ハイネ詩集 生田春月訳

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ハイネ詩集
生田春月 訳
 
 
 
帰郷
 

  六十

愛の甘つたるい、嘘ばつかりの言葉でもつて
わたしはわたしをおまへの胸にしつかり結びつけた
するとどうだらう、自分の縄にくゝられて
冗談が真剣になつてしまふ

そこで極くもつともな理由から
おまへが冗談のやうにわたしから飛び去ると
地獄の力がわたしに迫つて来て
わたしは真剣で自殺する
 

  六十一

世界と人生とはあまりに断片的だ——
わたしは独逸の教授プロフエツサアのところへたのみに行かう
先生はこの人生を組立てることを知つてゐて
その中から立派な体系システムを立てるだらう
夜帽をかぶり寝衣ねまきを着ながら先生は
世界の組織のすき間をふさいでくれるだらう
 

  六十二

長いことわたしは頭を悩ました
考へごとをして昼も夜も
けれどもおまへのかはいゝ眼が
たうとうわたしに決心させた

今わたしはおまへのかはいゝ眼の
輝くところに踏み止まる——
もう一度こんなにはげしい恋をしようとは
わたしは考へて見たこともなかつたのに
 

  六十三

今夜はお客があるかして
家ぢゆうは灯火あかりがまぶしい程だ
上の二階のあかるい窓には
人影がひとつ動いてゐる

おまへはわたしの姿を見ない
この下の暗闇に一人で立つてゐるのだから
ましてやおまへは見はしない
暗いわたしの心の中を

暗いわたしの心はおまへを慕つてゐる
おまへを慕つて裂けてしまふ
裂けてふるへて血を流す
けれどおまへはそれを見ない
 

  六十四

この苦しみをのこりなく
たつた一つの言葉につぎ込みたい
さうしてそれを気軽な風にやつたなら
風は気軽に持つて行かう

風はそれをおまへのところに持つて行かう
苦しみを一杯盛つたその言葉を
それはいつでもおまへの耳に入る
それは何処でもおまへの耳に入る

さうしておまへが寝床について
眼を閉ぢたかと思ふ間に
わたしの言葉はおまへについて行く
深い眠の底の夢にまで

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
底本:「ハイネ詩集」(新潮文庫、第三十五編)
新潮社出版、昭和八年五月十八日印刷、昭和八年五月廿八日發行、
昭和十年三月二十日廿四版。
生田春月(1892-1930年) 
「ハイネ詩集」(Heinrich Heine, 1797-1856年)
入力:osawa
編集:明かりの本
2017年7月7日作成
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