舞姫 森鴎外

 今日は、森鴎外の「舞姫」を配信します。縦書き表示で、全文読めますよ。
 この森鴎外の代表的な作品は、難解な文体で記されているので、wikipediaに記された解説と一緒に読むと、読みやすいかと思います。
 「余」は五年前にベトナムはセイゴン(サイゴン港)を通りすぎて、ドイツを訪れた。
 主人公はいまイタリアは「ブリンディジ」の港を出て二十日ほど経っていて、もうすぐ日本に帰りつく状態で、この舞姫のことを書きはじめたんです。
 知られざる恨みが「余」の心を悩ましている……。その恨みというのがなにかを「余」は書きはじめるんです。幼いころからシングルマザーの母に育てられて、母を喜ばせるために「余」は学問にはげんで、官僚になってベルリン留学を命じられた。
 ハイネも詩に描いた「ウンター・デン・リンデン」が舞台として描かれているんです。この近くで「余」は教会で泣くエリスという女性と出会って、このエリスを援助し交際します。
ハイネは「ウンター・デン・リンデン」についてこういう詩を書いています。
quomark03 - 舞姫 森鴎外
 友よ、このウンテル・デル・リンデンへ来い
ここでおまへは修養が出来る
ここでおまへは目のさめるやうな
女逹を見てたのしめる
みんな派手な着物のぱつとした
愛嬌のあるやさしさに
どつかの詩人は頭をふつて
さまよふ花だと名を附けた
…………
……quomark end - 舞姫 森鴎外
 
 鴎外の「舞姫」のモデルとなった世界観は、このハイネの詩なのかと思います。というのも「舞姫」の本文には「力の及ばん限り、ビヨルネよりは寧ろハイネを學びて思を構へ」と書いています。ビヨルネ(ルートヴィヒ・ベルネ)もハイネも、共通項があるんです。それはパリに亡命して移住者となっているんです。ユダヤ人でもあるハイネが、出会いの物語をつくって、その次の時代に離散の物語が現れた……。ディアスポラとなるか、故郷に帰るか、という問題について考える物語になっていました。
 国を出て世界をつくって、また日本に帰って2つの世界を行き来した。その2つの世界の、境界線のところに、ハイネや「舞姫」が拡げる文学性があるように思いました。
 文体が難しすぎて読めない、というかたは、「舞姫」現代語訳版がネット上にありましたので、検索して読んでみてください。2回読まないと、内容が判らない、むつかしい本でした。
 ハイネはウンター・デン・リンデンの「出会い」を描いて、鴎外がこの詩の続きであるかのような「別れ」を連歌のように描いたのでは、と思いました。エリスはさいご悲劇のヒロインとなっていて、終盤の数行は衝撃的なものでした。
 作中の中盤で「大學にては法科の講筵を餘所にして、歴史文學に心を寄せ、漸く蔗をむ境に入りぬ」と、法学をほっぽりだして歴史や文学に夢中になったと、こう書いているんですが、これは鴎外本人にそっくりなんです。架空の小説と自伝の混交した作品では、と思いました。
 出航と帰航、出会いと別れ、家族と孤立、援助と断絶、友情と愛情、ハイネと鴎外、移住と帰国、エリスと太田豊太郎、信頼と裏切り、開放と閉鎖、部分と全体……放浪と帰属の物語でした。
 

0000 - 舞姫 森鴎外

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地球を狙う者 海野十三

 今日は、海野十三の「地球を狙う者」を配信します。縦書き表示で、全文読めますよ。
 これは……小中学生くらいが対象年齢のSF小説だと思います。
 中盤から、火星の異変についての問題と、これを研究する老博士の異変の問題が、2つ同時に進行してゆきます。
 ぼくは海野十三の「敗戦日記」がすごい本だと思っていて、後半で原爆に関する、投下当時の考察と、広島に移住する家族のことが記されているんです。今回の子ども向けSF小説では、帝国主義の影響が色濃いんです。ガンジーの「日本の全ての方々へ」と同時に2冊読むと、興味深いものであるように思いました。「深淵を覗くとき、深淵もまたこちらを覗いているのだ」というニーチェの警句を思いだしました。
 
 

