ハイネ詩集 生田春月訳

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ハイネ詩集
生田春月 訳
 
 
 
最後の詩集から
 

  その一

神聖な寓言バラブルは止めるがよい
敬虔な臆説ヒポテシスは止めるがよい!
我々のために露骨に卒直に
この罪の深い疑問を解いてくれ

なぜに血を流しながら苦しみながら
たゞしい者が十字架の重荷を引きずつてゐるのに
幸福な勝利者として傲然と
悪人が馬にまたがつて行くのだらう?

その罪は誰にあるのだらう?
我等の主が全能の主でないのか?
それともそれは主御自身の罪なのか?
あゝ、そんな事を考へるのは賤しいことだ

かやうに我々は絶えず問ひ続ける
たうとう一握りの土でもつて
我々の口がふさがれてしまふまで——
だがそれが答へと言へようか?
 

  その二

以前わたしはわたしの行く道に
たくさん花の咲いてゐるのを見た
けれども摘みに下りるのは大儀だつたので
馬を駆つてわたしは立ち去つた

かうして今にも死にさうに病み衰へて
もう墓穴の掘られてゐる今となつては
わたしの記憶の中にいつでも嘲るやうに
あの花の匂ひが浮んで心を苦しめる

とりわけ一つの火のやうな色をした
菫がいつもわたしの頭に燃えてゐる
あの時あの蓮葉な女に手も触れないで
しまつたことが実に残念だ!

だがレエテの水が今でもその力を
失はないでゐることがわたしの慰藉なぐさめ
それこそおろかな人間の心を
忘却の楽しい暗で洗つてくれる水だもの
 

  その三

わたしは笑つてやつた日も夜も
馬鹿な男や女たちを
わたしもひどい馬鹿をした——
だが利巧は一層悪い結果をもたらした

下女が孕んで子を産んだ——
なぜまたそれをそんなに嘆くのだ?
生きてゐる時一度も馬鹿をしなかつた者は
決して賢者ではなかつたのだ
 

  その四

わたしは見た、彼等の笑ふのを、微笑を浮べるのを
わたしは見た、彼等の滅びてしまふのを
わたしは聞いた、彼等の泣声を、喉をごろごろいはせるのを
さうして平気で眺めてゐた

わたしは彼等の柩に従つて
墓地まで会葬したけれど
帰つて来ると正直に白状するが
舌皷を打つて昼飯をたらふくつめ込んだ

けれども今は悲しい心持になつて
くに死んで行つた人逹を不意に思出す
急に燃え上る恋の火のやうに
その思ひ出が不思議にも心を荒れ廻る!

とりわけユルヘンのあの涙が
わたしの記憶の中に流れて止まず
憂愁かなしみははげしい渇望のぞみにかはり
日も夜もわたしは彼女を呼ぶ!————

この萎れた花は幾度となく
わたしの熱にうかされてゐる時の夢にあらはれる
するとわたしは彼女が死んでから
わたしの愛を容れてくれたのだと考へる

おゝ、やさしい幻よ、どうぞお願ひだ
しつかりわたしを抱き寄せて
おまへの口をわたしの口に押し当てゝ——
この最後の時の苦さを甘くしてくれ!

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
底本:「ハイネ詩集」(新潮文庫、第三十五編)
新潮社出版、昭和八年五月十八日印刷、昭和八年五月廿八日發行、
昭和十年三月二十日廿四版。
生田春月(1892-1930年) 
「ハイネ詩集」(Heinrich Heine, 1797-1856年)
入力:osawa
編集:明かりの本
2017年7月7日作成
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