卍(まんじ) 谷崎潤一郎

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 その二
 
 ところがそいから二、三日たちますと、またモデルの時間に校長先生が這入はいって来られて、私の絵エの前い立ち止まってにやにや笑われますねん。そして「柿内さん」いいなさって、「柿内さん、どうもこの絵エ変ですなあ。ますますモデルに似んようになって来ますね。いったいあんたは誰モデルにしておられるのんですか」と、冷やかすような眼つきで私の顔じいッとつめなさるのんです。「おや、そうですかしらん。モデルに似てえしませんか」と、私しゃくにさわりましたもんですから、わざとにそないいうてやりましてん。そやかて校長先生は絵エの先生ではないのんですやろ?――はあ、日本画の方の受持ち筒井春江つついしゅんこう先生やのんで、常時じょうじお越しになる訳やのうて、ときどきやって来られて、何処どこが悪いやとか此処ここをこないせえやとかいわれますのんで、常は生徒たちが勝手にモデル見ていてますねん。校長先生いうのんは、随意科の方に英語ありまして、それせてなさるのんやそうですけど、学士でも何でもあれしませんし、何処の学校出られたのんか、学歴やかいもろくろくないらしい人やのんです。それは後になってから分りましてんけど、教育家いうよりは学校商売上手じょうずな人やのんで、つまり一種のやり手やのんですねんなあ。そういう校長さんですから絵エのことなんぞ分るはずあれしませんし、余計なくちばし入れる必要はないのんです。それにまた、学科の方はたいがい専門の先生たちに任しきりにしてめったに教室見廻ることやかいあれしませんのんに、その時間に限ってわざわざやって来られて、わたしの絵エ何やんやといいなさるのんですねん。「へえ、そうですかなあ、あんたはこの絵エこのモデルに似てるつもりなんですか」と、皮肉な口調でいわれましたもんですさかい、こっちも空惚そらとぼけてやりまして、「はい、わたし絵エは下手へたですから、似てえへんかも分れしませんけど、でも自分では一所懸命モデルの通りに写しましたつもりです」いいますと、「いや、あんたは下手ではありません。なかなか上手にけてます。しかしこの顔は、どうも誰ぞ外の人に似てるように思われますね」と、またそないいいなさるのんです。「ああ、顔のことですか、顔はわたし、自分の理想にかなうように画いてみたのんです」いいますと、「ではあんたの理想いうのは誰のことですか」と、えらいひつこいですねん。そいからわたし、「これは理想やのんですから、別に誰ちゅう実在の人間えがいた訳ではあれしません。観音さんの顔にふさわしいようになるだけ清らかな感じ持たしたのんですが、そいではいきませんですやろか。顔までモデルに似ささんと悪いのんですやろか」いいましてん。すると、「あんたはたいそうむずかしい理窟りくついいなさる。しかし理想通りのもんが思いのままに画けるようやったら、此の学校い絵エ習いに来るには及ばん。理想通りに画かれないからこそモデルについて写生するのんではありませんか。自分勝手の絵エ画くくらいならモデル使う必要あれしません。ましてこの観音さんがモデル以外の或る実在の人間に似てるとしたら、あんたの理想いうもんもはなは不真面目ふまじめに思えますね」いわれるのんで、「わたしちょっとも不真面目とちがいます。仮にこの顔誰ぞに似てても、その人の顔観音さんの感じ出すのに適してましたら、それ写しても芸術的にやましいことない思います」いいますと、「いや、それがいかんのんです。まだあんたは一人前の芸術家ではありません。あんたがその人の顔清らかであると感じられても、万人がそう感じるかどうか、それが問題です。そういうことからとかく誤解が起るのんです」いう訳ですねん。「へえ誤解て、どんな誤解起りますかしらん? ぜんたい似てる似てるいうて、誰に似てるのんですか、どうぞいうて下さい」いうてやりましたら、ちょっとどぎまぎして、「あんたは強情な人ですねえ」いわれて、そんなり校長先生は黙ってしまいはりました。わたしその時は校長さんやり込めてやったのんで、喧嘩けんかに勝ったような気イして、えらい痛快でしてんわ。けど大勢の生徒たちの前で議論したもんですよって、えらい評判になってしもて、間ものうけったいうわさひろまるようになりましてん。つまりわたしが光子さんに対して同性愛ささげてる、光子さんと私とが怪しいいいますねん。――それが前にもいいましたように、まだその時分は光子さんと物いうたこともなかったほどでしたさかい、出鱈目でたらめも出鱈目、ひどい※(「言+墟のつくり」、第4水準2-88-74)うそやのんです。もっともわたしは、うすうすみんなが蔭口かげぐちいうていることぐらい感づいてましたもんの、それがそないに騒がれてようとは夢にも知りませなんだ。なんせ身イに覚えないことやのんですから、何いわれても平気なもんで、まあ、世間の人いうたらたいがいええ加減なことをいい触らすもんや。附き合うてもいえへん人同士怪しいやなんて、なんぼ作りごとにしたかてようまあそんな※(「言+墟のつくり」、第4水準2-88-74)ばっかりいえたもんやおもて、あんまり馬鹿々々しいて腹も立てしませなんだ。ただ心配になりましたのんは、わたしはそいでかめしませんけど、光子さんの方はどう思てなさるやら、さぞかしえらい係り合いになって迷惑してはるに違いない思いましたら、そいからはこう、学校のかいりなぞに出遭であうことありましても、何や気イさして、前みたいに顔しげしげと見守ること出来しませなんだ。そうかいうて、思い切りようこっちから話しかけて、あやまるいうようなことも、――それがかいってけったいなことになりますし、なおさら迷惑しなさるかも分れしませんのんで、そないする訳にもいけしません。そんでわたし光子さんに出遇であいますと、出来るだけあやまる心持外に現わすようにして、ちいそうになって、下向いて、こそこそ逃げるようにそば通り抜けましたが、そないしながらも、先様さきさんおこってはれへんやろか、どんな眼つきしてはるか、やっぱり気がかりやもんですから、れちがう拍子にそうッと顔色うかごうたりしました。ところが光子さんの様子前とちょっとも変ったようなとこのうて、別にこっちを不愉快に思てなさる風にも見えしません。あ、そうそう、此処ここに写真持って来ましたよって、これ見て下さいませ。これはそろいの着物出来ましたとき二人で記念にりましたのんで、新聞にも出たことある問題の写真やのんです。これでもお分りになるように、こうして並んでましたら、わたしが引き立て役勤めてる形で、光子さんは船場あたりの娘さんの中でもちょっと飛びきりの器量やのんです。(作者註、写真を見ると、お揃いの着物というのは如何いかにも上方かみがた好みのケバケバしい色彩のものらしい。柿内未亡人は束髪そくはつ、光子は島田しまだに結っているが、大阪風の町娘の姿のうちにも、その眼が非常に情熱的で、うるおいに富んでいる。一と口にいえば、恋愛の天才家といったような気魄きはくちた、魅力のある眼つきである。たしかに美貌びぼうの持主には違いなく、自分は引き立て役だという未亡人の言は必ずしも謙遜けんそんではないが、この点が果して楊柳観音の尊容に適するかどうかは疑問である。)先生はこんな顔だちどないお考えになりますか? 日本髪よう似合うてますやろ?――はあ、お母様かあさん日本髪好きやとかいうことで、ときどきやはりまして、学校いもその頭で来やはりましてん。――何せそんな学校ですから、制服なんぞあれしませんし、日本髪の着流しでも何でもかめしませんのんですから、わたしなんかはかま穿いてたことあれしませなんだ。光子さんも、たまに洋服着なさることありましてんけど、和服の時はいつでも着流しでしてん。この写真では髪のせえで私より三つぐらい若うに見えてますけど、ほんまは一つとし下の二十三、――生きておられたら今年二十四ですねん。しかし光子さんの方が一、二寸せえ高いでしたし、それに綺麗きれいな人いうもんは、自分では器量鼻にかけへんつもりでも、やっぱり何とのう自信のある様子態度に現われるもんですやろか、それともこっちに引け目ありますとそない見えますのんですやろか、その後親しいになりましてからでも、歳からいうとわたしの方が姉さんでありながら、いつでも妹みたいな気イしてましてん。
