死せる魂 ゴーゴリ(2)

 今日は、ニコライ・ゴーゴリの「死せる魂」第2章を配信します。縦書き表示で、全文読めますよ。
 主人公チチコフ(パーウェル・イワーノヴィッチ・チチコフ)は十日ほどかけて新しい土地を旅している。お役人や地主たちにあいさつ回りをしているんです。第二章からは地主で親友のマニーロフや、次章ではソバケーヴィッチを訪ねます。
 
 ウクライナ生まれのロシア人作家ゴーゴリの描いた本「死せる魂」を読んでいるんですけど、今回は、180年前の身分階級制度についての描写がありました。古い時代にしかなかった農奴の制度が描きだされます。現代で起きている超大富豪にだけ富が集積してほんとうに生活費を必要とする人には上手く分配されないのはなぜか、そういう謎のヒントと思えることもいろいろ書いていました。
 身分の低い人は、本を読むにあたっても、なんでも表面的に読んでしまって、分からないことが多く、批判をする機会が得られないで沈黙している……。大衆のほとんどは、お金持ちや身分が上の人の話ばかりを聞きたがる、上の階級の人間ばかりを見てしまう、というような指摘があって、なんだが身につまされるように思いました。
「這いつくばう」者にたいして侮蔑よりもひどい「致命的な黙殺」が生じうることを、作者のゴーゴリは警戒しているのでした。こういう問題を書くときに、ゴーゴリが饒舌でユーモアを失わずに書き継ぐところがなんだが歴史的な作家だと、思いました。
 今回、1841年に完成し翌年1842年に出版されたこの本で、ゴーゴリが描いている問題は、二十年後に生じる1862年の「農奴解放令」と深い関わりがあるんです。ぼくはまだ、この本がどう進展するのか分かっていないんですが、wikipediaの解説にはこう記しています。「アレクサンドル2世の時に農奴解放令が出されたが、その前まで地主は次の国勢調査まで死亡した農奴の人頭税も支払わなければならなかった。彼らは何とかしてその税を逃れる方法を探していた。そこに注目したチチコフは……」というように、主人公のチチコフは、自分の農奴と、亡くなった農奴たちについていろいろ考えている。
ゴーゴリはくりかえし、自分よりもちょっと身分の高い人と関わりを持ちたがる、人々のかっこわるさを書いていて、いくたびもこれを記すんですけど、現代だってやっぱりブランドものに身を包んで、高価な美容室を使っている人と散歩したかったりするだろうなあと思ってなんだかおもしろい。これは本文をずーっと読まないと生じてこない笑いだと思うんですが、ゴーゴリは身分というのにとにかくこだわりがあるようなんです。
 ゴーゴリはいろんな人をくさすんです。主人公チチコフの友人マニーロフについてもこう記します。
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  最初は誰でも、『なんて気持のいい善良な人だろう!』と言わずにはいられない。ところが次ぎの瞬間には、何も言うことがなくなり、それから今度は、『ちぇっ、まるで得体の分らぬ男だ!』と言って引き退さがるより他はない。引き退らずにいたものなら、きっと死ぬほど退屈な思いをさせられるquomark end - 死せる魂 ゴーゴリ(2)
  
