私の信条 豊島与志雄

 今日は、豊島与志雄の「私の信条」を配信します。縦書き表示で、全文読めますよ。
 これは作家で翻訳家の豊島与志雄が、個人的な自由のことを語っている随筆です。もとからひとりっ子で1人の時間が長く、他人と約束をして時間の進行が固定されることに慣れていない、そういう作家の人生が描かれています。時間の余裕とお金の余裕はじつは繋がっていないことが、よくあると思います。お金は無いけど時間だけある人も居れば、一生分の貯金はあっても時間の余剰は少ない人もいる。近代文学のたいていは、時間が豊富にある人の話が多いと思います。与謝野晶子と漱石と鴎外が、時間の無いところを豊かに生きたんだと思います。豊島与志雄のこの文章がすてきでした。
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 打ち明けたところを言えば、仕事の実践よりも、それ以前の瞑想の方が遙かに楽しいのである。原稿紙に向っての文字による造形には、一つの決定的なものが要請されるが、その一歩手前の瞑想には、無限の可能性が含まれる。この可能性の中を、私は自由に逍遙したいのである。仕事に怠惰であっても、瞑想に勤勉だと、自惚れている始末だ。quomark end - 私の信条 豊島与志雄
 

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 言葉にされることのない詩心や、記されることのなかった偉人、ということについて考えるのが文学なのでは、と思いました。

かたい大きな手 小川未明

 今日は、小川未明の「かたい大きな手」を配信します。縦書き表示で、全文読めますよ。
 これは人魚や胡蝶のあやかしを描いてきた童話作家の、戦後の様相を描く、実話っぽい作品です。小川未明と言えば幻想的な異変が起きる物語を描くと思うんですが、今回はごく普通の家族の様相を描きだしていました。敗戦後の食糧難のころの、人々の姿が描きだされます。銭湯とお金とぬすびとの話でした。戦後すぐにはこの本が読まれたんだ、と思いました。
 

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ゲーテ詩集(17)

 今日は「ゲーテ詩集」その17を配信します。縦書き表示で読めますよ。
「人間嫌ひ」という題名と内容が、ミスマッチのようでいて、やはり的確な題名のように思えて、不思議な詩でした。
 相反するものが不思議に入り混じる詩でした。
 

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馬鈴薯からトマト迄 石川三四郎

 今日は、石川三四郎の「馬鈴薯からトマト迄」を配信します。縦書き表示で、全文読めますよ。
 これはフランスで農業を5年ほどやっていた作家の随筆です。本文こうです。
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 実際、百姓をし始めて、自分の無智に驚いた時ほど、私は自分の学問の無価値を痛感したことは無い。学校の先生の口を通じて聞いた智識、書斎の学者のペンを通じて読んだ理論、其れが絶対に無価値だとは勿論言へないが、併し私達の生活には余り効能の多くないものである。殊に平生室内にばかり引込み勝ちであつた私は、自然に対して無智、無感興であつたことに驚かされたのである。quomark end - 馬鈴薯からトマト迄 石川三四郎
 
 石川三四郎は、フランスでじゃがいもを栽培し、遊びにきたマダムにどうしてジャガイモを収穫しないのですかと言われる。知らぬ間に育ちきったそれを地中から取りだして石川さんはびっくりするんですが、じゃがいもが地中でこんなに育ちきるなんて、まったくの想定外で知らなかった、と言って喜びます。それをみたフランス人のマダムは大いに笑ったのでした。フランスではじゃがいもを「地中の林檎」と言うのでした。
 フランスの農業は100年前も今もずっと豊かで、とくにブドウ畑の記載がすてきでした。
 

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追記
終盤の、ジャガイモとトマトがかけあわさることにかんしては、ネットにも「ポマト」のページにちょっとした記載がありました。百年千年も残る豊かなブドウ畑と、残らない変容トマトには、なんだか差があって、ちょっともの悲しいのでした。

