ハイネ詩集 生田春月訳

.

ハイネ詩集
生田春月 訳
 
 
 
新しい春
 

  二十

薔薇は匂つてゐる—— けれども薔薇はそのことを
自分の匂つてゐることを感じてゐるだらうか?
また夜鶯うぐひすはその甘い響をもつた歌声で
我々の心を動かすことを自分で悟つてゐるだらうか?——

それはわたしにわからない、けれども真実といふものは
いつも心を苦くする!それゆゑ薔薇と夜鶯うぐひす
その感情を偽つてゐたならば、その嘘は
有益だつたに違ひない、何事にもさうであるやうに——
 

  二十一

おまへを愛してゐるためにおまへの顔を
わたしは避けずにゐられない—— 怒つちやいけない!
美しい空のやうなおまへの顔は
どんなにわたしの悲しい顔にふさはしからう!

おまへを愛してゐるためにわたしの顔は
こんなに醜くやつれて瘠せはてた——
おまへがしまひにわたしを醜く思ふといけないから——
それでわたしはおまへを避けるのだ—— 怒つちやいけない!
 

  二十二

わたしは花の間をぶらぶらする
さうして自分も花のやうな気持になる
まるきり夢中で歩きながら
一歩毎ひとあしごとにわたしはよろよろする

おゝ、わたしをしつかりつかまへてくれ!
はげしい恋に正気を失つて
おまへの足もとへ倒れてしまひさうだから
この人のたくさんゐる庭で
 

  二十三

さか巻く海の波の上に
影はどんなにふるへてゐても
月は静かにしつかりと
御空みそらを滑つて行くやうに

そのやうにおまへは、愛する人よ
静かにしつかり歩いてゐるが
おまへの姿はわたしの胸にふるへてゐる
わたしの胸が荒れてゐるので
 

  二十四

ふたりの胸は、愛する人よ
神聖同盟を結んだのだ
ふたつの胸は互にもたれ合ひ
互にすつかり知り合つた

あゝ、ただつぼみの薔薇だけは
おまへの胸を飾つてゐる
ふたりの仲間の薔薇だけは
しつぶされてしまつた気の毒に

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
底本:「ハイネ詩集」(新潮文庫、第三十五編)
新潮社出版、昭和八年五月十八日印刷、昭和八年五月廿八日發行、
昭和十年三月二十日廿四版。
生田春月(1892-1930年) 
「ハイネ詩集」(Heinrich Heine, 1797-1856年)
入力:osawa
編集:明かりの本
2017年7月7日作成
物語倶楽部作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、物語倶楽部で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。