ハイネ詩集 生田春月訳

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ハイネ詩集
生田春月 訳
 
 
 
抒情挿曲
 

  三十

地は長いこと吝嗇けちにしてゐたが
春が来ると急に贅沢になつて来る
何を見ても飛んで笑つて喜んでゐる
それにわたし一人は笑へない

花は花らしく鐘は鳴る
鳥は昔話の鳥のやうにしやべる
けれどもそのおしやべりがわたしは気に入らぬ
わたしは何でもみじめに見える

第一、人間といふものが退屈だ
まへに気に入つてゐた友逹までが——
これはみんなわたしのかはいゝあの人が
『奥様』と呼ばれるやうになつたからだ
 

  三十一

いつもいつまでもわたしは帰らずに
他国で夢みて暮してゐたので
恋しい人はたうとう待ち切れなくなつてしまひ
たうとう結婚の着物を縫つて
そのやさしい腕で花婿を抱いた
馬鹿な若者の中の一番馬鹿なのを

その恋人はやさしく美しかつた
そのきれいな姿はいつも眼にうかぶ
菫いろの眼は薔薇いろの頬は
いつもかはらず咲いてゐる
こんないゝ人をとり逃してしまつたことは
わたしのやつた馬鹿の一番馬鹿なこと
 

  三十二

眼にはゆらめく青すみれ
頬には燃える紅い薔薇
小さいその手は白い百合
いつもさかえて花咲けど
心ばかりは枯れ果てた
 

  三十三

世は美しく空は青い
微風かぜはそよそよ吹いてゐる
花は野原で招いてゐる
あしたの露はかゞやいてゐる
何方どちらを見ても人間は歓呼してゐる——
それでもわたしは墓に寝て
死んだ恋人を抱いてゐたい
 

  三十四

いとしい人よ、もしもおまへが墓場へと
くらい墓場へ行くならば
わたしはそこに下りてゆき
おまへの身体からだにまつはらう

接吻きすし、はげしく抱きつかう
しづかな、冷たい、青ざめた子よ!
わたしはよろこんで、ふるへて、はげしく泣かう
わたしも死骸になつちまはう

真夜中ごにをめいて立ち上り
死人は群れてたのしく舞ひをどる
ふたりは墓にとゞまつて
わたしはおまへの腕に寝る

審判さばきの日、死人の群れは立ち上り
苦みに歓びにみな叫びあふ
ふたりは何を苦しまう
しづかにもたれてよこたはる

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
底本:「ハイネ詩集」(新潮文庫、第三十五編)
新潮社出版、昭和八年五月十八日印刷、昭和八年五月廿八日發行、
昭和十年三月二十日廿四版。
生田春月(1892-1930年) 
「ハイネ詩集」(Heinrich Heine, 1797-1856年)
入力:osawa
編集:明かりの本
2017年7月7日作成
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