 で、その時分、――といいますのんは、話前に戻りまして、まだお互いにものもいわんといてました時分、前にいいましたようなけったいうわさ立ちましたことは光子さんの耳いも這入はいってえへんはずあれしませんのんに、光子さんの様子はちょっとも前と変れしませんねん。わたしの方ではうから綺麗な人や思て、噂立ちません時分には、光子さんが通りなさると、それとのうそばい寄って行ったりしましてんけど、光子さんの方ではてんと私やかい眼中にないような塩梅あんばいで、すうッと通ってしまいはりますが、その通られた跡の空気までが綺麗なような気イするのんです。もしも光子さんが例の噂聞いてなさるとしたら、なんぼ何でも私いうもんに注意しなされへん訳あれしませんやろ。イヤなっちゃ思われるか、気の毒や思いなさるか、何とか素振そぶりに見えそうなもんですのんに、さっぱりそういう風しなされへんもんですから、私の方も段々ずうずうしいになりまして、また傍い寄って顔のぞき込むようになりましてん。すると或る日、おひるの休みに休憩所でばったり出遭であうと、いつでもすうッと澄まして通り過ぎてしまいなさるのんに、どういう訳やにッこりしなさって、眼エで笑いなさるのんです。そいで私思わずお時儀じぎしてしまいましたら、直ぐつかつかと寄って来られて、「わたし、あんたにこないだから大変失礼してました。どうぞ悪うに思わんといて頂戴ちょうだい」いいなさいますねん。「まあ何いいなさるのんです。わたしこそあやまらないかなんだのんですが」いいますと、「あんた詫りなさることあれしませんわ。あんたは何も知りなされへんのんです。わたしたちおとしいれよとしてる者いますから、気イつけなさいや」いいなさいますねん。「へえ、――それは誰ですか」とンねますと、「校長先生ですわ」といわれて、「此処ここでは詳しい話出来でけしませんさかい何処どこそとい行て、お昼御飯一緒に附き合うてもらわれしませんか? そしたらいろいろ、ゆっくり聞いてもらいますが」いいなさるもんですから、「何処いでも一緒にいきますわ」と、二人で天王寺公園の近所にあるレストランい行きました。そいから光子さん洋食たべながら話して下さったのんですが、わたしたちの事について悪い噂いい触らしたのんは実は校長さんやいいなさいますねん。なるほどそういわれて見ると、用もないのんに教室い這入はいって来て、みんなの前でわざと私に恥かすような事するいうのんが、だいぶんおかしい。悪意あってしたもんとしか思われへん。けどいったい何のために校長さんがそんな噂触れ廻るのんかといいますと、目的は光子さんにあるのんやそうで、何でもでも光子さんの品行について悪い評判立ちさいしたらええのんやいうのんです。それがまたどういう訳やいいますと、その時分光子さんに結婚の話持ち上ってまして、先はMいう大阪でも有名なお金持の家の坊々ぼんぼんで、光子さん自身は気イ進んでおられなかったそうやのんですが、お宅ではたいそうその縁談望んでおられたし、先方でも光子さん欲しがっておられた。ところが或る市会議員のお嬢さんで、やっぱりそのMさんへ縁談持ちかけてる人あって、光子さんの方と競争の形になってた。――光子さんは競争のつもりやのうても、市会議員の方では大敵が現われた思いましてんやろ。何しろMさんの坊々は光子さんの器量にあこがれてラブレター寄越よこしたくらいやのんですから、それは大敵に違いあれしません。そいでその市会議員の方では八方い運動して、成ろうことなら光子さんにケチ附けよというのんで、もう今までにも随分いろいろと、光子さん外に男あるらしいとか、あることないこといい触らしてましたんやそうですが、まだそいだけでは飽き足らんと、とうど学校の方い手エ廻して、校長さん買収したのんですなあ。あ、そうそう、そいからその前に、――話がほんまにこんがらがってますけど、――その前にその校長さんが、校舎の修繕するからいうのんで、光子さんのお父様に、お金千円一時融通してもらえまいかいうて来たことありますねんと。光子さんのお宅ではお金はたんとありまっさかい、千円ぐらい何でもなかったのんですやろけど、おおびらに寄附金つのるのんなら聞えてるが、一時融通してくれというのんおかしい、それにあんだけの校舎が千円のお金で修繕出来でけるはずもないし、分らん話やいうようなことで、お父様はことわられたのんやそうですねん。光子さんの話やと、そんなこというてはお金のありそうな生徒の家頼み歩くのん校長さんのくせやそうで、借ったお金は一ぺんでも返したことあれしませんねんと。それも校舎の修繕に使うのんなら格別、校舎いうのん豚小屋みたいにきたのうてぼろぼろになったなり、荒れ放題にしたあるのんです。――はあ? いいえ、そのお金は自分の生活費に使つこてはりますねん。校長さんいいましても高等幇間ほうかんみたいな人で、おまけに奥さんがやっぱりそこの学校の刺繍ししゅうの先生してなさって、夫婦でお金持の生徒に取り入っては、日曜のたんびに遠足会やとか、そんなことばっかりしてはりますさかい、なかなか暮らし派手ですねん。そいでお金貸したげたら、たいそう御機嫌ええのんやそうですけど、断ったら、陰い廻ってその生徒のことえらい悪ういやはりますねんと。つまり光子さんにはそういううらみあるとこいさして、市会議員に頼まれたもんですから、どんな悪辣あくらつなことかてしかねへんのです。「ですからあんたわたし陥れるために利用しられなさったんやわ」と光子さんはいわれますねん。「まあ、そんな深い訳あったのんですか、そんな事とはちょっとも知りませなんだが、それにしてもあんたと私とは今日までお附き合いもしてませなんだのんに、あんまり出鱈目でたらめが過ぎるではあれしませんか。捏造ねつぞうする人も捏造する人なら、みんながそれに受けるいうのん不思議でなれしません」いいますと、「あんたはそれやから呑気のんきや」いいなさって、「噂立ったもんやさかい、二人はわざと学校ではものいえへんのやと、みんなそないいうてますし、それどころか、こないだの日曜に二人大軌だいき電車に乗って奈良い行くとこ見たいう人さいあるのんですね」いいなさるのんです。わたしあきれてしもて、「まあ、誰がそんなこといいますねんやろ」いいますと、「なんでも校長さんの奥様おくさんから出たらしいのんです。それはそれはあんたが考えてなさるより十倍も二十倍も陰険やのんですから、気イ附けなさいや」いう訳ですねん。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 その三
 