 ゴーゴリの文体はものごとがゆっくりと進行していっけん退屈なんですけれども、よむほどに面白くなります。マニーロフは二百軒もの農家をかかえる立派な地主で、妻とも仲睦まじい。
 チチコフは「六等官」なんですが、この階級制度が廃止されるのは1917年の約75年後で、当時はおおよそ1000人(から2216人)くらいがこの身分を与えられていたようです。ゴーゴリは六等官を冴えないうさんくさい者として書いている気がするんですが。「六等官」って当時けっこうすごい存在だったのでは、と思える情報もwikipediaで発見しました。「帝国公立図書館館員のイヴァン・クルィロフ、作家として国から公認され第6等の等級を与えられた」って書いています。
廃止や改革が必要とされる農奴の制度をユーモアたっぷりに描いて、当時の政府からは出版を禁じられるけれども、歴史的な作品になる……。読んでいて、むずかしい問題を解きほぐしておもしろく書く、こんなことが可能なのかと驚きながら読みすすめました。
 主人公チチコフは、いろんな役人について、立派だ立派だ、お偉いお偉い、と繰り返し言い連ねていて、これはもしかすると、お笑い芸人で言うところの「テンドン」の展開として繰り返しているのかもと、思うのでした。
 物語はゆったり進行するのですが、第二章のチチコフが、友人マニーロフの家で食事をし終えてから、急展開します。これは見ものでした。物語の核心部分が進展します。本文こうです。
quomark03 - 死せる魂 ゴーゴリ(2)
 実は或る重要な問題についてちょっとお話ししたいことがあるのだが、と言い出した。
「あなたは、もうよほど前に戸口調査名簿をお出しになりましたので?」
「左様さ、もう随分になりますねえ、と言うより、殆んど憶えがないくらいですよ。」
「それ以来、余程あなたのところでは農奴が死にましたでしょうか?」
(略)
マニーロフが耳にしたのは、ついぞこれまで人間の耳に囁かれたこともないような奇怪きわまる話であった。
「どういう理由わけでと仰っしゃるのですか? その理由わけというのは、こうなんです。つまり、農奴を買いたいと思いまして……。」チチコフはそれだけ言ったまま、吃ってしまって、後がつづかなかった。
「しかし、なんですか、」と、マニーロフが言った。「一体どういう風にして買おうと仰っしゃるんで、つまり土地も一緒にですか、それとも、単に何処かへ移住させるという目的で、つまり土地とは別のお話なんですか?」
「いや、手前はその、あたりまえの農奴が欲しい訳ではないんでして。」と、チチコフは言った。「実は死んだのが望みなんで……。」
「なんですって? いや御免ください……どうも私は耳が少し遠いもんですからね、何か奇態なお言葉を耳にしたように思いますが……。」
(略)
「いや、手前が手に入れたいと思いますのは、死んだ農奴で、しかし戸口名簿の上では、まだ生きてることになっているもののことでして。」と、チチコフが言った。
 マニーロフはそれを聞くと、思わず長い羅宇らおにすげた大煙管を床におとして、口をぽかんとあけたが、そのまま数分間のあいだはいた口もふさがらなかった。あれほど親交の悦びを論じあった二人の友は、じっと向きあったまま、ちょうど昔よく、どこの家でも鏡の両側に相向いにかけてあった二枚の肖像画のように、互いに穴のあくほど相手の顔を見つめ合っていた。quomark end - 死せる魂 ゴーゴリ(2)
  
 主人公チチコフは、この譲渡は合法であることを主張して、奇妙な申し出をします。生きている農奴ではなく、死んだ農奴を合法に買い取りたいのだと言うんです。当時の法律では、農奴を雇っていると、税金が必ずかかりました。死後にもその税金を支払う必要があった。地主にとっては、その農奴を譲渡することが出来れば、節税になる。しかも楽しい親友の申し出なんです。なぜ、そんな意味の分からないことをやりたいのか、まるで分からないのですが、マニーロフは、チチコフの依頼を受け入れます。本文こうです。
quomark03 - 死せる魂 ゴーゴリ(2)
 チチコフが如何に沈着で思慮深い人間であったにしても、流石にこの時ばかりは、今にも山羊のようにピョンピョン跳ねあがりそうであった。これは誰でも知っているとおり、歓喜の絶頂に於いてのみ起こる現象である。
(略)
とうとうこんなことを言いだした。『いや、その一見塵芥のようなもので、この親戚も身寄りもない人間がどんなに助かるか、それがあなたに分って頂かれましたらなあ! まったく私は実にいろいろな目にあって来たのですよ。まるで荒波に揉まれる小舟みたいなものでした……。ああ、どんなに私が圧制や迫害を忍んで来たことでしょう、どんな苦杯をめて来たでしょう! それも何のためでしょう? みんな、私が正義を守ったからです、良心に恥じたくなかったからです、よるべない寡婦や哀れな孤児に手を貸そうとしたからなのです!……』ここで彼はハンカチをだして、あふれ落ちる涙を押えたほどであった。quomark end - 死せる魂 ゴーゴリ(2)
  
 ところがチチコフはついさっき、身寄りもない幼子たちからの寄付の呼びかけを完全に無視して通り過ぎたんです。
 チチコフはなぜ死んだ者を譲り受けたいのか? マニーロフはこう考えます。「チチコフの例の奇怪な頼みごとが不意に彼の空想を破った。それは幾ら考えても、どうもよく肚へ入らなかった。ああではないか、こうではないかと、いくら頭の中で考えてみても、さっぱり合点がてんがゆかず、しょうことなしに彼は煙草ばかりプカプカかしながら、夕飯までずっとそこに坐りこんでいた。」
 死んだ人を生きているように扱う……ゴーゴリは、人間の善意を見いだしたいのか、あるいはいっけん善良に見える人間の悪事を暴きたいのか、どちら側なのか分からない文章表現をするんです。どちらの側面からも読める作品で、そこもゴーゴリの魅力なのでは、と思いました。
 

