山遊び 木下利玄

 今日は、木下利玄の「山遊び」を配信します。縦書き表示で、全文読めますよ。
 古典や近代文学の魅力は、現代作品よりも自然界の描写が色濃いというのと、一茶や芭蕉のように、徒歩の旅の描写が秀逸であるというのが、あるんだと思います。
 100年前の旅と言えば徒歩が中心だったのでは、というように思う随筆でした。
 木下利玄は武家の子孫の歌人で、当時としてはそれほど早世では無いのですが、中年期に肺結核で亡くなっていて、健脚でも頑丈でもないはずなのですが、山遊びで岡山の足守から山のほうへと散策するところを描きだしています。家族や友人たち「十六人」もの人数で「妙見山へ茸狩に行く」ところを描いています。
 読んでいるだけで、山を散策したような気分になる、すてきな随筆でした。
 小雨にうたれながらも、竹の籠にキノコをいくつも入れてゆくさまが描かれます。山小屋で和食と松茸料理を楽しんだ。人間を豊かにするものが自然界以外は存在しないというような時代で、自然界へのまなざしがちょっと現代人とまったく違うのだ、という感じがする、のんびりとしたエッセーでした。緑豊かで四季のある日本、というのの内奥が見えてくる明治四十四年の随筆でした。
  

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正直な泥棒 ドストエーフスキイ

 今日は、ドストエフスキーの「正直な泥棒」を配信します。縦書き表示で、全文読めますよ。
 
 家政婦さんしか居ない家に一人で住んでいる主人公がある日、小さな部屋を貸すことになった。間借り人はアスターフィ・イヴァーヌイチという名の男で、彼はおとなしくて「なかなか世間馴れた男」で、ごく小さい部屋を借りて「仲よく暮らしはじめた」のでした。
 ところが、そこに手品師のような泥棒がやってきて、みんなが見ている前で、「毛皮外套」を一瞬で盗んで行ってしまった……。
 

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追記  泥棒を追いかけてみたのですが、完全に逃げられてしまいます。3人は、どうしてあんなに簡単に外套を盗まれてしまったのか、いろいろ考えてみたり、話しあったりするのでした。そのうちに、間借り人のアスターフィ・イヴァーヌイチが、数年前に起きた、不思議な泥棒の話をしはじめるのでした。
 ドストエフスキーの得意技は作中作で、物語の中に物語を二重三重に、積み重ねてしまうところにあると思います。
 男はある日、貧しい男を自分の部屋になんとなく泊めてやった。しかしその一文無しの大酒飲みのエメーリャという居候がだんだん増長してしまって、どうしても長居させてやるわけにもゆかなくなった。働けといってもどうにも働けない。エメーリャはもはや門の前で寝そべるだけになったりした。
 いくら説法しても、ずっと飲んでは寝そべるだけになってしまった。ある日、男はズボンが無くなってしまっておどろく。『おい、エメーリャ。お前なにか困ることがあって、おれの新しいズボンを取りゃしなかったかい』と聞いても、本人は盗っていないと言うのでした。それから青い顔になったり、部屋中のものを探したり、これからは働くと言ってみたりと、右往左往するのでした。いちど追い出してみたけれども、けっきょくは、また長居させてやることにした。やがて身体に無理がきて寝込んでしまう。終盤の、貧しい者の正直な告白に圧倒される名作でした。
 

快走 岡本かの子

 今日は、岡本かの子の「快走」を配信します。縦書き表示で、全文読めますよ。
 これはごく短い作品なんですが、戦時体制下の家族の暮らしと、詩的な心象の両面が見えてくる、近代小説でした。風景の描写が念入りで、とかく美しいように思います。道子は日々の暮らしの中で、あるアイディアを思いついてそれに夢中になるのでした。「ほんとうに溌剌はつらつと活きている感じがする」という一文が印象に残る、道子と家族の物語でした。
 

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日本国憲法

 今日は「日本国憲法」を配信します。縦書き表示で、全文読めますよ。
  これは戦後すぐから1946年11月にかけて作られた日本国憲法です。戦争の加害と被害を繰り返さないということを中心にして考えられた憲法で、精読するには十年以上はかかるのかと思うのですが、通読は意外と容易で、ほぼ1時間くらいで読める本になっています。
 憲法の前文や本文に記された「自由のもたらす恵沢」や「個人として尊重される」それから憲法がみとめる自由を「濫用してはならない」あるいは「意に反する苦役に服させられない」という文章が印象に残ります。
 戦前戦中の近代文学の時代から極端に変わったのは「検閲は、これをしてはならない」「思想及び良心の自由」「学問の自由は、これを保障する」という言論の自由の箇所かと思います。三木清の生きた時代にこのような法があれば、氏は獄死せずに済んだのではというように思いました。
 また憲法前文には他国の人々が「平和のうちに生存する権利を」持っているべきであるという政治的意志のことが書かれてあり、世界人権宣言と同様に、日本に生きるあらゆる人にも憲法による自由が保障されるのだというように思いました。
 