 そんで光子さんは、ほんまにあんたに気の毒でなれしません、すみませんすみませんと何遍もいいなさいますから、わたしの方がかいって気の毒になりまして、「いいえ、いいえ、あんた悪いことあれしません。憎いのんは校長先生です。教育家ともあろうもんが、何ちゅう卑劣な、……けど、わたしでしたらどんなこといわれようとちょっともめしませんけど、あんたこそお嫁入り前の身イで、そんな悪辣な人たちのわなにかからんように気イ附けなさいや」と、こっちからあれこれと慰めたげましたら、「きょうはあんたにすっくりお話すること出来て、ほんまにええことしました。こいでようよう胸すッとしました」いわれて、「あのう、こうして二人で話やかいしてたら、またなんやかんやいわれますから、こんだけにしときまひょなあ」と笑いなさるのんです。「折角友だちになったのんに名残なごり惜しいですなあ」と、わたし何や、ほんまにそんな気イしましてしばらもじもじしてました。すると光子さんは「あんたさいよろしかったら友だちになりたいのんですが、今度内い遊びに来なされしませんか。わたしハタからどないいわれてもこわいことあれしませんわ」いいなさるのんです。「はあ、わたしかって恐いことあれしませんわ、あんまりうるさいこというのんなら、あんな学校やかいめてしまいます」いいますと、「なあ、柿内さん、わたしいっそのこと、知って仲ようしてみんなが冷やかすのん見てやりたいわ。あんたどない思いなさる?」「はあ、それがよろしいわ、そして校長さんどんな顔しなさるか見てやりたいですわ」と、わたしもすぐその気イになってしまいました。「そしたら、あのう、面白いことありますねん」と光子さん手エたたいてやんちゃのようにうれしがりなさって、「ほんまに今度の日曜に、二人で奈良い行きなされしませんか。」「ええ、行きまひょ、行きまひょ、それ分ったらえらい評判になりますで。」――そんなことで三十分か一時間ほどの間に、お互にもうすっくり打ち解けてしまいましてん。
 きょうはもう学校い帰るのんも馬鹿々々しいし、何なら松竹いでも行きませんかと、孰方どっちからとものういい出しまして、その日は夕方まで一緒に遊んで、光子さんは「ちょっと店い寄って行きます」と心斎橋筋しんさいばしすじ散歩しながら帰られて、わたしは日本橋からタクシーに乗って今橋の事務所い行きました。そんでいつでもみたいに主人さそて阪神電車で帰りましたのんですが、その時主人が、「お前今日えらいそわそわしてるなあ、何ぞうれしい事でもあったのんか」いわれましたのんで、「やっぱりいつもと様子ちごてるのかしらん、光子さんと友達になったことそないに自分幸福にさしたのんかしらん」と、ひとりで思いました。「そんでもわたし、今日ほんまにええ人と友達になったんやもん。――」「何んちゅう人や。」「何んちゅう人やて、そら綺麗な人やもん。――あんた、あのう、船場の徳光いう羅紗ラシャ問屋あること知らん? そこのお嬢さんやねんけど。」「何処で友達になったんや?」「同じ学校の人やわ、――それが、あのう、わたしとその人と、こないだからけったいうわさ立ってなあ、――」わたし別にやましいことやかいないもんですさかい、面白半分に校長先生と喧嘩けんかしたことから、一から十まで話してしまいますと、「ずいぶんひどい学校やなあ。けどお前がそないに美人やいうのんなら、僕も一遍会うてみたいもんやがなあ」と、冗談にそないいうてました。「いまにきっと内いも遊びに来なさるやろ。わたしこの次の日曜日に、一緒に奈良い行くいうて約束したんやけど、行ったらいかん?」「そら行ってもかめへん。」主人はそないいいまして「校長さん怒るぜエ」いうてわろてましてん。
 明くる日学校に行きますと、きんの一緒に御飯食べたことや映画見に行ったこともういつの間にやら知れ渡ってて「柿内さん、あんたきんの道頓堀どうとんぼり歩いてなさったなあ」「お楽しみやなあ」「あれ一体誰やったなあ」なんて、女の人いうたら、も、ほんまにうるさいのんです。そしたら光子さんはまたそれ面白がりなさって、知ってそばい寄って来られて、これ見よがしにしなさるのんです。そういうようなあんばいで、そいから二、三日するうちに、えらい仲うなってしまいました。校長さんはかいってあきれてしまわれたのんか、ただ恐い眼エしてじっにらんでおられるだけで、もう何ともいいなされしません。光子さんは「なあ、柿内さん、あの観音さんの絵エもっと私に似るようにいて御覧ごらん。そしたらどないにいやはるかしらん」いいなさるのんで、前よりももっと似るように直しましてんけど、校長さんはそんなり教室いも来なされしません。わたしたちはええ気イになって「痛快やなあ」いうてましてん。
 そないなって来ると、無理に奈良い行く必要もないようになりましたが、ちょうど四月の終りのことで、えらいええお天気の日曜でしたさかい、電話かけて相談して、上六うえろくの終点で待ち合いして、おひるすぎから若草山の方ぶらぶら歩き廻りました。光子さんはとしのわりにたいそうおませなとこもありますし、また子供のような無邪気なとこもあって、山の頂辺てっぺんい上りましたら、蜜柑みかん五つも六つも買うて、「ちょっと見てて御覧」と、それを上からころこばしたりしました。すると蜜柑は頂辺から下までころころと転こんで、その拍子にぽんと一つ往来飛び越えて、向い側の家の中い這入はいるのんで、面白がっていつまででもそないしてなさるのんです。「光子さん、そんな事してたらりがないよってわらびでも採りに行きまひょ。わたしこの山に蕨や土筆つくしのたんとえてるとこよう知ってるわ」いうて、そいから日の暮れまでかかって、蕨やらぜんまいやら、土筆やら、たあんと採りました。――はあ、その場所ですか、あれはあのう、若草山の山が三つ重なってる、その一番前の山と、その次の山との間のへっこんだ所、――あそこらへんいったいに、ずっともう一杯に生えてまして、あの山のんは、毎年春に山焼きしますのんで特別おいしいのんです。――そんなことでもう空大分くろなった時分、二人ともまた前の山の方い戻って来まして、あんまりくたぶれましたよって、山の中途へんい腰おろして休みながら、しばらくぼんやりしてます時でした。「柿内さん」と、急に光子さんが何やこうすこし改まった様子で、「わたしどうしてもあんたにお礼いわんならんことあるねんけど」いわれるのんです。「何やのん?」とンねますと、「わたしあんたのお蔭でなあ、あんなイヤな人のとこい嫁入りやかいせえでもええようになりそうやねんわ。」――そういうて、何や知りませんけどニヤニヤわろてなさるのんです。「まあ、また何でそんな事になったん?」「ほんまに噂いうもん早いもんで、もうちゃあんと、あなたと私のことむこい知れてしもてるねん。」
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

