ハイネ詩集 生田春月訳

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ハイネ詩集
生田春月 訳
 
 
 
オルタンス
 

  その一

女からされたり女にしたりする
接吻きすといふものはすべて前もつて
運命の手にちやんとめられてゐるものと
むかしはわたしも信じてゐた

その時分なんぞは本当に
是非でもしなければならぬ事でもするやうに
接吻きすしてやつたり貰つたり
真面目くさつてしたものだ

ほかのいろんなものとおなじく接吻きす
余計なものだとさとつた今は
野暮なおもひはさらりとすてゝ
浮いた心で接吻きすをする
 

  その二

あたらしい曲調メロデイをあたらしく
わたしは琴で弾いて見る
歌詞テキストは古い!それはソロモンの
『女は苦いといふあの言葉だ

女は友逹を裏切るどころでなく
その良人をつとさへ平気でだますのだ!
恋の黄金の杯の
最後のしづく苦蓬にがよもぎ

して見ると聖書バイブルに載つてゐる
蛇に誘惑されて罪を犯し
永遠に呪咀のろひを身に受けたといふ
あの古い伝説は本当であるか?

蛇は地べたを這ひまはつては
今でも籔の中からうかゞつてゐて
昔のやうにおまへとむつみ合ひ
その舌の音はおまへを慰める

あゝ、暗く冷たくなつて来た!
太陽のまはりを鴉が飛びまはり
いやな声で鳴き立てる、愛も楽みも
もう永遠に終つてしまつたのだ

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
底本:「ハイネ詩集」(新潮文庫、第三十五編)
新潮社出版、昭和八年五月十八日印刷、昭和八年五月廿八日發行、
昭和十年三月二十日廿四版。
生田春月(1892-1930年) 
「ハイネ詩集」(Heinrich Heine, 1797-1856年)
入力:osawa
編集:明かりの本
2017年7月7日作成
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