ハイネ詩集 生田春月訳

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ハイネ詩集
生田春月 訳
 
 
 
若い悲み(一八一七年 – 一八二一年)

「夢の絵」から 

  その一

むかしわたしは夢みた、はげしい恋を
きれいな捲毛を、ミルテじゆを、木犀草を
苦い言葉の出て来る甘い唇を
悲しい歌の悲しい曲調メロデイ

その夢はとつくに破れて消え失せた
わたしの夢想はすつかり逃げ去つた!
そしてわたしがかつて熱い湯のやうに
やはらかな歌の中に注いだもののみが残つてゐる

とり残された歌よ!さあおまへも行くがよい
そしてとつくに消え去つた夢をたづね出し
もし見付けたらよろしくと言つてくれ——
はかない影にわたしははかない思ひをおくる
 

  その二

夜中の夢にわたしは自分の姿を見た
お祭りの日でゝもあるやうに黒い礼服に
絹の胴衣チヨツキを着込んでカフスをつけてゐた
そしてわたしの前には恋しい人が立つてゐた

わたしはお辞儀をして言つた『あなたが花嫁さん?
まあまあほんとにお目出たう!』
けれどわたしの喉からはやつとのことで
長く引つぱつた恭々うやうやしい冷たい言葉が出たばかり

するといきなり恋人の眼からは
涙がはらはら落ちて来て
やさしい姿は涙になつて溶けてしまつた

あゝ愛らしい眼よ、けだかい愛の星よ
おまへは醒めてゐる時いつでもだましたやうに
夢でもだますのだね、それでつもわたしは信じてあげる!
 

  その三

夢にわたしはちつぽけな可笑しい小男を見た
そいつは竹馬に乗つて大股に行く
まつしろな襯衣シヤツときれいな着物を着てゐたが
中味はといふとよごれてお粗末だつた

中味はみじめで無価値であつた
そのくせ外観みかけは大そう勿体ぶつてゐた
そいつは勇気といふことで長広舌をふるつてゐた
しかも軽蔑するやうに片意地に

『どうだい、誰だか知つてるか?まあ来て見ろ!』
かう言つて夢の神はいかにもずるさうに
鏡の縁の絵をわたしに見せた
祭壇の前にあの小男が立つてゐた
わたしの恋人が並んで立つてゐた、二人は『はい!』と言つた
そして沢山の悪魔が笑つて叫んだ『アーメン!』と

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
底本:「ハイネ詩集」(新潮文庫、第三十五編)
新潮社出版、昭和八年五月十八日印刷、昭和八年五月廿八日發行、
昭和十年三月二十日廿四版。
生田春月(1892-1930年) 
「ハイネ詩集」(Heinrich Heine, 1797-1856年)
入力:osawa
編集:明かりの本
2017年7月7日作成
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