ハイネ詩集 生田春月訳

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ハイネ詩集
生田春月 訳
 
 
 
悲劇
 

  一

わたしと一緒に逃げてくれ、そしてわたしの妻になつてくれ
さうしてわたしの胸にやすんでくれ
遠い他国でわたしの胸が
おまへの祖国だ、おまへの生れた家だ

おまへが一緒に行つてくれぬならこゝでわたしは死んでしまふ
そしたらおまへはたつた一人ぼつちになるであらう
たとひ生れた家にとゞまつてゐようとも
知らぬ他国にゐるのとおなじことであらう
 

  二

春の夜だといふのに霜が降りた
霜はやはらかな青い花の上に下りた
花は萎れた枯れ果てた

ある若者がある娘を慕ひ
ふたりは親の知らぬ間に
こつそり駈落してしまつた

ふたりは諸国をさまようた
何の幸福しあはせにもあはなかつた
ふたりはやつれた、なくなつた
 

  三

彼女の墓の上には一本の菩提樹が立つてゐる
その中で小鳥が囀り夕風がさらさらいつてゐる
さうしてその下の青々とした草場には
水車場の若者が情婦と一緒にすわつてゐる

風は何だか薄気味わるく吹いてゐる
小鳥は甘く悲しく鳴いてゐる
今までしやべつてゐたふたりは急に黙り込んで
ふたりは泣き出して、さうして自分でその理由がわからない

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
底本:「ハイネ詩集」(新潮文庫、第三十五編)
新潮社出版、昭和八年五月十八日印刷、昭和八年五月廿八日發行、
昭和十年三月二十日廿四版。
生田春月(1892-1930年) 
「ハイネ詩集」(Heinrich Heine, 1797-1856年)
入力:osawa
編集:明かりの本
2017年7月7日作成
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