0000 - 地球を狙う者 海野十三

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追記  序文というか最初のアオリ文が奇妙で、ここまでウソとはっきり分かるモノは、かえって落ちついて読めるもんなのでは、と思いました。近代小説はそもそも現代から遠い世界のことを書いているので、刺激が少なく、落ちついて読めると思うんですけど、この本はとくにそうだな、と思います。

婦人の笑顔 島崎藤村

 今日は、島崎藤村の「婦人の笑顔」を配信します。縦書き表示で、全文読めますよ。
 日本の文学というと、紫式部と清少納言の存在が大きく、「ひらがな」を使って文学を書きはじめたのも女性で、さいしょから文学は女性が中心になって創られてきた、というように思うんですけど、近代文学では男の作家だらけなんです。島崎藤村は日本文化の女性性に造詣が深い作家だと思うんですが、こんかいは古人の記した「おふく」という女性についてごく短い随筆を書いています。
quomark03 - 婦人の笑顔 島崎藤村
  中世以来、続きに続いた婦人の世界の暗さを思へば、「笑」を失つたものが多からうと思はれる中で、あれは光つた笑顔に相違ない。quomark end - 婦人の笑顔 島崎藤村
 
 という指摘が印象に残りました。紫式部の描きだした「末摘花」を連想させるエッセーでした。最後の一文が、謎めいていてすてきでした。
 

0000 - 婦人の笑顔 島崎藤村

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(追記  数日間ほど離席していました……更新がちょっとだけ滞っております。ご了承ください。)

倫敦消息 夏目漱石

 今日は、夏目漱石の「倫敦消息」を配信します。縦書き表示で、全文読めますよ。
 イギリス留学中に漱石はなんだかおかしくなった、という奇妙な噂があったらしいんですが、そのころにじっさいの漱石はどういうことを考えていたのか、ロンドンでの出来事を漱石が記しています。
 まずはイースターのことや旅行のこと、朝食の焼パンやベーコンのことなどが記されています。
 漱石は英語や英文学を学びながら、2つの拠点がある状態でこう考えます。
 日本人のほとんどが「日本に満足して己らが一般の国民を堕落の淵に誘いつつあるかを知らざるほど近視眼であるか」ということを論じています。
 「吾輩」の日記のような記載が続いてから、トルストイが宗務院シノードから破門されたことについて書いていました。これは当時は世界的に報道された問題で、ネットではこの記事で詳細に記されていました。
 イギリスで下宿先の引越をせねばならなくなった事態や、英語の専門家である漱石が、ネイティブからいろいろ得意げに教えられてちょっと辟易とした話の箇所がなんだかユーモラスでした。
 この本は実話に近いものだと思うんですけど、ぼくとしては「吾輩は猫である」の中盤部分よりもずいぶん興味深い物語であると思いました。
 最後にどうしてこのロンドン日記を書いたのか、正岡子規のために書いた、という一文は、自分としては漱石文学全体を読むにあたって重要な記載であると思いました。
 

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時間 横光利一

 今日は、横光利一の「時間」を配信します。縦書き表示で、全文読めますよ。
 ぼくはこれを読むのは2回目です。サーカスの座長が、消え去ってしまって、取り残された「私達」は、宿屋の宿泊費を払う金さえ無い。そこから集団で脱走劇が始まるんですが、映画の序盤のように悪役がまったく目に見えない、見えないところを言語化しつづけているのがなんだか迫力のあるように思いました。
 逃走している集団の中で1人だけ病人がいる。その人とどう逃げてどう生き延びようか、というところの描写が印象深かったです。
 

0000 - 時間 横光利一

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追記  用意周到な伏線を張り巡らせた超絶技巧の現代海外ドラマを見慣れてしまうと、近代の小説がちょっと陳腐に見えてしまって、それで良いのかと、突っ込んでしまいたくなるようなオチに遭遇することがあると思うんですが、今回のはどうもそれで、精読できる読者はもっとこの小説の魅力を発見できるんだろうなあ……と思いました。
 

生きている看板 小川未明

 今日は、小川未明の「生きている看板」を配信します。縦書き表示で、全文読めますよ。
 シラーあるいはシルレルという詩人の名前よりも、作られた「メロス」という架空の人物のほうが良く知られるようになる、ということがままあると思います。小川未明はこんかい、生きているような作品について、みごとな童話にして記しています。
 

0000 - 生きている看板 小川未明

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白眉の童話でした。