芋粥 芥川龍之介

 今日は、芥川龍之介の「芋粥」を配信します。縦書き表示で、全文読めますよ。
 平安時代の官司たちの中で、いつも馬鹿にされている「五位」という名も無いような男がいる、というところから物語が始まる、芥川の代表的な文学作品です。
 主人公は気弱で憶病で、赤鼻でなんだか情けない雰囲気で、近所の悪童たちからさえあざけられていて「周囲の軽蔑の中に、犬のやうな生活を続けて」いる中年男なんです。酒の代わりに、イタズラで変なものを飲まされても気にしていないし気が付かないという、なんとも間抜けで始終「いぢめられ」ている男なんです。
「彼は、一切の不正を、不正として感じない程、意気地のない、臆病な人間だつたのである。」と、芥川龍之介の独特な毒舌で、ユーモラスに、この五位という男の日々が語られているのでした。
 男は女房からも縁を切られてしまった独り者で、だいぶ年齢も嵩んできた。彼はろくにものも言えないし無感覚に生きている状態なんですが、もう五年以上も前からゆいいつ楽しみにしているのが、摂政関白や大臣たちの祝宴で出てくる高級料理のなかで、芋粥の残りものを見つけてきてこれをすすることが好きでしょうがないんです。このほんの少し残された芋粥をすするということが甘露に思えてならなかった。それで宴の席で思わず、大きな声でひとり言を言ってしまう。「何時になつたら、これに飽ける事かのう」と、芋粥の美味に飽きることなんてあり得るんだろうかというようにつぶやいてしまって、周りの人たちからさんざん笑われてしまった。いつもこの五位を笑い者にしている利仁という男がこれを聞きつけて、じゃあたっぷり芋粥を食わせてやろう、と言いはじめるのです。年に1回ほんの少ししかすすれない芋粥を、たらふく食べさせてもらえるということで、五位はあわてふためきながら「いや……忝うござる。」と、ありがたく食べさせてもらいたいと答えるのでした。それから何日か経ったあと……。
 

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(総ページ数/約10頁 ロード時間/約5秒)
 
追記  以降ネタバレを含みますので、近日中に読み終える予定の方は、ご注意ねがいます。しばらくあとに利仁という男が、五位の目の前に現れて、ちょっとついて来いと言います。すぐ隣町の東山あたりに2人で行くことになるのかと思ってついてゆくと、馬でだいぶ先まで行ってしまう。粟田をすぎて、山科も通りすぎて、京都の山を越えた三井寺あたりまで行ってしまって、五位はくたびれてしまう。どこまで行くのですかと聞いても「もうちょっと先だ」とはぐらかされて、答えてもらえない。さらに琵琶湖を北に行って、日本海のほうの敦賀にまで行ってしまう。このあたりの行脚の風景描写が近代文学の中でもとくに風雅で独特で、秀逸な筆致だなと、思いました。
 それで敦賀にある、利仁の大きな家に招かれて、そこで倒れるように眠ってしまってから、朝に起きたら、豪華で大量の芋粥を出されてしまう。ほんの少しだけ分け与えられる芋粥なら美味であったわけなんですが……飽きるほど出されてしまうともう、どうにも食欲がわかない。男はもう呆然としてしまって、かつて淡い喜びを見出していた、ほんの少しの芋粥のことを懐かしく感じてしまうのでした。

細雪(65)谷崎潤一郎

 今日は、谷崎潤一郎の「細雪」その65を配信します。縦書き表示で、全文読めますよ。
 今回は下巻のいちばんはじめの書きだしの章ですので『細雪』の上巻と中巻の振り返りのような事態が描かれています。雪子の縁談の相手として、新たに「沢崎」という名古屋の富豪の当主が現れます。この沢崎のあるじと結婚できるかどうか、幸子のほうで調べてもらっていたのですが、どうも沢崎というのは家柄がたいそう立派で、経歴だけを見ると、雪子の婚約者としては申し分のない裕福な資産家だし、二度目の婚姻を求める理由もはっきりしていて適正なもので、さらに蒔岡家の資産上の衰退や、伝統的な家柄というのもしっかり知っている上で、沢崎の当主は雪子を娶りたいというように考えていると判明します。
 これを断ったらもう、雪子は婚期を逃してしまうというように思えるわけで、幸子のほうはこれは縁談を進めるべきだというように考えます。四姉妹の末っ子である妙子の婚約者だった板倉との恋愛が不幸にも終わってしまったということも、世間では噂となっていて、姉の雪子の縁談に多少、負の側面を与えているようです。
 幸子と雪子は話しあって、現代で言うなら数十億円以上の資産を有する名古屋の大富豪との、縁談の話しを進めようということに決めるのでした。雪子の返答は「ふん」とか「はあ」とか、うなずきくらいしかしないでなにも話さないのですが、表情や声色からすると、結婚の可能性があるのなら、お見合いをしてみるという思いでいるようです。
 細雪の全文を読まないけれども、本文をのぞき見したい人にとっては、この『細雪』のいちばんはじめの書きだしの、注射器を手にした姉妹たちの妖しい雰囲気の箇所と、こんかいの下巻の書きだし部分、この2つを10分ほどで読んでみると、細雪全体の雰囲気を掴みやすいのでは、と思いました。
  

