ハイネ詩集 生田春月訳

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ハイネ詩集
生田春月 訳
 
 
 
抒情挿曲
 

  五

おまへの顔はあいらしい
夢にこのごろわたしが見たら
まるで天使のやうにやさしかつたが
なぜか苦しさうに蒼ざめてゐた

ただその脣だけはあかかつた
それもすぐ死が接吻きすをして蒼くした
そしておまへの無邪気な眼の
神々しい光も消してしまつた
 

  六

おまへの頬をわたしの頬にあてゝごらん
そしたら涙は一しよに流れよう!
おまへの胸をわたしの胸にあてゝごらん
そしたら焔は一しよに燃えるだらう!

さうしてふたりの涙の河が
はげしい焔にそゝぐなら
さうしておまへを力一ぱい抱いたなら——
わたしはこがれこがれて死んぢまはう!
 

  七

わたしは燃えるこの心を
百合のうてなにひたしたい
そしたら百合は音立てゝ
恋しい人の歌をうたふだらう

歌はふるへて響くだらう
あの楽しい時にあの人が
まつかな甘いくちびるで
わたしにしてくれた接吻きすのやうに
 

  八

星ははるかの大空に
何千年もうごかずに
恋のいたみを胸に抱き
顔見合はせてる、いつまでも

彼等はゆたかな、うつくしい
言葉をはなしてゐるけれど
どんなにえらい学者でも
それを知るのは一人もない

わたしはそれを彼等にをそはつた
さうしてつひに忘れない
わたしにとつての文法は
あの恋しい人の顔なんだ
 

  九

歌のつばさにかきのせて
いとしい人よ、わたしはあなたをはこびませう
かなたガンゲスの野のはうへ
かしこにわたしは美しいところを知つてます

そこには静かな月かげを浴びて
紅い花の咲きにほふ園がある
さうして蓮の花たちは
そのしたしい姉妹きやうだいを待つてます

菫はきやつきやつとうち興じ
なかよく星を見上げてゐる
薔薇は匂やかな物語を
互の耳にはなしあふ

おとなしやかな賢さうな羚羊かもしか
をどつてやつて来る、耳をすます
そして遠くでは神聖な
大河の波の音がする

かしこで二人は地にをりて
棕梠の木かげに座をしめて
恋といこひをのみほして
たのしい夢に入りませう

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
底本:「ハイネ詩集」(新潮文庫、第三十五編)
新潮社出版、昭和八年五月十八日印刷、昭和八年五月廿八日發行、
昭和十年三月二十日廿四版。
生田春月(1892-1930年) 
「ハイネ詩集」(Heinrich Heine, 1797-1856年)
入力:osawa
編集:明かりの本
2017年7月7日作成
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