今日は、伊藤野枝の「惑い」その6を配信します。縦書き表示で、全文読めますよ。
どうも、ダダイストの辻潤というのが逸子の夫にそうとう似ている、らしいのです。ぼくはあまりちゃんと調べられていないので、どのていど辻潤との共生が物語に反映されているのかまだよく分かっていないのですが、時期的にはちょうど辻潤と別れて月日も経って、このことを物語に描きやすい状況になったころに描かれた小説です。
wikipediaに記された伊藤野枝の年表がすごかったです。おおよその寿命が四十歳だとか言われていた百年前ですから、当時の二十歳というのは人生の折り返し地点だったのかもしれないのですが、二十歳でこんなに活躍して大騒動があるものなのかと驚きました。wikiにはこう記されています。
1915年(20歳)1月 らいてうの仕事を引き継ぎ『青鞜』編集兼発行人となる
5月 辻潤が野枝の従妹と関係を持ったことを知りショックを受ける
7月20日 婚姻届を出し、辻潤の戸籍上の妻となる
11月4日 次男・流二を出産
年表に比べると、この小説の展開は地味なんです。家庭のなかで生きる逸子の、貧しさと行き詰まりが描かれています。表現が具体的に制限されていたというのもあると思いますし、なによりも伊藤野枝は評論こそが活動の本懐であって、この小説はただ素朴に描いていたのではと、思います。
伊藤野枝はバイタリティーがすごいのか、赤子の子育てをそつなくやりおおしていたからこれを簡素に描くのか、あるいは大事な者はあまり外部へ向けて記さないように気をつけていたのか、どうなのだろうかと思っていたのですが、今回の逸子は家族からの要求に応え続け、心的な労苦が蓄積していて、家族は金の無心ばかりしてくる状況で、悦子はついに『あゝ、つまらない!』という怒りを言葉にするのでした。
伴侶に対して「自分では決して嫌な思いをしないで済す事許り考えている」という逸子と野枝の批判が、突き刺さるように思いました。
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