ハイネ詩集 生田春月訳

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ハイネ詩集
生田春月 訳
 
 
 
小唄
 

  二十

いち日わたしはあの人を
夜は夜中まで考へた
そしてすつかり眠つてしまつたら
夢はわたしをあの人へ連れて行つた

あの人は薔薇の蕾のやうに美しく
しづかに仕合せさうにすわつてゐる
膝の上には倅をのせ
白い羊をぬひとりしてゐる

あの人はやさしくわたしの方を見て
なぜにわたしが悲しさうに立つてゐるのかわからない
『なぜそんなに蒼い顔をしてらつしやるの?
ハインリッヒ、何がそんなに悲しいの?』

あの人はやさしく見上げてわたしがやはり
泣きながら自分の顔を見てゐるのにおどろいて
『なぜそんなに辛さうに泣いてゐるの?
ハインリッヒ、誰がいけないことをして?』

あの人はやさしい落着いた顔して見るけれど
わたしは苦くて死にさうだ
『ねえ、おまへが、いけないことをしたんだよ
そしてこの胸の中には苦痛がかくれてゐるんだよ』

するとあの人は立ち上つてわたしの胸に
さもものものしく手を置いた
するとたちまち苦痛はのこらず消えてしまひ
わたしは愉快な気持で目が醒めた
 

  二十一

緑の森へ行つて見よう
森には鳥がうたひ花が咲く
いつかわたしも墓へ入つたら
目も耳も土に蔽はれて
花の咲くのも見られないし
鳥の歌ふのも聞けないからね
 

  二十二

さあもう仲よくしようぢやないか
かはいゝ花の美人たち
一しよにしやべつたり笑つたり
楽しいことして遊ばうよ

白いきれいな君影草よ
あかい顔した薔薇ばら子さん
まだらのぶちのある石竹せきちくさん
青いかはいゝ忘れなぐさよ!

おいで、こつちへ来てごらん
みんなわたしは歓迎するよ——
ただもうわたしは意地悪の
木犀草はよせつけまい
 

  二十三

またも昔の気持がかへつて来る
馬を飛ばせて行くやうな
またも恋しい思ひに燃えながら
恋人の家へ走つて行くやうな

またも昔の気持がかへつて来る
馬を飛ばせて行くやうな
憎悪に駆られて戦場へ駈け付けるのを
味方が待つてゐるやうな

旋風のやうに馬を走らせて
森も野原も飛んで行くやうな!
わたしの味方とわたしのかはいゝ子とは
二人とももう殺されてゐるやうな
 

  二十四

日も夜もわたしは頭をひねくつて
何ひとつしでかしたこともない
ハアモニイの中を泳ぎまはり
ひとつもいい詩が出来なかつた

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
底本:「ハイネ詩集」(新潮文庫、第三十五編)
新潮社出版、昭和八年五月十八日印刷、昭和八年五月廿八日發行、
昭和十年三月二十日廿四版。
生田春月(1892-1930年) 
「ハイネ詩集」(Heinrich Heine, 1797-1856年)
入力:osawa
編集:明かりの本
2017年7月7日作成
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