはずです。昔のことはほとんど忘れてしまった。それが古里に帰って、三十年前に親しかった閏土じゅんどと再会するんです。「わたしは閏土が来ると聞いて非常に嬉しく思った」と魯迅は記します。
 幼いころの懐かしい記憶が甦る。しかし……閏土はかつてのうるおいある心もちを失っており、生活費を捻出するために貧しい生き方をするよりほかない状態だった。「わたし」はそれをあわれに思って様々なものを与え、彼の苦を慮った。閏土こそが「わたしのあの時の記憶がいなずまの如くよみがえって来て、本当に自分の美しい故郷を見きわめたように覚えた」と言わしめる存在なんです。それが今はもう、「旦那様」と貧民のような関係性になり果ててしまった。閏土と再会し九日後に古里を去るのですが、そこでの閏土との別れのシーンが割愛されているんです。これがかえってもの悲しい。交流にさえ、ならない……。閏土にとって「わたし」は大都市に出て成功した成金のような存在になってしまっている。
 「わたし」はけっして都会で裕福になったわけではない。苦労は絶えないんです。
 魯迅は両者のことをこう捉えています。
「わたし」は辛苦展転・・して生活している。
 そうして閏土は、辛苦麻痺・・して生活しているんです。
 魯迅はまだ道にさえなっていないところを歩みつづけ、展転して生きる人生を選んだ。そのために麻痺した生き方との訣別の意思があって、それが終盤の物語展開に反映されているように思いました。
 

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文学好きの家庭から 芥川龍之介

 今日は、芥川龍之介の「文学好きの家庭から」を配信します。縦書き表示で、全文読めますよ。
 芥川龍之介がとても幼かったころに、どのように文学に接していったのかを記しています。
 そういえば、漱石と芥川はともに英語教師で、英語の研究ののちに、文学の創作を進めていったところがあるように思います。新しい言語を学んでいるうちに、言葉の新しい使い方について考えるようになったのでは、と思っています。
 芥川は子供のころ泉鏡花「化銀杏」を読んだのがはじめての小説読書体験だったそうで、しょっぱなからこんな美しい文章を読んでいたのか、と思いました。こんど泉鏡花をいくつか読んでみようと思います。
 

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晶子詩篇全集拾遺(52)

 今日は、与謝野晶子の「晶子詩篇全集拾遺」その(52)を配信します。縦書き表示で、全文読めますよ。
 今、令和三年なんですけど、この詩は昭和の二年の正月の詩で、天皇のことを記しています。当時どのように、天皇の言動が与謝野晶子に伝わっていたのだろう、新聞がそのことを詳しく書いていたのだろうか、どのような伝達の仕組みだったのだろうと思いました。
 その翌年に記された昭和三年の詩「君が愛、音楽、詩の力」ということば、この君に含まれる意味は、いったいどこまでなんだろうと……今回の与謝野晶子の詩はちょっとその内実の説明を求めたいもので、この3つの詩について質疑応答してもらいたい。与謝野晶子当人の後述を必要とするような、詩だなあ、と思いました。
 
世は変る、変る、
新しく健やかに変る、
大きく光りて変る。
世は変る、変る、
偏すること無く変る、
…………

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夕靄の中 山本周五郎

 今日は、山本周五郎の「夕靄の中」を配信します。縦書き表示で、全文読めますよ。
 山本周五郎の時代劇をほとんど買ったことが無かったのですが、読んでみるとやはりすごいものでした。いかにも暗いことの起きそうなところに、意外な展開があって、多くの人々を魅了してきたのも頷けると思いました。人情と非人情の均衡、この配分がみごとに思いました。
 ほんの僅かの時間しか関わりを持たなかった人が、人生の転換に於いて深い影響を及ぼす……それも偶然の事故が多い世の中であるのにもかかわらず、幸運にもものごとが上手く展開する。禍を転じて福となすというのか、諍い果てての契りとでもいうのか。
 序盤と終盤に現れてくる夕靄のイメージが印象深かったです。日本をこのように美しく描くのか、と思いました。
    

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