 その四
 
ゆんべなあ、内でその話が出てなあ」と、光子さんは言葉をつがれて、「お母さんがわたしを呼びやはって、お前、学校でこんなうわさあるそうやけど、それほんまでっか、いやはるねん。へえ、そらそんな噂あることはありまっけども、いったいお母さん、何処どこで聞きやはりましてん? そらまあ何処でもよろしおまっしゃないか。それよかそらほんまの事でっか? へえ、ほんまです、そやけど何がけったいでんねん? 友達と仲好うしてるぐらいで。――そういうたらお母さんちょっとまごつきはってなあ、そらお前、仲好うしてるだけやったら何ともないけど、何やそれがイヤらしいこッちゃいうやおまへんか。イヤらしい事てどんな事でんねん? どんな事やかお母さんは知りめえんけどな、別に悪いことやなかったらそんな噂立つはずおまへんやないか。ああ、そら何でや知ってまんねん、そのお友達いうのがなあ、うちの顔が好きやいやはってモデルにしやはりましてん、そんな事からみんながうちらを排斥し出しはりましてんやろ。そらもう学校いうたらうるそうてなあ、ちょっとでも顔綺麗きれいかったら何ややと憎まれるよって。――そらまあ、そんな事もありまっしゃろけど、と、わたしが説明したげたらお母さんもだんだん分って来やはって、そんな事ならかめへんけども、そないいうてもその何とかはんいう人とばっかり仲好うせん方がよろしおまっしゃないか。お前もこれからが大事な体やよって、しょうむない事あんまりいわれん方がよろしおまっせいうて、まあそんなりで済んでしもてんけど、きっとあの市会議員なあ、むこらへんの連中がそんな噂聞きさがしてMの方いしゃべったのんが、それがまたお母さんの耳に這入はいってしもてんわ。そやよって、大抵縁談もあかんようになるやろ思てんねん。」「そら、あんたはそんでええやろけど、お母さんがきっとわたしをいやがってはるわ。今に見てて御覧、わたしと交際したらいかんいわれへんかしらん? もし誤解しられたらイヤやけどなあ」と、わたしそれが気がかりで、そういいますと、「そんなことあんた、心配せんかてかめへんわ。そらほんまいうたら、校長さんが慾張りの人で、お金貸してもらえなんだら悪口いう癖のあることや、市会議員の人に買収しられてることやらを、みんなお母さんにいうてしまおか知らん思たけど、そんなけったいな学校なら止めてしまいなはれいわれそうやよって、いわんと置いといてんわ。そしたらあんたと会われへんようになるよって。」「あんたもなかなかすみい置けんなあ。」「ふふん、うちかってスコイよってなあ」と、光子さんはくつくつ笑われて、「むこが悪い人やったらこっちかって利用してやらんと損やわ。」「けど、あんたの方が破談になって、市会議員のいとはんもよろこんではるやろなあ。」「そしたらあんたは両方から感謝しられるべきやわ」なんかと、お互にあれやこれやいい合いまして、山の上で一時間以上もしゃべってました。わたし今まででも若草山い上ったこと何遍でもありますけど、そんなに日イ暮れてしまうまで山の上にいたことあれしませなんだのんで、あそこから夕靄ゆうもやの景色見わたすのんは、ほんまにその時が初めでした。ついさっきまでまだその辺に人がチラホラしてましたのんに、もうてっぺんからふもとまでだあれも人の影ありません。その日は割にえらい人出でしたから、あのなだらかな、若草の生えた山の中ほどには、弁当のたべ残しや、蜜柑の皮や、正宗まさむねびんが一杯散らかって、空はまだうすあかいのに、足の下には奈良の町のちらちらして、遠くの方の、ちょうどわたしらのア向うのあたりには、生駒山いこまやまのケーブル・カアのイルミネーションがずうっと珠数じゅずのようにつながって、紫色した靄のあいだから、ところどころ絶えては続いてまたたいてます。そのまたたいてる光見ると、わたし、何やしらん息詰まるように感じたのんですが、「まあ、知らん間に晩になってしもて、さびしいわなあ」と、光子さんがいわれました。「一人やったらほんまにこおうていられへんわなあ」いいますと、「好きな人と二人だけやったらこんな淋しい所の方がええわ」と、そないいうて光子さんはためいきついておられました。「うちあんたと一緒やったらいつまででも此処ここでこないしてたいわ。」――わたしはその言葉口いは出さんと、夕闇ゆうやみのなかにうずくまって足投げ出してなさる光子さんの横顔ながめてましたが、暗いのんでどんな表情してなさるのんか分りませなんだ。ただ光子さんの白い足袋たびの向うに、大仏殿の金の鯱鉾しゃちほこが空のうすあかりに底光りしてました。「おそうなったよって帰りまひょ」いうて、そいから山降りて、大軌まで歩いて行きましたらかれこれ七時になってしまいました。「うちなか減ったけど、あんたどうする?」「きょうは早う帰らんといかんねんわ奈良い行くとも何ともいわんと出て来たよって」と、光子さんは時間気イにしておられましたが、「そないいうたかてうちもうペコペコやわ。おそなりついでやよってええやないか」いうて、無理に引っ張って洋食屋い這入りました。「あんたとこの旦那だんなさん、おそなっても別に何ともいやはれへんか?」と御飯たべながらそんな話が出ました。「うちのあの人、そんなこと何とも干渉しやはれへん。それにうち、あんたと仲好うなったことちゃあんと話したあるわ。」「そしたらどないいやはった?」「うちがあんまりあんたのことばっかりいうよって、あの人いうたら、そんな綺麗な人やったら一ぺん会うてみたいなあ、いっそ遊びにえへんもんやろかいうてはった。」「あんたの旦那さんいうたらやさしい人?」「そらもうあの人と来たら、うちがどんな勝手気儘きままな事してもなんともいやはれへんわ。けど、あんまり優しいよって、時によったら張合いないのんで、――」わたし、まだその時までは自分のことは一つも光子さんにいうてなかったのんで、夫と結婚するようになった訳や、それから、あのう、いつやらの恋愛問題や、それについて先生にいろいろ心配していただいたことまで、その時すっくりいうてしまいました。光子さんはわたしが、先生知ってるいいましたら、「まあ、そうお? あんた知ってんのん?」とびっくりしなさって、自分も先生の小説とても好きやよって、一遍連れて行ってくれなされしませんかいうてなさったのんですが、いッつも今度こそ今度こそといいながら、とうとうそのままになってしもうたのんです。「ふうん、そしてあんた、もうその人と交際してへんのん?」と、光子さんは一所懸命にあの事聞きたがりなさって、今はもう交際してえしませんといいますと、「なんでやのん? そんな、あんたのいうように清い恋やったら交際してもええやないか。うちやったら、恋愛と結婚とは別々のように思うけどなあ」なんかいうて、「あんたの旦那さん、その事ちょっとも知りはれへんのん?」「ふん、そらうすうす感じてたかも知れんけど、うちなんにもその事についていうたことないし、とやかく問題になったようなことなかったわ。」「えらい信用あるねんなあ。」「それよりかうちのこといっそ子供のように思うてるねんわ。そやよってうち気に入らんねんけど」と、わたしそういいました。
 その晩家い帰ってみたら十時近くでしたのんで、「えらいおそかったなあ」と、夫はいつにのうけったいな顔して、何やこう淋しそうにしてたのんが、ちょっと気の毒な気イしました。別に悪いことした訳でも何でもないのんに、夫が長いこと待ちくたぶれて、たった今御飯すましたらしい様子見ると、妙に気がとがめました。そういうと前、恋人と会うてた時分にはよう十時過ぎに帰って来たことありましたけど、この頃になってこないにおそうなったことあれしませなんだ。そいで夫もちょっと気イ廻したのんかも分れしませんが、わたし自身も、何かしらんちょうどあの時と同じような気イしました。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 その五
 