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(総ページ数/約20頁 ロード時間/約3秒)
当サイトでは『細雪 中巻一』を通し番号で『細雪 三十』と記載しています。下巻の最終章は通し番号で『細雪 百一』と表記しています。
「細雪」の上中下巻、全巻を読む。(原稿用紙換算1683枚)
谷崎潤一郎『卍』を全文読む。 『陰翳礼賛』を読む。
  
■登場人物
蒔岡4姉妹 鶴子(長女)・幸子(娘は悦ちゃん)・雪子(きやんちゃん)・妙子(こいさん)
 
追記  今までの話しの流れからすると、明らかにこの大富豪と雪子との婚姻は、破談に終わるはずなのです……。本文には「望み薄な、アヤフヤな」「夢のような」縁談であって「ちょっと会わせるだけなのだろうから、気軽に、遊びに行くつもりで連れ出して貰えないか知らん、と云うのであった」……と書かれていました。

おじいさんのランプ 新美南吉

 今日は、新美南吉の「おじいさんのランプ」を配信します。縦書き表示で、全文読めますよ。
 これは小学生向けの児童小説で、ランプ屋さんをしていたおじいさんが、仕事をやめて、新しいことをはじめるところが描かれています。新美南吉と言えば美しい風景と動物の描写が特徴的なのかと思っていたのですが、こんかいは寂寥というのか、淋しさのことが中心的に描かれている童話に思いました。
 

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(総ページ数/約10頁 ロード時間/約5秒)
 
追記 児童が読むための本なので、後半はのどかな展開でした。ランプを売る仕事は辞めても、こんどは本屋さんとして長々と仕事をつづけたのでした。残された、使い道の無いランプのことが後半に記されてゆきました。慌ててランプ屋さんを辞めなくても、まだまだランプの需要というのはあったなあと、おじいさんはあとから思うのでした。ただ、一つの仕事をいったん停止して、新しい仕事を始めることの重要性を、おじいさんは説くのでした。前半はまどろっこしい展開で読みにくいのですが、読み終えてみると、新美南吉っぽさが表出する、魅力的な童話を読んだなあという気持ちになる作品でした。
 

新樹の言葉 太宰治

 今日は、太宰治の「新樹の言葉」を配信します。縦書き表示で、全文読めますよ。
 「大きい大きい沼を掻乾かいぼしして、その沼の底に、畑を作り家を建てると、それが盆地だ。」と甲府の地勢についての記載からはじまる小説です。
 ある郵便屋が急に呼び止めてきて「私」の本名を言い当て、にこにこ笑いながら「似ています」と言うのでした。
「あなたは幸吉さんの兄さんです」というのですが、私は「内藤幸吉」という名前をまったく知らない。考えてみても分からない。「私」は不愉快になってしまう……。
 宿に泊まっていると、やはり見知らぬ客人が新たにやってくる。
 

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(総ページ数/約20頁 ロード時間/約5秒)
 
追記  「私」が「内藤幸吉」の兄だという推測は間違いで、人違いだ、と言って追い返そうとした。ところが会って話してみると、たしかに縁のあった人の家族だということが明らかになる。幼い頃の記憶がよみがえって、乳母のつるに育てられて、いろいろ教えてもらったことを思いだすのでした。本文にはこう書いています。「私は、つるを母だと思っていた。ほんとうの母を、ああ、このひとが母なのか、とはじめて知ったのは、それからずっと、あとのことである」
 この、幼いころに育ての親としていろいろ教えてくれた「つる」との交流を描いた場面が印象深かったです。
 物語は、つるが嫁いで生きた家と、そのごの離散したあとのことを語る青年と「私」との会話が展開します。
 異父兄弟というわけではないのですが、2人には、母としての「つる」との深い関わりがあったので、不思議な縁を感じて、話し込むのでした。
 かつて「つる」と内藤幸吉が十数年前に暮らした家が、料亭に改装された部屋を、「私」と「幸吉」と妹さんの3人が、訪れます。
 なんだか、太宰治の小説に親しんで遠い親戚のように思っている読者と、作者当人との関わりのような、なんとも不思議な関係性を描きだした小説でした。
 現実の父や母や一軒家は貧しさや病のためになくなってしまったのですが、子育てそのものは成功して子どもたちは良い仕事をして生きていて、母や家という存在そのものは上手く成立した。
 じつは郵便屋さんと妹さんはどうも恋仲のようである、という「私」の考察があり、起承転結がみごとな小説でした。原稿用紙40頁ほどで1時間ほどで読める短編小説です。太宰治の名作を読んでみたいという人にはとくにお勧めの小説だと思いました。
 物質的なものごとと、心的なものごとの対比が鮮やかな小説に思いました。「自愛」と「微笑」という言葉が印象的な文学作品でした。

