ハイネ詩集 生田春月訳

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ハイネ詩集
生田春月 訳
 
 
 
フヨニツクス鳥

一羽の鳥が西から飛んで来て
東の方へ飛んで行く
香木かうぼくが匂はしく生えてゐて
棕梠しゆろの木はさらさら鳴り、泉は冷々する
東の故郷の庭園へ——
飛んで行きながら不思議な鳥は歌ふ

『彼女は彼を愛してゐる!彼女は彼を愛してゐる!
彼女はその小さな胸に彼の姿を抱いてゐる
それをたのしくこつそりかくしてゐる
さうして自分ではそれに気が附かない!
けれども夢の中で彼は彼女の前に立つ
彼女は泣いてくどいて彼の手に接吻きすをする
さうして彼の名前を呼ぶ
さうして叫びながら目を覚ましてはつとする
さうして不思議さうにその美しい眼をこする——
彼女は彼を愛してゐる、彼女は彼を愛してゐる!』
 

   *   *   *

帆檣にもたれて高い甲板デツキの上に
立つてわたしは鳥の歌を聞いてゐる
銀白のたてがみをもつた黒緑の馬のやうに
白い波がしらを揚げて波は飛び上る
白鳥のやうに帆をきらめかして
ヘルゴランド人は舟を走らせる
この勇ましい北海のノマアド人は!
わたしの上には永遠の青空に
真白な雲が飛んで行く
さうして永遠の太陽は
燃え立つ天の薔薇のやうに
喜ばしげに海の間に光を投げてゐる
さうして天と海とわたし自身の心とは
空のかなたに反響こだまする
『彼女は彼を愛してゐる!彼女は彼を愛してゐる!』

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
底本:「ハイネ詩集」(新潮文庫、第三十五編)
新潮社出版、昭和八年五月十八日印刷、昭和八年五月廿八日發行、
昭和十年三月二十日廿四版。
生田春月(1892-1930年) 
「ハイネ詩集」(Heinrich Heine, 1797-1856年)
入力:osawa
編集:明かりの本
2017年7月7日作成
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