 そうそう、そいからその時分にあのいつぞやの観音さんの絵エ出来でけ上りましたので、それ夫にみせたことありました。「ふうん、光子さんいうたらこんな人か。お前にしたらこの絵エうもう出来すぎてるなあ」と、夫は晩御飯のときにそれたたみの上い広げて、一とはしたべては見、一と箸たべては見いして、「これやったら、さも絵エにかいたようやけど、ほんまにこの通りかいな」と、あやしみながら念押しました。「そらこの絵エ問題になったくらいやもん、よう似てるわ。ほんとの光子さんはこの神々こうごうしさの上にちょっと肉感的なとこあるねんけど、日本画にしたらその感じが出えへんねん。」――その絵エわたし、大分骨折りましたのんで自分でもようけてると思いました。夫はしきりに傑作やいいましたが、とにかくわたしが絵エいうもん習い始めてから、これほど一所懸命に、興味って画いたことはあれしませなんだ。「いっそこの絵エ表具ひょうぐしてもろたらどうやねん。それでそれが出来上ってから、光子さんに見に来てもろたらええやないか」と、夫がいいますのんで、わたしもその気イになりまして、そんなら京都の表具屋いやって立派に仕立てさせよと思いながら、ついそのままに放ったあった、或る日イのことでした。「実はこうこういうつもりやねんけど」と、光子さんにその話したら「表具屋いやるぐらいやったら、もう一ぺん画き直してえへん?――あれはあれでよう出来てるけど、――顔はよう似てるけど、――体のつきがちょっとだけ違うよってなあ」いわれるんのです。「違うて、どういう風に?」「どういう風にいうたかって、口でいうたぐらいやったら分れへんわ」と、そないいわれたのんが、ただ自分の感じ正直に述べられたのんで、「わたしの体はもっともっと綺麗です」いうような自慢の意味はなかったのんですけど、でも何とのう不満足に思うてなさる様子でしたので、「そんなら一ぺんあんたのはだか恰好かっこ見せて欲しいなあ」いいますと、「そら、見せたげてもかめへんわ」と、すぐに承知しなさいました。
 そんな話があったのんやっぱり学校からの帰り道か何処ぞやったんですやろ。「そんならあんたとこい行て見せたげるわ」いわれて、たしかその明くる日の午後、学校早退はやびきして二人でわたしのうちい来ました。「うちはだかになったりなんかしたら、あんたとこの人びっくりしやはるやろなあ」と、みちみち光子さんはいうておられましたが、きまりわるがるより、なんぞ面白い遊びでもするように、やんちゃな眼エしておかしがっておられるのんでした。「家にええ部屋あるわ。そこやったら誰にも見られへん、西洋間になってるよって」と、わたしはそないいうて二階の寝室い連れて行きました、「まあ、感じのええ部屋やなあ、とてもハイカラなダブルベッドあるなあ」と、光子さんはそのベッドに腰かけて、おしりにはずみつけてスプリングぐいぐいたゆましたりしながら、しばらくおもての海のけしき見ておられました。――宅は海岸の波打ちぎわにありますのんで、二階はたいへんに見晴らしええのんです。東の方と、南の方と、両方がガラス窓になってまして、それはとてもあこうて、朝やらおそうまでは寝てられしません。お天気のええ日イは松原の向うに、海越えて遠く紀州あたりの山や、金剛山こんごうさんなどが見えます。はあ?――はあ、海水浴も出来るのんです。あそこらへんの海はちょっと行きますと、じきにどかんと深うになってますので、あぶないのんですけど、香櫨園こうろえんだけは海水浴場出来でけまして、夏はほんまににぎやかやのんです。ちょうどその時分は五月のなかば頃でしたから、「早う夏になったらええのんになあ、毎日でも泳ぎに来るのに」と、部屋の中見廻しながら、「うちも結婚したら、こんな寝室持ちたいわ」などというたりしました。「あんたやったら、これどころやあるかいな。もっともっとええとこい行けるやないか。」「そやけど、結婚してしもたらどんな寝室に住んでも、綺麗なかごの中に入れられた鳥のようなもんと違うかしらん?」「そら、そんな気イすることもあるけど、――」「あんた、此処は夫婦の秘密室やないかいな。わたしこんな部屋い引っ張って来て、旦那さんにしかられへん?」「秘密室かってかめへんやないか。あんただけは特別やもん。」「そないいうても、夫婦の寝室は神聖なもんやいうさかいに、……」「そしたら処女の裸体かって神聖なもんやよって、ここで見せてもらうのが一番ええわ。今のうちやったら光線の工合ぐあいもちょうどええよって、はよ見せてほしいわ。」私はそういうてきたてました。「海の方から誰ぞ見てはれへんやろか。」「あほらしい、あんな沖の方にいる船から何が見えるもんかいな。」「そやけど、ここはガラス窓やよってなあ。――そこのカーテン締めてほしいわ。」五月いうても眼エ痛うになるほどキラキラするお天気でしたから窓はところどころ開け放してありましたが、それすっかり締め切ってしもうたのんで、部屋のなかは汗がたらたら流れるぐらいの暑さでした。光子さんは観音さんのポーズするのに、なんぞ白衣びゃくえの代りになるような白い布がほしいいうのんで、ベッドのシーツがしました。そして洋服箪笥だんすの蔭いて、帯ほどいて、髪ばらばらにして、きれいにいて、はだかの上いそのシーツをちょうど観音さんのように頭からゆるやかにまといました。「ちょっと見てごらん、こないしてみたら、あんたの絵エと大分違うやろ。」そういうて光子さんは、箪笥のとびらに附いている姿見の前い立って、自分で自分の美しさにぼうっとしておられるのんでした。「まあ、あんた、綺麗な体しててんなあ。」――わたしはなんや、こんな見事な宝持ちながら今までそれ何で隠してなさったのんかと、批難ひなんするような気持でいいました。わたしの絵エは顔こそ似せてありますけど、体はY子というモデル女うつしたのんですから、似ていないのはあたりまえです。それに日本画の方のモデル女は体よりも顔のきれいなのんが多いのんで、そのY子という人も、体はそんなに立派ではのうて、はだなんかも荒れてまして、黒く濁ったような感じでしたから、それ見馴みなれた眼エには、ほんまに雪と墨ほどの違いのように思われました。「あんた、こんな綺麗な体やのんに、なんで今まで隠してたん?」と、わたしはとうとう口に出して恨みごというてしまいました。そして「あんまりやわ、あんまりやわ」いうてるうちに、どういう訳や涙が一杯たまって来まして、うしろから光子さんに抱きついて、涙の顔を白衣の肩の上に載せて、二人して姿見のなかをのぞき込んでいました。「まあ、あんた、どうかしてるなあ」と光子さんは鏡に映ってる涙見ながらあきれたようにいわれるのんです。「うち、あんまり綺麗なもん見たりしたら、感激して涙が出て来るねん。」私はそういうたなり、とめどのう涙流れるのんこうともせんと、いつまでもじっと抱きついてました。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

