ハイネ詩集 生田春月訳

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ハイネ詩集
生田春月 訳
 
 
 
小唄
 

  十五

あの星の照つてるところには
ここではとても得られない
喜びがあるにちがひない
死のつめたい腕にだかれたら
生ははじめて暖まり
夜があけて昼になるだらう
 

  十六

金箔と薔薇と扁柏いとすぎとで
わたしはきれいに飾りませう
棺箱ひつぎのやうにこの書物ほん
そしてわたしの歌を入れませう

あゝ、この恋しい思ひも入れることが出来たなら!
愛の墓には安息の草が萠え出して
花が咲いては摘まれてしまふ——
けれどもわたしには咲きはせぬ、墓に入つてしまはねば

こゝにはむかしのわたしの歌がある
エトナの熔岩の流れのやうに
わたしの胸の底から湧き出して
はげしい火花を散らした歌がある!

今では死骸のやうに黙つて寝たまんま
冷たくかたくなつてゐる
けれども愛の心が触れるなら
むかしの熱にかへるだらう

わたしの胸にはかうした予感がある
愛の心がいつかはそれに触れるだらう
遠い遠い土地にゐる恋しい人よ
いつかはこの書物ほんがおまへの手にわたるだらう

すると歌はにはかにいきかへり
蒼ざめた文字はおまへを見るだらう
祈るやうにおまへの美しい眼を見入り
恋するものの嘆息と嘆きとをさゝやくだらう
 

  十七

若い心が裂けるとき
星が空から笑ひます
星は笑つてはなします
たかい空から見おろして

『かあいさうなのは人間だ
心の底から恋をして
心をいためて死ぬほどに
苦労をしなけりやならぬとは』

『わたしたちは決してそのやうな
あはれな人間を殺してしまふ
恋などといふものを感じない
だからわたしたちは死にやしない』
 

  十八

いろんな姿に身を変へて
わたしはいつもおまへのそばにゐる
けれどいつでも悩んでゐる
いつもおまへに苦められて

もしもおまへが夏の日に
花壇の間を三歩して
一羽の蝶を踏みつぶしたら——
おまへはわたしの低いうめきを聞かないか?

もしもおまへが何気なしに
一つの薔薇を摘みとつて
花びらをとつてむしるなら——
おまへはわたしの低いうめきを聞かないか?

もしもかうして薔薇を折るときに
意地の悪い刺があつて
おまへの指を刺しでもするならば——
おまへはわたしの低いうめきを聞かないか?

自分の口から出る声のなかにさへ
おまへは、うめきのこゑを聞かないか?
夜中にわたしは吐息して
おまへの心の底から声立てる
 

  十九

森も野原も青くなり
雲雀は空にさへづつてゐる
春は来ました
光と色と匂ひをもつて

雲雀の歌は冬の間に
凍つた心をやはらげる
そしてわたしの胸からは
悲しい嘆きの歌が湧く

雲雀はほんとにいい声でさへづります
『なぜおまへはそんなにかなしく鳴くんだね?』
《これはわたしが昔から
ずつと歌つて来た歌ですよ!

これはわたしが緑の森かげに
悲しい心でうたふ歌ですよ
あなたのお祖母さんさへ若いとき
聞かれた悲しい歌ですよ!》

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
底本:「ハイネ詩集」(新潮文庫、第三十五編)
新潮社出版、昭和八年五月十八日印刷、昭和八年五月廿八日發行、
昭和十年三月二十日廿四版。
生田春月(1892-1930年) 
「ハイネ詩集」(Heinrich Heine, 1797-1856年)
入力:osawa
編集:明かりの本
2017年7月7日作成
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