ハイネ詩集 生田春月訳

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ハイネ詩集
生田春月 訳
 
 
 
帰郷
 

  二十五

娘は自分の部屋に眠つてゐる
月はふるへながら覗いてゐる
うちの外には歌の声や音楽の声が響いてゐる
ワルツの曲調メロデイでもあるやうに

《誰があんなに騒いでわたしの眠を妨げるか
窓からのぞいて見てやらう》
するとそこには一つの骸骨が立つてゐて
胡弓を引いては歌つていふ

『まへにあんなに一緒に踊らうと約束しておきながら
あなたは約束を破つておしまひだつた
今夜は墓場に舞踏会がありますから
さあ来て一緒に踊つて下さいな』

骸骨はしつかり娘をつかまへて
うちの中から呼び出すと
胡弓を引いては歌つて行く骸骨の
あとから娘はついて行く

彼は胡弓を引いては飛び踊り
骨をこつこつ鳴らしては
その髑髏しやりかうべをふりまはす
月のひかりの物すごさ
 

  二十六

わたしがくらい夢の中で
あの人の肖像を眺めてゐると
愛する顔は不思議にも
生きてるやうになつてくる

そして彼女のくちのまはりには
不思議な微笑わらひがうかんで来る
そして悲しい涙でも
うかんだやうに目は光る

わたしの涙もそのやうに
頬をつたつて落ちて来る——
そしてああ、おまへを失つたとは
とても本当だとはおもへない
 

  二十七

わたしはみじめなアトラスだ!
全世界の苦痛を背負つてゐなけりやならぬ
堪へがたいものをわたしは堪へて負うてゐる
そしてわたしの心はもうはや裂けさうだ

あゝ高ぶつた心よ、それはおまへが願つたことだ!
おまへは幸福で、限りないほど幸福であるか
でなくば限りないほど不幸であらうと願つたのだ
そして見ろ、今おまへは悩んでゐる!
 

  二十八

年は来る、年はすぎる
昔馴染の人はみな墓場へ行つた
しかしわたしの心に秘めてゐる
愛はさびしくとりのこされた

たゞ一度、わたしはおまへの顔が見たい
そしておまへの前にひざまづき
そして死にながらおまへにかう告げたい
『奥さん、わたしはあなたを愛します!』
 

  二十九

夢に月は悲しく照つてゐた
星は悲しく照つてゐた
夢はわたしを恋人の住んでゐる
何百哩も隔つた市街まちへ連れて行つた

夢はわたしを彼女の家へ連れて行つた
わたしは階段の石に接吻きすをした
それは彼女の小さな足や
彼女の着物のすそに触つた石だもの

夜は長かつた、夜は寒かつた
石は本当に冷たかつた
その窓からは蒼ざめた姿がのぞいてゐた
月のひかりに照らされて

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
底本:「ハイネ詩集」(新潮文庫、第三十五編)
新潮社出版、昭和八年五月十八日印刷、昭和八年五月廿八日發行、
昭和十年三月二十日廿四版。
生田春月(1892-1930年) 
「ハイネ詩集」(Heinrich Heine, 1797-1856年)
入力:osawa
編集:明かりの本
2017年7月7日作成
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