 その六
 
「さあ、もう分ったやろうち着物きるわなあ」いわれるのんを、「イヤや、イヤや、もっと見せてほしいイッ」と、わたしは甘えたみたいに首振ってせがみました。「あほらしいもない、いつまではだかになってたかてしょうがないやないか。」「しょうがあるとも。あんた、まだ、ほんとのはだかになってえへんやないか。この白い物取ってしもたら、――」そういうていきなり肩にかかってるシーツつかみますと、「放してほし! 放してほし!」と、一所懸命にがされまいとしなさるのんで、シーツがびりびり破れました。わたしはかあッと逆上してしもて、くやし涙一杯浮かべて、「そんならいらん、うちあんたそんな水臭い人や思てえへなんだのに、もうええわ。もうきょう限り友達でもなんでもないわ」と破れたシーツを口でずたずたに引き裂きました。「まあ、あんた、気イでも違うたんか。」「うちあんたみたいに薄情な人知らんわ。あんた、こないだ、もうお互に一切隠しごとせんいうて約束したやないか。あんたのうそつき!」――その時はよっぽどどうかしてたと見えまして、自分で覚えないのんですけど、まっさおになってぶるぶるふるいながら光子さんをにらみつけた顔つきが、ほんまに気でも狂うたように思えましたそうです。そういうと光子さんもやっぱり黙ってわたしの顔じーッとつめたまま、ふるてなさったようでしたが、ついさっきまでの気高い楊柳観音のポーズくずれて、はずかしそうに両方の肩おさえて、一方の足の先を一方の上に重ねて、片膝かたひざを「く」の字なりにすぼめながら立ってなさるのんが、哀れにも美しゅう思えました。わたしはちょっといたいたしい気イしましてんけど、シーツの破れ目からうずたかく盛り上った肩の肉が白い肌をのぞかせてるのを見ますと、いっそ残酷に引きちぎってやりとうなって、夢中で飛びついて荒々しゅうシーツ剥がしました。わたしも真剣なら、光子さんも気イまれたと見えまして、こっちのするままになりながら、もう何事もいわれませなんだ。ただ両方が憎々しいくらいな激しい眼つき片時もらさんと相手の顔いそそいでました。わたしはとうど思い通りにしてやったいう勝利のほほえみを、――冷ややかな、意地の悪いほほえみを口もとに浮かべて、体に巻きついてるものをだんだんに解いて行きましたが、次第に神聖な処女の彫像が現われて来ますと、勝利の感じがいつのまにやら驚歎の声に変って行きました。「ああ憎たらしい、こんな綺麗な体してて、――うちあんた殺してやりたい。」わたしはそういうて光子さんのふるてる手頸てくびしっかり握りしめたまま、一方の手エで顔引き寄せて、くちびる持って行きました。すると突然光子さんの方からも、「殺して、殺して、――うちあんたに殺されたい、――」と、物狂おしい声聞えて、それが熱い息と一緒に私の顔いかかりました。見ると光子さんのほおにも涙流れてるのんです。二人は腕と腕とを互の背中で組み合うて、どっちの涙やら分らん涙飲み込みました。
 その日はわたし、別にどうという考はありませんでしたけど、光子さん連れて来ること夫に黙ってましたのんで、夫の方では学校の帰りにわたしが事務所い寄る思うて、ゆうがたまで待ってましたそうですが、いつまでたっても来ませんのんで、家い電話かけて来ました。「そんなんやったら、ちょっと知らしてくれたらええのに。えらい待ちぼけうたもんや。」「ついうっかりしててまなんだけど、急に話がまとまってしもてん。」「そんで、光子さんまだいやはんのか。」「いやはるけど、もうき帰りはるやろ。」「まあもうちょっと留めといたげエな、僕こいから直ぐ帰るわ。」「そしたら大急ぎで頼むわ。」――わたしは口ではそういいましたけど、心のうちでは夫が戻って来ますのん何や面白う思いませなんだ。さっきの寝室の事あってから、わたしの胸には幸福の感じが満ち満ちてまして、今日は何という楽しい日イやろと、足が地に着かんように浮き浮きして、些細ささいなことにも直ぐに心臓どきッと早鐘はやがね打つようになってましたのんに、夫に帰って来られてはその折角せっかくの幸福へヒビが入るように感じたのんです。わたしはただもう光子さんと二人きりで、いつまでも話してたかったのんです。いえ、話なんかせえでもめしません、黙って光子さんの顔さい見てられたら、――自分がその人のそばにいるいうことだけで、限りない幸福が胸一杯になるのんです。「なあ光子さん、今電話がかかってなあ、うちの人帰って来るそうやねんけど、あんたどないする?」「えー、どうしょう――」と、光子さんはあわてて着物着ながら、――もう夕方の五時時分でしたが、その時まで二、三時間もシーツ一つでいなさったのんです。――「うち会わんと帰ったら悪いかしらん?」「あんたに会いたいいうてたけど、……今じっき帰って来るよって待ってたらどう?」わたしはそういうて引き留めはしましたもんの、その実夫が戻らん先に早う出て行ってくれはったらええ思いました。そうというのんが、今日の一日を完全に幸福な一日として終らしたい、折角のうつくしい日の思い出を、第三者のために不純にさしてしまいたくないと願うたのんです。そんな気持があったもんですから、夫が帰って来ました時には、自然とその不満の色顔い出まして、妙にふさぎ込んでしまいました。光子さんも、わたしがそういう風でしたし、初対面でもありますし、それにいくらか気イとがめてもいなさったのんでしょう、あんまり物数いわれませんのんで、三人ながら手持無沙汰てもちぶたさ[#ルビの「てもちぶたさ」はママ]で、めいめい何や別な事考えてる、というたようなあんばいでした。そうなるとわたしは、いよいよ邪魔しられたのんが腹立たしいて、夫憎うさい感じました。「二人で何して遊んでてん?」と、夫は光子さんの手前、ぼつぼつそんなこと話しかけました。「今日は寝室アトリエに使つこてしもてん」と、わたしはわざとあっさりいうてけました、「――観音さんの絵エ画きなおそおもて、光子さんにモデルになってもろてん。」「ロクな絵エもよう画かんくせに、モデルこそええ迷惑やなあ。」「そやけど、モデルの名誉回復のために画きなおしてくれいわれてんもん。」「おまいらなんぼ画いたかってモデルわやくちゃにするだけや。モデルの方がずっと綺麗やないか。」夫婦がそんなことをいい合うてるあいだ、光子さんははずかしそうに下向いてくつくつ笑うてなさるだけで、てんと話はずまずに、間ものう帰ってしまわれました。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

