ハイネ詩集 生田春月訳

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ハイネ詩集
生田春月 訳
 
 
 
帰郷
 

  六十五

おまへは金剛石やら真珠やら
人の慾しがるものは皆持つてゐる
その上一等きれいな眼を有つてゐる——
恋人よ、おまへはその上何が慾しい?

おまへのきれいな眼のために
わたしは数へることも出来ないほどの
不朽の歌をこしらへた——
恋人よ、おまへはこの上何が慾しい?

おまへのきれいな眼をもつて
おまへはわたしを大層苦しめた
さうしてわたしをこんなにしてしまつた——
恋人よ、おまへはこの上どうしたい?
 

  六十六

よし幸福しあはせをなくしても、まづまつさきに
愛するものは誰だらう、神様だ
だがその次に幸福しあはせをなくしても
愛するものは誰だらう、馬鹿者だ

わたしはかうした馬鹿者だ
よしない恋に身をこがす
太陽と月と星とは笑ふ
そしてわたしも一緒に笑ふ—— さうして死んでしまふ
 

  六十七

おまへの心の生ぬるさ
小心さにはとても適しない
岩をも通す勢ひの
わたしの恋のはげしさは

おまへは愛の大通りの好きな女だ
さうしてわたしはおまへがその夫と
手をとり合つて歩いて行くのを見る
小心なはらみ女のその様子!
 

  六十八

《ねえ、お嬢さん、あなたの真白な胸の上に
このわづらつてゐる詩人の疲れた頭を
うつらうつらとやすめることを
どうぞゆるして下さいませんか!》

『何ですつて?あなたはまあ飛んでもない
よくそんな失礼な事がわたしに申されますね?』
 

  六十九

彼等はわたしに忠告や教訓を与へて
名誉の雨をふり注いでくれて
まあ少しばかりお待ちなさい
そしたら何とか保護してあげませうと言つた

だが彼等の保護なんか待つてゐたら
わたしはかつゑてくたばつたらう
わたしをすゝんで世話してくれる
立派な人は一人も来なかつたらう

立派な人!彼はわたしを食はせてくれた
わたしはその恩を決して忘れはしない
だが彼に接吻きすしてやれないのは残念だ!
なぜと言ふのに、その立派な人はわたし自身であつたから

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
底本:「ハイネ詩集」(新潮文庫、第三十五編)
新潮社出版、昭和八年五月十八日印刷、昭和八年五月廿八日發行、
昭和十年三月二十日廿四版。
生田春月(1892-1930年) 
「ハイネ詩集」(Heinrich Heine, 1797-1856年)
入力:osawa
編集:明かりの本
2017年7月7日作成
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