  

世相 織田作之助

 今日は、織田作之助の「世相」を配信します。縦書き表示で、全文読めますよ。
 戦時中は殺人事件の報道や事件を描きだす小説もほとんど禁止されていたんですが、敗戦でその部分の報道が自由になって、阿部定事件も自由に書けるようになった。阿部定って当時はそうとうの美女だったんだと思います。
 こんかい織田作之助は、おもに3つの話を描いています。若いころのデカダンでエログロな恋愛の実体験と、阿部定事件に妙にくわしい天ぷら屋の主人と、戦争から帰ってきて完全な浮浪者になって衣食住のすべてを失っている幼なじみの横堀千吉の話です。この小説は私小説とか実話小説に近いもので、現実をいろいろ描写しています。ぼくは貧困にあらがう横堀千吉の生きざまに魅了されました。かつて100円というけっこうな金額を盗んでいって、浮浪者そのものになってシラミだらけの幼なじみが家にやって来て、織田作之助はこう記します。
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  横堀の身なりを見た途端、もしかしたら浮浪者の仲間にはいって大阪駅あたりで野宿していたのではないかとピンと来て、もはや横堀は放浪小説を書きつづけて来た私の作中人物であった。quomark end - 世相 織田作之助
 
 天ぷら屋の主人は戦中ひそかに、阿部定事件を追った裁判記録を手に入れていて、作家である「私」つまり織田作之助にこの秘蔵の本を、見せてくれるんです。けれども作之助はこのころに「風俗壊乱」の罪で発禁処分を受けているので、阿部定の恋愛を井原西鶴みたいにみごとに書いてみたいけれども、検閲を通るわけがないので、どうしても書けなかった。それが戦後になって、ふたたび天ぷら屋の主人とめぐりあったので、あの阿部定事件の秘蔵本はどうなったんです? と聞いたのですが、やはり空襲でぜんぶ焼けて消えてしまっていた。ところが……。つづきは本文をごらんください。
 

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追記
 ここからはネタバレなので、未読の方は本文だけを先に読んでもらいたいのですが、幼なじみの横堀千吉が、何もかも失った貧困のきわみの中から、闇市や違法賭博で金を稼いでしたたかに儲けてゆく描写がみごとでした。あと、天ぷら屋の主人がどうしてあんなに謎めいた阿部定事件の秘蔵本を金庫に隠し持っていたのかというと、じつは天ぷら屋はクリスチャンの妻との関係性が乏しくてうらぶれていたころに、まさに阿部定本人と出逢っていて、何十日間にもわたるすごい不倫の日々を送っていたらしいんです。作家の織田作之助がこれを描きだして、なんとも無頼な作品だと思いました。中盤から後半が魅力的な小説でした……。

死せる魂 ゴーゴリ(7)

 今日は、ニコライ・ゴーゴリの「死せる魂」第7章を配信します。縦書き表示で、全文読めますよ。
 恋人たちの親愛の情を描き続けた画家シャガールが、このゴーゴリの「死せる魂」を愛読していて、戦後3年の1948年ごろに、すてきな装画の数々を残しているんです。それはネットでもいちおう見ることが出来ます。
 本作では、ゴーゴリはダンテの『神曲 地獄篇』に見立てて物語を構成していますが、ゴーゴリが描きたかったのはダンテの地獄というよりも、シャガールが愛するような、牧歌的な農民たちであったように思います。シャガールの描いた「死せる魂」こそが、ゴーゴリの物語世界のイメージに相応しいんだと思いました。
 この物語の主人公であるチチコフは信用できない仕事をする詐欺師男で、作者のゴーゴリはいったいどういうように思って、この小説を書いているのか、そのことそのものが今回の第7章の冒頭で記されてゆきます。
 ゴーゴリは、作家の苦難というのを描くんです。人間社会の内奥を冷淡に暴き出す作家は、非難と悪罵を浴びることになる、とゴーゴリは書き記します。詐欺師チチコフと偉大な作家にはどこか、共通項があります。主人公チチコフは、ついに死んだ農奴の戸籍を四〇〇人分ももらい受けたのですが、1人もどこにも居ないんです。書類上だけ存在する農奴なんです。
 ゴーゴリはこの奇妙な主人公を書くときに、こう思っています。本文こうです。
quomark03 - 死せる魂 ゴーゴリ(7)
 わたしは不思議な力に引きずられて、まだこれから先きも長いこと、この奇妙な主人公と手に手を取って進みながら、巨大な姿で移りゆく世相を、眼に見ゆる笑いと、眼に見えず世に知られぬ涙をとおして、残る隈なく観察すべき任務を負わされているのだquomark end - 死せる魂 ゴーゴリ(7)
 
