疲労 国木田独歩

 今日は、国木田独歩の「疲労」を配信します。縦書き表示で、全文読めますよ。
 これは……とくになにも起きない人間関係を描写していて、未完の習作のように一頁ほどで途切れてしまう掌編小説です。
 

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(総ページ数/約2頁 ロード時間/約5秒)
 
追記  推理小説の冒頭ではよくある不穏な人間関係の描写が展開するんですが、この小説ではなにも事件は起きないのでした。行き詰まりの予感と、不吉な気配で締めくくられる掌編でした。ちょっと未来のAIがこの先の話を書いたら、たぶん秀逸な推理小説が展開してゆくのでは、と思いました。
 

神童の死 北原白秋

 今日は、北原白秋の「神童の死」を配信します。縦書き表示で、全文読めますよ。
 これは猟奇的な事件について、北原白秋が事態を空想しながら、現場の状況を書いているごく数頁の短編です。前半でゴアな表現があって要注意なんですが、後半で事件の様相や言葉の問題について論じていて、悪に関する考察の部分が興味深いように思いました。
  

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(総ページ数/約10頁 ロード時間/約5秒)
  
文豪ゲーテが「どんなに理にそむいたことでも、分別か偶然によって正道に引きもどされないものはない。どんなに理にかなったことでも、無分別と偶然によって邪道に導かれ得ないものはない。」ということを述べていたんですが、この古い事件は、まさにこの問題と共通したことが生じていたように思いました。
  

装幀について 高村光太郎

 今日は、高村光太郎の「装幀について」を配信します。縦書き表示で、全文読めますよ。
 高村光太郎は、彫刻家が本業なんですが、今回は装丁家にたいして批評をしています。高村光太郎は近代文学の装丁が無駄に目障りなので、なげいています。高村光太郎がもっとも否定したい絵画のひとつが、このルイ16世の絵なんです……。
  

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(総ページ数/約10頁 ロード時間/約3秒)
 
追記   世界文学や現代社会と比べてみると、外国文化への無理解がひどすぎて、明らかに下品な蔑視的記載がありました……。批評の心を養うことの、難しさを感じる短文でした。
 

夢の国 宮原晃一郎

 今日は、宮原晃一郎の「夢の国」を配信します。縦書き表示で、全文読めますよ。
  これはなんだか、ほとんど誰も知らない和製の童話で、読んでみると中盤にでてくる、3つの「お土産」のなかから最後のお土産だけを持ち帰りなさい、という話しが印象に残りました。最初の2つは、いっけんすてきに見えて、なんの意味も無いものなので持ち帰るべきでは無い、最後の3つめのものだけはみすぼらしくてもそれを持ち帰りなさいという話しでした。そこから先、奇妙なことが起こります……。
   

0000 - 夢の国 宮原晃一郎

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(総ページ数/約10頁 ロード時間/約3秒)
  
これは夜に見る夢の中でのできごとを書いているんですが、後半はなんだかさっぱりよく分かりませんでした。絵本では、文章がよくわからないのがなんだかおもしろい、そういう名作があまたにあると思います。これはかんぜんに幼稚園とか小学校低学年に向けて書かれた童話なんだと思います。手塚治虫の書いた本に、夢オチの物語は良くない、というのがあって、僕は子どものころにこれを信じていたんですが、手塚治虫がもっともこだわった文学者にドストエフスキーが居て、じつはドストエフスキーはみごとな夢オチの数々を記しているんです。ドストエフスキーの場合は、夢オチは中盤に出てきて、伏線として夢での出来事を書いて、そこから現実に起きる異変についてより深く論考してゆくという展開が多いんです。おそらく文意としては、夢オチを描くのならこだわって描きなさい、ということなんだと思うんです。調べてみると手塚治虫は「わるい4コマ漫画の例」として「なんでも夢のオチにしてしまう」と記していました。今回の作品を読んでいて、手塚治虫が夢オチを批判したのは、この話しに似た童話を読んで、こういう物語は良くない、と考えたのでは、と思いました……。

面会 織田作之助

 今日は、織田作之助の「面会」を配信します。縦書き表示で、全文読めますよ。
 これは……1940年の夏に発表された作品で、召集された友人のことを書いている、戦争ものの掌編でした。1945年の敗戦間近の新聞雑誌の半分以上は、戦争の記載に費やされていたように思います。
 織田作之助は1941年に「青春の逆説」で発禁処分を受けているのですが、風俗壊乱という理由で発禁になったそうです。 「面会」は、漱石が「草枕」の終盤で描いた、出征する男を連想させる短編でした。
 

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(総ページ数/約10頁 ロード時間/約3秒)
   
 
 

念仏と生活 倉田百三

 今日は、倉田百三の「念仏と生活」を配信します。縦書き表示で、全文読めますよ。
 これは仏教の信仰について記している随筆でした。浄土真宗の南無阿弥陀仏のことについて記していました。はじめに、善人だと欲望を自身で制御できるという自力があるので仏教の「信仰に到達しない」と記しています。ふつう人間には欲望があって、欲望が生命力になっている。同時に「いい人間になろうと考え」るので、自己の欲望と、良い人間性、この二つが衝突しているところに、倉田百三の考える、仏教と念仏がある。
「欲望が弱いならば、信仰はいらない」と倉田百三は述べます。もうちょっとほかの仏教の本を読んでみたいと、思いました。
  

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(総ページ数/約10頁 ロード時間/約3秒)