 その七
 
 ここにその時分やりとりしました手紙持って来ましたから、お読みになって下さいませ。まだこの外にもたんとたんとありますけど、とてもみんなは持って来られしませなんだのんで、これはほんの一部分、その中の面白そうなのんって来ましたのんです。こっちの方のが古いのんで大体順番になってますから、どうぞこれから見て下さいませ。光子さんからわたしの方い来ましたのんはひとッつ残らず大事にしもて置いたのですが、わたしの方から光子さんい上げたのんが中に交ってますのんは、それはあのう、あとで話しますけど、少し事情ありまして、あの方の家から取り戻しましたのんです。(作者註、柿内未亡人がほんの一部分だといったところのそれらの文穀ふみがらは、約八寸立方ほどの縮緬ちりめん帛紗ふくさ包みにハチ切れるくらいになっていて、帛紗のはしかろうじて四つに結ばれていた。その小さい堅い結び目を解くのに彼女の指頭はくれないちょうし、そこをつねっているように見えた。やがて中から取り出された手紙の数々は、まるで千代紙のあらゆる種類がこぼれ出たかのようであった。なぜならそれらはことごとくなまめかしい極彩色の模様のある、木版刷りの封筒に入れられているのである。封筒の型は四つ折りにした婦人用のレターペーパーがやっと這入はいるほどに小さく、その表面に四度刷りもしくは五度刷りの竹久夢二たけひさゆめじ風の美人画、月見草、すずらん、チューリップなどの模様が置かれてある。作者はこれを見て少からず驚かされた。けだしこういうケバケバしい封筒の趣味は決して東京の女にはない。たといそれが恋文であっても、東京の女はもっとさっぱりしたのを使う。彼女たちにこんなのを見せたら、なんてイヤ味ッたらしいんだろうと、一言の下に軽蔑けいべつされることけ合いである。男も彼の恋人からこういう封筒の文をもらったら、彼が東京人である限り、一朝にしてあいそを尽かしてしまうであろう。とにかくその毒々しいあくどい趣味は、さすがに大阪の女である。そうしてそれが相愛し合う女同士の間にかわされたものであるのを思う時、尚更なおさらあくどさが感ぜられる。ここにその手紙のうちからこの物語の真相を知るのに参考になるものだけを引用するが、ついでにそれらの模様についても、一つ一つ紹介するであろう。思うにそれらの意匠の方が時としては手紙の内容よりも、二人の恋の背景として一層の価値があるからである。――)
(五月六日、柿内夫人園子より光子へ。封筒の寸法はたて四寸、横二寸三分、とき色地に桜ン坊とハート型の模様がある。桜ン坊はすべてで五、黒い茎に真紅まっかな実が附いているもの。ハート型は十箇で、二箇ずつ重なっている。上の方のは薄紫、下の方のは金色、封筒の天地にも金色のギザギザで輪郭が取ってある。レターペーパーは一面にくうすい緑でつたの葉が刷ってある上に銀の点線でけいが引いてある。夫人の筆蹟ひっせきはペン字であるが、字の略しかたにゴマカシがないのを見れば相当に習字の稽古けいこを積んだものに違いなく、女学校では能筆の方だったであろう。小野鵞堂おのがどうの書風を更に骨無しにしたような、よくいえば流麗、わるくいえばぬらりくらりした字体で、それがまた不思議なくらい封筒の絵とぴったり合っている。)
 