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追記  本文がむずかしすぎて読めないばあいは、第1条から第7条までをいったん脇に置いて、憲法8条から読みはじめると良いのではと思います。また「子どもとおとなの日本国憲法」という本がインターネット上にも公開されているので、参考にしてみてください。
 

愉快な教室 佐藤春夫

 今日は、佐藤春夫の「愉快な教室」を配信します。縦書き表示で、全文読めますよ。
 これは現代の日本ではとうてい実現しない話しで、なんとも妙な、教室の中が犬だらけになったという珍事について記した、実話っぽい児童文学でした。もしかすると、たんに口伝の実話をうまくまとめた話しなのでは、と思います。
 愉快な教室というのは、室内に犬がいっぱい入り込んでいる教室で、どうして中学校の中に犬がいっぱい入ってくるようになったかというと、犬好きのM子という娘がいて、それで餌を何度もあげるものだから、これで犬がいっぱい入ってくるようになった。先生も大らかなので、犬を排除しない。さらに餌をもらった犬は意外と従順なので、授業を邪魔したりせずに、M子のそばに集まって座っている。けれどもやっぱり、けものなので教室の中で他の子どもを噛んでしまったりする。犬からするとふざけて噛みついているようである。
 教室で犬を飼うくらいなので、クラスメイトはなんだかずいぶん仲が良い。H子という中学生の親戚が勤める百貨店のツテを頼ってクラスメイトみんなで、ニューヨークのデパートに集団就職するのだ、という計画が出来てしまったりした。
 真相としては、H子にはそういうツテがあるので、英語の勉強さえちゃんとやれば、将来はニューヨークで働ける可能性が高かったのだけれど、この話に尾ひれがついてしまって、クラスメイトみんなでニューヨークで集団就職するのだ、という噂にまで発展し、みんなで英語の勉強に熱心になったというのでした。

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藪の中 芥川龍之介

 今日は、芥川龍之介の「藪の中」を配信します。縦書き表示で、全文読めますよ。
 これは芥川龍之介の代表作で、平安時代後期のある奇怪な事件を追った小説です。獣道さえ存在しない藪の中での、侍のあらそいの顛末を調べる検非違使と証人たちと、事件に直面した3人の男女の物語です。
 場所について調べてみると、京都の伏見桃山から歩いていって山科に至る寸前の、藪以外はなにもない虚無の空間、そのあたりで起きた怪事件のことが描かれています。
 辞書によれば「検非違使」は平安時代の京都の警察業務をした官職のことで「平安後期には諸国にも置かれたが、武士が勢力を持つようになって衰退した」と書いています。衰退のおおもとである武士にまつわる事件を、検非違使が調べている……時代が変わる要点の、暗部のところを芥川が描いている、というのがなんだか凄いというように思いました。この「藪の中」の映画化作品である黒沢明の「羅生門」は、ヴェネチアで金獅子賞を受賞している名画で、今でも映画の配信サイトで視聴が可能なんです。
 

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追記  今回、再読してみるまで見落としていたことなんですが、盗賊の多襄丸にやられてしまった侍は、日本海側の福井は若狭の侍で、十九歳の妻と2人で、琵琶湖伝いに百キロほど北上する旅をして帰郷しようと、京の桃山を発った、その最中だったんです。気力も体力も漲っているときに、盗人の多襄丸とばったり出くわしてしまって、怪異が起きた、という構成のようです。
 作中に「気を失ってしまった」という証言が繰り返し出てくるのですが、これは記憶が曖昧で、事実か幻かが、判別できません。十九歳の女性である「真砂まさご」は犯人から逃れるために、謎めいた行動をしています。多襄丸が起点となって悪事が現出したのは明らかなんですが、じっさいになにが起きたのかは、誰にどう問うてみても、まったく分からない……。さらに真砂はある日、清水寺に立ち寄っていて、お坊さんに事件の懺悔をしていますが、そのあとどこにでも行けそうですし、どこにゆくつもりなのかがまったく分からないので、ありました。ぼくはこれを3回以上は読んでいるんですが、今回Googleマップで逐一、地名を調べたり、AIとwikipediaを使って官職の名前の意味を調べたりして、やっと全体像が理解できました。とくに「真砂」がどこから来て、当初はどこに行くつもりだったのか、それからのちになぜ清水寺に立ち寄ったのか、というのが初回に読んだ時はよく分かっていなかったように思いました。