今日は、太宰治の「燈籠」を配信します。縦書き表示で、全文読めますよ。
太宰治は、作家である己自身を主人公にして小説を書くことが多いと思うのですが、こんかいは「私は、まずしい下駄屋の、それも一人娘でございます。」という記載ではじまる、ひきこもりがちな女性を描きだした小説になっています。太宰治の代表作は、ほかに「女生徒」がお勧めです。
本文の序盤に「わがまま娘が、とうとう男狂いをはじめた、と髪結さんのところから噂が立ち」と記されています。
不幸な境遇も語られていて……「地主さんの恩を忘れて父の家へ駈けこんで来て間もなく私を産み落し、私の目鼻立ちが、地主さんにも、また私の父にも似ていないとやらで、いよいよ世間を狭くし、一時はほとんど日陰者あつかいを受けていた」
そこから五歳年下の水野さんとの恋愛のことが記されます。「水野さんは、みなし児なのです。誰も、しんみになってあげる人がないのです。もとは、仲々の薬種問屋で、お母さんは水野さんが赤ん坊のころになくなられ、またお父さんも水野さんが十二のときにおなくなりになられて、それから、うちがいけなくなって、兄さん二人、姉さん一人、みんなちりぢりに遠い親戚に引きとられ、末子の水野さんは、お店の番頭さんに養われ」という境遇の……水野さんのことばかり考えて、さき子は毎日暮らしていました。
それがある事件をきっかけに、急に小説の内容が変じます。
「私を牢へいれては、いけません」という発言から、なまなましい「さき子」の思いが描きだされていました。太宰治は作家になるまえに、無理心中をしようとして愛人を犠牲にしていて、そこに罪の意識があったはずで、このように罪人の心情を、仔細に記せるのでは、というように思う場面描写でした。
貧乏で困っている水野さんのために、「さき子」は男性の水着をお店で盗んでしまい、犯罪が見つかって見知らぬ男に平手打ちされ、留置所に連れてゆかれて、恥ずかしい動機を熱弁し、狂い笑い、さらに新聞でさらされるという恥辱の体験を語りつづける、少女の物語、なのでした。本文こうです。
その日の夕刊を見て、私は顔を、耳まで赤くしました。私のことが出ていたのでございます。万引にも三分の理、変質の左翼少女滔々と美辞麗句、という見出しでございました。恥辱は、それだけでございませんでした。近所の人たちは、うろうろ私の家のまわりを歩いて、私もはじめは、それがなんの意味かわかりませんでしたが、みんな私の様を覗きに来ているのだ、と気附いたときには、私はわなわな震えました。
「さき子」はあやうく身罷ってしまうほどの恥をかいて、混乱していたところ、水野さんからの親身な手紙をもらい受け、父と母のなんということもない優しさに触れて、じぶんの生きかたを取り戻すのでした。
装画をクリックするか、ここから全文を読む。 (使い方はこちら) (無料オーディオブックの解説)
(総ページ数/約10頁 ロード時間/約5秒)
ちょっとびっくりするほどすてきな文学作品でした。ほんの十数ページで終わる短編小説でした。