 

病牀苦語 正岡子規

 今日は、正岡子規の「病牀苦語」を配信します。縦書き表示で、全文読めますよ。
  これは約100回ほどにわたって連載された正岡子規の闘病日記の「病牀六尺」この序盤のところと関わり深い随筆です。闘病中の痛みのことと、人生のこと、この2つを主に記しています。
 子規は「今日の我輩は死を恐れて煩悶して居るのでない」と、記しています。「宗教家らしい人は自分のために心配してくれていろいろの方法を教えてくれる人があるが、いずれも精神安慰法ともいうべきもので、一口にいえば死を恐れしめない方法である。その好意は謝するに余りあるけれども、見当が違った注意であるから何にもならぬ。今日の我輩は死を恐れて煩悶して居るのでない。」ということをなんだかユーモラスに書いているのでした。漱石もこの子規の随筆は読んでいるわけでなんだか「吾輩は猫である」という正岡子規の文芸誌に載せた処女作と、似かよっているところがあるのでは、と思いました。
 子規はこう記します。
「苦痛が少し減じると最早死にたくも何にもない。大概覚悟はして居るけれど、それでも平和な時間が少し余計つづいた時に、ふと死ということを思い出すと、常人と同じように厭な心持になる。人間は実に現金なものであるということを今更に知ることが出来る。」
 昔は仏教もキリスト教も嫌いだったが、文学上の趣味を楽しむようになってから「信仰のある所には愉快な感じが起るようになった」と書いていました。
 また、若い頃からずっと唯物論だった子規が、仏教の坊さんと話していると「他力信心」と正岡子規の唯物的思念は似ているところがある、という指摘を受けたのでした。
 それから別の日の日記が始まり、小鳥のことや植物のことや、ツクシのことを書いていて、これを俳句にしています。病床であっても嬉しかったことを描いているところが印象に残りました。
 寝込みながらも絵具で絵を描いたことなどを、細部まで克明に写生していて、文字で風景を克明に描いてゆく、子規独特の芸術性がこの随筆にも現れているように思いました。子規によると、俳句は短いものであるのに、作者によってまったく違う個性が出てくるのだという指摘があって、なんだかちょっと驚きました。
 げんげの花については、この歳時記の頁にいろいろ記されていました。文芸誌の仲間たちとのことや、高浜虚子や石井露月にかんする評論のことについても書いていました。
 

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(総ページ数/約10頁 ロード時間/約5秒)
 

発句私見 芥川龍之介

 今日は、芥川龍之介の「発句私見」を配信します。縦書き表示で、全文読めますよ。
 芥川龍之介と言えば、短編小説がもっとも有名だと思うんですが、今回は俳句のことだけを記しています。芭蕉の時代の発句(今でいう俳句)について記している、文学論なんです。
 連歌の書き出しである発句に着目し、芭蕉が発句をつくることを好み、発句だけで成立する地発句をあまたにつくりました。この芭蕉の5.7.5の発句の創作から、のちの明治時代に子規の俳句という文学世界が作られてゆきました。俳句の元祖のような発句に、どのような芸術性があるのかを、芥川龍之介が読み解いています。
 発句と俳句のちがいとして、発句には、季節は必要無い場合がある。「しかし季題は無用にしても、詩語は決して無用ではない」詩心がつぎつぎに広がっていって連歌になってゆく、その出発点として発句がある。
 だから芭蕉の発句集を読むと、詩心の色濃さというのを感じられる。
 芥川龍之介は芭蕉が作ったこの発句の詩心について注目しています。
 
 行春を近江の人と惜しみける 芭蕉
 
 なにか思いがつぎつぎに連なってゆきそうな詩心というのが、芭蕉の発句から感じられるのでは、と思いました。
 ちょっと調べてみると、芥川龍之介は、子規の俳句よりも、芭蕉の発句のほうを重んじて創作していたのでは、と思いました。以下は芥川の発句なんです。
quomark03 - 発句私見 芥川龍之介
 ぢりぢりと向日葵枯るる残暑かな
 或夜半の炭火かすかにくづれけり
 凧三角、四角、六角、空、硝子quomark end - 発句私見 芥川龍之介
  

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