今日は、中島敦の「文字禍」を配信します。縦書き表示で、全文読めますよ。
中島敦というと、日本を離れて海外に長らく在住し、パラオで語学と教育を研究した、中国文明に詳しい文豪という、印象なんです。その中島敦が、文字と精霊について論じているのですが、これがなんだか重SFというか本格SFみたいな、不思議なことを書いているんです。
これは……すごい本で、中国の一流の学者がSFを書いたことがあってそれを和訳したものとか、医学者が遺伝学についてSF小説内で論考したとか、そういうレアなSF作品としても、読めるように思いました。
具体的には、精霊と言語について論じています。そもそも言葉や視覚で表現できないところに、霊という存在があるはずで、言葉そのものに霊が潜むかどうかというのは、太陽に水があるのかとか、水と油が混じるかどうか、というくらい奇妙な乖離のある問いに思います。あまたの精霊の中に、はたして文字の精霊はあるのかどうか。アッシリア文明の老博士の視点から、この謎が追究されてゆきます。
文字をしらないで生きた人が、文字を憶えてから、どのような変化があったのか、現地調査をするのです。文字を憶えてしまうと、霊的な体験は減退するのではないか。
あるいは言葉というのが全体がそもそも、霊的活動の代替物のようにも思えます。
プラトンの述べる「洞窟の比喩」のごとき議論も記されています。読み応えのある小説でした……。
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ミイラ取りがミイラになるとか、自己言及パラドックスとかいうことを連想しました。