ハイネ詩集 生田春月訳

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ハイネ詩集
生田春月 訳
 
 
 
抒情挿曲
 

  五十五

誰れもわかれのつらさには
かたく手と手をとりあつて
泣いてくどいて吐息して
いつはてるともおもはれぬ

わたし等ふたりは泣きもせず
あゝと吐息もしなかつた
しかしわかれて来たのちに
涙ながした吐息した
 

  五十六

食卓をかこんでお茶を飲みながら
恋の話に花を咲かせてゐた
優美で高尚な紳士たちと
やさしい心の婦人たちと

『恋はプラトニックでなくちやならん』
しなびた顧問官はかう言つた
顧問官夫人は皮肉な微笑わらひをうかべたが
なぜだか『あゝ!』と吐息した

つゞいて僧正ばうさんが口出して
『恋はあんまり夢中にならぬがよい
兎角身からだの毒だから』
お嬢さんはそつと『なぜでせう?』

伯爵夫人はかなしげに
『恋はほんとに熱病ですわ!』
さうしてとなりの男爵に
湯呑をしとやかに差し出した

食卓にはもう一つ空いた席がある
恋人よ、それはおまへの席なんだ
おまへがそこにゐたならば
おまへの恋の話をしたらうに
 

  五十七

わたしの歌は毒にそこねられてゐる——
どうすることも出来やせぬ
おまへはわたしのはなやかな
生活へ毒を盛つたのだ
わたしの歌は毒にそこねられてゐる——
どうすることも出来やせぬ
わたしは、胸にたくさんの蛇を抱いてゐる
そしておまへを、おまへをも
 

  五十八

またもわたしは昔の夢をみる
それは五月のばんだつた
二人は菩提樹のかげにすわり
互にいつまでもかはるまいとの誓ひを立てた

二人は誓つてはまた誓ひ
笑つたり愛撫したり接吻きすをしたりしたが
わたしが誓ひを忘れぬためだと言つて
おまへはわたしの手を噛んだ

おゝ涼しいをしたやさしい人よ!
おゝ美しい噛み附く子!
誓ひは立派なものだつたから
噛むことだけはおまけだね
 

  五十九

山のいたゞきに立つてると
センティメンタルになつて来る
『わたしが小鳥であつたなら!』と
わたしは千たびも吐息する

もしもわたしが燕なら、かはいゝ人よ
おまへのところへ飛んで行かう
そしておまへの窓ぎはに
わたしの寝床をつくらうに

もしもわたしが夜鶯うぐひすなら、かはいゝ人よ
おまへのところへ飛んで行かう
そしてみどりの菩提樹で
夜つぴて歌つて聞かさうに

もしもわたしが金糸黄雀ギムペルだつたなら
わたしはすぐにもおまへの胸へ飛んで行かう
おまへはほんに馬鹿者ギムペルにやさしくて
その痛みをなほしてくれるから

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
底本:「ハイネ詩集」(新潮文庫、第三十五編)
新潮社出版、昭和八年五月十八日印刷、昭和八年五月廿八日發行、
昭和十年三月二十日廿四版。
生田春月(1892-1930年) 
「ハイネ詩集」(Heinrich Heine, 1797-1856年)
入力:osawa
編集:明かりの本
2017年7月7日作成
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