ハイネ詩集 生田春月訳

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ハイネ詩集
生田春月 訳
 
 
 
抒情挿曲
 

  六十

わたしの馬車はしづかに行く
たのしげな森の木のかげや
日にきらめいて夢のやうに
花の咲いてゐる谷などを

わたしはすわつて夢みては
あの人のことを考へる
そのとき三つの影法師が
のぞき込んで頭で会釈する

彼等は嘲るやうに
しかめづらしたり飛んだりして
霧のやうにもつれ合ひ
くつくつ笑つて行つてしまふ
 

  六十一

おまへが墓場へ行つたとて
夢にわたしは泣き出した
目が醒めたとき、涙はやはり
頬を濡らして乾かない

おまへがわたしを見棄てたとて
夢にわたしは泣き出した
目が醒めたとき、わたしはやはり
長いこと咽んで泣いてゐた

おまへがかはらぬ誠を見せた
夢にわたしは泣き出した
目が醒めたとき、やつぱりやまないで
涙はながれた滝のやう
 

  六十二

夢におまへがなつかしさうに
挨拶するのを見たときに
わたしはおまへの足もとに
わつとばかりに泣き伏した

いたましさうな目付を向けて
おまへはブロンドの頭を振る
おまへの眼からは真珠のやうな涙の雫が落ちて来る

おまへは何かしづかに一言ひとこといつて
わたしに扁柏あすならうの花輪をくれた
目が醒めると花輪はかげもなく
言葉は忘れて思ひ出せぬ
 

  六十三

風は吠え立て雨は泣く
くらい陰気な秋の夜を
かあいさうな気弱な子
何処におまへはゐるんだね?

その子は寂しい小さな部屋の
窓にもたれて立つてゐる
眼には涙を一ぱいためて
夜の暗をぢつとながめてゐる
 

  六十四

秋風は木立をゆすぶつて
夜は冷たくしめつぽい
灰色の外套にくるまつて
わたしは森を一人で馬を駆る

どんなに馬を走らせても
心の方が先きになる
心はわたしを軽くふはふはと
あの人のうちへと連れて行く

犬は吠え立て従者等しもべら
提灯をもつて出迎へる
わたしは拍車の音たかく
螺旋階段らせんはしごをかけ上る

絨毯じうたんを敷いたあかるい部屋は
いゝ匂ひがして暖かだ
そこには、あの人が、わたしを待つてゐる——
わたしはあの人の腕へ飛んで行く

木の葉の中には風がざわめいてゐる
そして樫の樹はわたしに囁いて言ふ
『ねえ、馬鹿な年若な騎手のりてさん
そんな馬鹿な夢を描いてどうします?』

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
底本:「ハイネ詩集」(新潮文庫、第三十五編)
新潮社出版、昭和八年五月十八日印刷、昭和八年五月廿八日發行、
昭和十年三月二十日廿四版。
生田春月(1892-1930年) 
「ハイネ詩集」(Heinrich Heine, 1797-1856年)
入力:osawa
編集:明かりの本
2017年7月7日作成
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