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ゴーゴリの「外套」を読む

体格検査 小酒井不木

 今日は、小酒井不木の「体格検査」を配信します。縦書き表示で、全文読めますよ。
 ある小説家が、藤岡といういっけん屈強に見える男と雑談をしていて、藤岡さんが陸軍学校を不合格になった顛末を語るという、短編です。「人間万事塞翁が馬」にかんして実体験的に語る藤岡なんですけれども、文中では「まったく世の中は、何が幸福になるかわかりません」と記しています。その軍隊には奇妙なルールというのがあって、それによって不採用となった。考えてみれば、採用されずに幸運だったように思います。異様なルールがあるからには、苦が増すルールも何処かに潜んでいる可能性も高い。冗談のように記していて、笑えるような、笑えないような、妙な短編でした。みじめなことがらがかえって幸運をもたらすとか、そういう方向性の、ちょっとした小話でした。
 

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死せる魂 ゴーゴリ(1)

 今日は、ニコライ・ゴーゴリの「死せる魂」第1章を配信します。縦書き表示で、全文読めますよ。
 今回から十一回かけて、ゴーゴリの長編文学「死せる魂」を読んでみようと思います。大長編なんですが、下記リンクから全章を読むことが出来ますよ。この「死せる魂」はウクライナ生まれのゴーゴリが、ロシアでの貧しい青年時代を経て、ローマを長らく旅している時に書き記した文学作品です。「神曲」の作者ダンテにならい、生まれた国の権力者から逃れるようにしてイタリア半島を遍歴しつつ、物語を記したようです。
 「死せる魂」の第一章では、宿屋に現れた紳士を描写するところから、物語が始まります。
 この紳士の名前はチチコフといって、六等官の地主で、いま旅をしている最中なんです……。
 ちょっと気になるのは、チチコフは宿屋の給仕をつかまえて、お役人について妙にことこまかに質問しつづける、警察官にも役人がどこに住んでいるのかなんども聞いている……というところで、この紳士チチコフが、宿屋に長期的に泊まる理由はなんなのか、そこが気になりながら読んでゆきます。「とにかくこの旅人は、訪問ということにかけて異常な活躍を示した」と記されています。
「こうした有力者たちとの談合のあいだに、彼は実に手際よく、その一人々々に取り入ってしまった。」というところあたりから、このチチコフの奇妙な人間性が見えはじめてきます。
 この地は「まるで天国」のようだとか、お役人にたいして「絶大な賞讃に値する」とほのめかしたり、副知事にたいして『閣下』と言いまちがえてみたり、なんとも妙なんです。
 180年前のロシアが活写されていて、それを小説をとおしてかいま見るのも興味深いように思いました。知事の邸宅は「まるで舞踏会でもあるように煌々と灯りがついていた」「大広間へ足を踏み入れると、ランプや、蝋燭や、婦人連の衣裳が余りにもキラキラと光り輝いていた」というのもなんだか妙で、チチコフが怪しげなだけではなく、彼が謁見する有力者の暮らしぶりも、かなり謎めいています。
 まったく見知らぬ余所者であるはずのチチコフなのですが、有力者に取り入るのが妙に上手くて「みな、チチコフを古い知合いのように歓迎した」……。いったいチチコフはこの地でなにをするつもりなのか、というのを知りたくて読みすすめます。
 チチコフは、有力者たちにたいして、農地と農奴をどのくらい持っているのか、これを盛んに知りたがります。
 チチコフの話術はちょっとすごいもので、あまたの金持ちと、初対面なのに上手く打ち解けてしまうんです。
「役人たちはこの新らしい人物の出現に、一人残らず好感を抱いた。」「とても優しくて、愛想のいい方」というように思われる。
 商人や遊び人と初対面で打ち解ける人は、世の中に多いと思うんですが、権力者たちと初対面で仲よくなるというのはちょっと尋常ではないと思います。
 第一章の終わりのところで、この物語全体のネタバレというか骨子が明記されます。名作はネタバレをしてもおもしろい、というのがあると思うのですが、この典型例のような、オチの展開を最初のほうで示唆する記載がありました。チチコフの「奇怪な本性と、企らみというか、それとも田舎でよくいう『やまこ』というやつが、殆んど全市を疑惑のどん底へ突き落とす」とゴーゴリは書き記します。
 やまこ、というのは闇屋仲間というか、闇取引を業とする者という意味だと辞書の大辞泉には記されていました。チチコフはどうも大きな詐欺をやってやろうと、しているようです。次回に続きます。
 

