今日は、夏目漱石の「三四郎」を配信します。縦書き表示で、全文読めますよ。
漱石が描いた作品の中でもとくに、この三四郎という主人公はかなりの、うっかり者なんです。はじめに、旅のさなかで見知らぬ女にずいぶん失礼なことをしてしまう。女はほとんど気にしていないんですけれど、こんなミスはめったにない。
三四郎のいろいろな失敗に注目しつつ読むと、なんだか楽しいような気がしました。
序盤にだけ現れる、名前の無い女というのが、この物語でなんだかものすごく重大な存在のように思えたんですけど、どうなんでしょうか。
作中に記されたストレイシープ、という言葉は、マタイによる福音書の第18章に書かれていました。漱石は、聖書のこの部分を100%読んでいたわけで、ここに着想を得て、三四郎を書くことにしたようなんです。ちょっと長いですけど、wikisourceから引用してみます。
マタイによる福音書 第18章
そのとき、弟子たちがイエスのもとにきて言った、「いったい、天国ではだれがいちばん偉いのですか」。
すると、イエスは幼な子を呼び寄せ、彼らのまん中に立たせて言われた、
「よく聞きなさい。心をいれかえて幼な子のようにならなければ、天国にはいることはできないであろう。
この幼な子のように自分を低くする者が、天国でいちばん偉いのである。
(略)
あなたがたは、これらの小さい者のひとりをも軽んじないように、気をつけなさい。あなたがたに言うが、彼らの御使たちは天にあって、天にいますわたしの父のみ顔をいつも仰いでいるのである。〔人の子は、滅びる者を救うためにきたのである。〕
あなたがたはどう思うか。ある人に百匹の羊があり、その中の一匹が迷い出たとすれば、九十九匹を山に残しておいて、その迷い出ている羊を捜しに出かけないであろうか。
もしそれを見つけたなら、よく聞きなさい、迷わないでいる九十九匹のためよりも、むしろその一匹のために喜ぶであろう。
マタイによる福音書『口語 新約聖書』日本聖書協会 1954年 wikisourceより