 ゴーゴリは架空の世界を描きだすことを「観察する」ことだと、述べているんです。生き生きとした人物像をつくりだすのに、こういう感覚で創作しているんだろうなあ、と思いました。
 詐欺師チチコフは自分の買い取った農奴の名前を見てみるんですが、どう考えてもこれは偽の名前だろうというものも混じり込んでいる。逃亡者も買い取ったので、監獄に入っているはずの者の名前さえある。窃盗犯の名前もたぶんある。めちゃくちゃな名簿なんです。チチコフは名簿の名前だけを見ていろいろでたらめに空想を繰り広げています。
 第7章になって、ひさしぶりに地主マニーロフと再会します。詐欺師チチコフのことをちゃんと親友だと思ってくれているのは、このマニーロフだけかと思います。彼は人が良いので、チチコフの悪性がほとんど見えない。
 今回の詐欺師チチコフの、役所での届出に関しては、なかなかスリリングな描写に思いました。
 チチコフが買い取ってきた農奴たちなんですけれども、これがついに公式に登記される。てきとうに集めていたものが、広い世間の前に出ることになる。これは……こういうことは詐欺をしていない人でも、こういう緊張感はどういう職業の人でもあると思うんです。不法行為はしていなくても、誰でも不誠実なことはどこかでしているわけで、そういうのを隠しながら表だった仕事をしなきゃいけないとか、好き放題自由に仕事をしていた人が新聞記事になったとたんにその仕事の欠陥をスクープされてしまうとか、いつの時代でもあり得ることだと思うんです。チチコフは存在しない農奴たちを買い取ってきてこの名簿を所長に見てもらって登録してもらう。この場面は興味深く読みました。作者のゴーゴリこそがまさに、この小説をロシア帝国の検閲官に読んでもらって、この出版許可を取らなきゃいけない。ほんとうの緊張感というのがここにあるんだと思いながら読みました。この第七章は白眉の展開であったように思います。虚勢をはったり、対立があったり、自分の実力以上の仕事をする場合は、チチコフみたいな状況には、陥るはずだと思うんです。
 詐欺の真相である「生きているように見せかけているけれども、ほんとうは死んでいる農民たち」というのは、名作文学のそもそもの構造でもあるわけで、古典は死者の言葉であるわけで、そこの記載でもの悲しさもあるんです。冥婚にも似たなにかが、古典文学の中にあると思うんです。ダンテは死者ウェルギリウス(ヴァージル)を生きてすぐ側にいる師匠であるかのように描きだしました。ゴーゴリは「死せる魂」の生きた記憶、つまり農村のありさまを物語全体で描いていると思うんです。
 全文を読む時間が無い場合は、今回の章だけを読むのも、この物語を理解するのにずいぶんお勧めできるかと思います。
 主人公チチコフは、詐欺活動を上手く進行させることができて、なんだか喜んでいるのでした……。
 

0000 - 死せる魂 ゴーゴリ(7)

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ゴーゴリの「死せる魂」第一章から第十一章まで全部読む
 
ゴーゴリの「外套」を読む