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約束 フィオナ・マクラウド

 今日は、フィオナ・マクラウドの「約束」を配信します。縦書き表示で、全文読めますよ。
 作者はケルト神話からその着想を得ているのだと思うのですが、これは静謐な幻想小説でした。
 ケリルという王と、仙界フェアリーの王キイヴァンの邂逅を描きだしています。キイヴァンはこう述べます。「あなたは私を足で踏んで無礼をしました。私はあなたがた人間界のものではないのです」その罪の対価として「一年のあいだ私はあなたの姿になり、あなたが私の姿になる」ということを告げるのです。この秘密を誰一人「知ってはなりません、あなたの妃も私の同族のものも、あなたの犬も私の犬も」という約束をするのです。お互いに二人の王は、一年を無事に生きるにはちょっとした注意点があると、お互いに告げます。踏みつけられて一年癒えない傷が出来たことをお互いの王が認めあって、この謎めいた約束を実行にうつすんです。
 お互いに入れ替わった生をぶじに過ごつつあるのですが、はじめに警告のあったようにドルカという暗殺者から送られた蛇がキイヴァンを襲うのですが、ぶじこれを撃退できた。襲撃をきれいに跳ね返す、という展開が数回繰り返されるのですが、ほんとに美しい描写で、古事記で言うところのタカミムスビの「返し矢」のような不思議な展開でした。「一年」という言葉が幻視的に綴られます。松村みね子(片山広子)の翻訳がじつにみごとで、すてきな幻想小説でした。終盤のケリルが謎めいていました。
 

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二人の友 堀辰雄

 今日は、堀辰雄の「二人の友」を配信します。縦書き表示で、全文読めますよ。
 それから……という接続詞を、なぜだか冒頭に用いるところから、この実話の随筆が始まるんですけれども、これは中野重治との交遊を記したもので、友人同士で鍋を食べて、文芸誌や詩について語りあったことを書いています。
 もう一人の佐多稲子(窪川稲子)氏との親交に関しては「この頃、お身体がお悪いさうだけれど、どうしていらつしやるかしら?」という窪川稻子さんへの問いかけの記述があるのですが、調べてみるとなんと、明治37年生まれでありながら、1998年まで長生きされているのでした。これは書いた堀辰雄本人も知らないことで、なんだか大きな時間の流れを垣間見たように思いました。
  

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惑い(9) 伊藤野枝

 今日は、伊藤野枝の「惑い」その9を配信します。縦書き表示で、全文読めますよ。
 伊藤野枝はごく若いころからとくべつな冒険家で、十代のころに九州の今宿で、砂浜から5キロ先にある能古島までひとりで泳いで渡ったそうです。当時は親の決めた嫁ぎ先を完全に拒絶して生きることはとても困難だったはずで、それを親戚の支え無くやってゆくというのがすごく、文芸でもっとも表だった仕事をしていた女性である平塚らいてうと深く関わり仕事を受け継いだ……新しい生き方を何度も創り出した……物語にも記されているように「勇敢」というのを突き詰めていった、生き方に思いました。
 バカバカしいと思うことをきっぱり辞めて出てゆく、という伊藤野枝ならではの思い切りの良さが、物語の展開にも反映されているように思いました。「自分の考えを押し立てる」という伊藤野枝の言葉が印象に残りました。本文こうです。
quomark03 - 惑い(9) 伊藤野枝
 『出よう、出よう、自分の道を他人の為めに遮ぎられてはならない。』quomark end - 惑い(9) 伊藤野枝

 最後の二行が文学的展開で、暮らしぶりはまだ今までどおりであっても、主人公の逸子の心もちは未来における変革を決意して晴れやかである……その描写がみごとでした。
 

0000 - 惑い(9) 伊藤野枝

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第一回から第九回までの全文をはじめから最後まですべて読む(※大容量で重いです)