 しと/\/\/\……今夜は五月雨さみだれが降っている。あたしは今窓の外のきりの花にふりそそぐ雨の音をききながら、あの、あなたが編んで下さったあかいシェードのれているスタンドの蔭でじっと机にむかっています。なんだかうっとうしい晩だけれど、軒端のきばを伝う雨のしずくに静かに耳を傾けていると、思いなしかそれがやさしいささやきのように聞えて来る。しと/\/\/\……何をささやいているのか知らん? しと/\/\……ああそうだ、光子光子光子、……恋しい人の名を呼んでいるのだ。徳光徳光、……光子光子、……徳、徳、徳、……光、光、光、……あたしはいつの間にかペンを取って、左の手の指の先へ「徳光」という字や「光子」という字を数限りもなく書いていた、親指から小指まで順々に。
 堪忍かんにんして頂戴ちょうだい、こんなつまらないことを書いて。
 毎日顔が見られるのに手紙なんか書くのはおかしい? でも学校だと傍へ寄るのがきまりが悪くて妙に気がひけるのだもの。そういえばこんなにならないうちはわざとお互に寄り添うてみんなに見せびらかしたのに、うわさが事実になってしもてからかいって人目をはばかるようになるなんて、やっぱりあたし気が弱いのかしらん? ああ、どうかして強くなりたい、もっと、もっと、……神をも、仏をも、親をも、夫をも、恐れないほど強く強く、……
 明日の午後はお茶の稽古? そしたら三時にあたしの家に来られない? あした学校でイエスかノーを知らして頂戴、この間のように合図してね。きっと、きっと、きっと来て! 今もテーブルの瑠璃るりの花瓶の中でほころびかけた白い芍薬しゃくやくが、あたしと一緒にあえかなためいきをらしながらあなたの来るのを待っているの。失望させると可愛い芍薬の花が泣きます。洋服箪笥だんすの姿見もあなたの姿を映したいといっています。ではきっと!
 明日のお昼の遊び時間にあたしはいつもの運動場のプラタナスの下に立っています。合図を忘れてはいけません。

 
(五月十一日、光子より園子へ。封筒縦四寸五分。横二寸三分。オールドローズの地色の中央に幅一寸四分ほどの広さに碁盤目ごばんめが通っていて、その中に四つ葉のクローバーを散らし、下の方に骨牌カルタが二枚、ハートの一とスペードの六が重なっている。碁盤目とクローバーは銀色、ハートは赤、スペードは黒、レターペーパーは濃い鳶色とびいろの無地で、その右下のすみの所から斜めに白絵の具のペン字で文句が書いてある。筆蹟は園子よりつたなく、落ち着きのない走り書きのように見えるが、この方が字体が大きく、イヤ味がなくて生き生きとした奔放な感を与える。)
 

 姉ちゃん
 光は今日一日機嫌が悪かったの。床の間の花をむしったり罪もない梅(専ら光子にかしずいている小間使こまづかいの名)を叱り飛ばしたり、――光はきっと日曜になると機嫌が悪いの。なぜって一日姉ちゃんに会えないのだもの。なぜハズさんがいると来てはいけないの? でも電話ぐらいならと思って、さっきかけたらハズさんと一緒に鳴尾なるお苺狩いちごがりに行ってお留守! まあお楽しみ!
 ひどい、ひどい!
 あんまりやわ、あんまりやわ!
 光は一人で泣いています。
 ああ、ああ、ああ
 くやしいからもうなんにもいわない、

Ta S※(リガチャOE小文字)ur Clair
Ma Ch※(グレーブアクセント付きE小文字)re S※(リガチャOE小文字)r Mlle. Jardin
 
(上文中の“Ta S※(リガチャOE小文字)ur”仏蘭西フランス語で“Your Sister”ということ、“Clair”は光の義から転じて「光子」を意味するのであろう。“Ma Ch※(グレーブアクセント付きE小文字)re S※(リガチャOE小文字)ur”“My Dear Sister”“Mlle. Jardin”“Miss Garden”にて「園子嬢」の意。「マダム・ジャルダン」といわないで「マドモワゼル・ジャルダン」としたについては宛名あてなの末に下の如く追記してある。――)
 

 あて姉ちゃんを「マダム」とはいわない。
 「奥様」――まあ嫌な! 思てもぞっとする!
 でもこんなことハズさんに知れたら大変ね、
 Be careful!
 姉ちゃんはなんで手紙に「園子」とサインするの? なんで「姉より」としてくれないの?

 
(五月十八日、園子より光子へ。封筒縦四寸横二寸四分。図は横にいてある。緋色ひいろの地に鹿しぼりのような銀の点線が這入はいっていて、下に大きな桜の花弁の端が三枚見え、その上に後姿の舞妓まいこが半身を出している。緋、紫、黒、銀、青の五度刷りの最も色彩の濃厚なもの。従ってその表面へ文字を書いても読みにくいので、宛名は裏面に記してある。レターペーパーは丈七寸幅四寸五分ほどの大きさの中に八寸ぐらいの白百合しらゆりの茎のたわめられたのが左へ寄せて描いてあり、そのまわりがうす桃色にぼかしてある。故にけいの引いてある部分はわずかに紙面の三分の一の面積しかない。それへ四号活字より小さい文字で細く細く書き続けてある。)
 

 とうとう来た、一度は来るとかねがね覚悟していた事が、……とうとう破裂してしもうた。ゆうべは随分猛烈だった。光ちゃんが見たらどんなにびっくりするかしらん。あたしら夫婦――あ、堪忍して頂戴、あたしらだなんて。――ハズもあたしも久しぶりであんな大喧嘩をした。久しぶりどころかこんなことは結婚以来始めてだった。この前問題があった時でもゆうべのように激しいいい合いをしたことはなかった。あのおとなしい優しい人があんなに腹を立てるなんて! けど無理もないかも知れない、なぜってあたし今考えるとほんとに悪いことをいったのだもの。どうしてあたしハズに向うとああ強情になれるのかしらん? それにゆんべは特別に強硬だったの、どういう訳だか。……あたし今度は自分でちっとも済まない事をしたという気が起らないの、でもハズだって随分乱暴なことをいった、不良少女、ヴァンパイア、文学中毒、――ありとあらゆる汚名をあびせて、それでも足りないで光ちゃんのことまでも「寝室の闖入者ちんにゅうしゃ」だの「家庭の破壊者」だのと、――あたし自分のことだけなら堪忍するけど、光ちゃんのことをいわれたのでもう我慢ならなかった。「うちが不良少女なら何でそんな者を妻にしなさった。あんたは男らしいもない、あたしの家から学費を出してもらいとうて好きでもない者と結婚しなさったんか。あたしのままは初めから分ってるやないか。あんたは卑怯ひきょうや、意気地いくじなしや」と、思いきりくさしてやった。そしたらいきなり灰皿を取って振り上げたのでえらい目にわすか思たら、それを壁へたたきつけたなり、手荒なこともようせんとまっさおになって黙ってしもた。「うちの体に怪我けがでもさして御覧、覚悟があるよって」そういうてもやっぱり黙っていた。それきり今日までハズは一ぺんも口をきかない……。

 
 ――その手紙にあるいい合いのことについてはもっと先生に聞いていただきたい事があるのんです。前にもお話しましたかどうか、わたしと夫とはどうも性質が合いませんし、それに何処どこか生理的にも違うてると見えまして、結婚してからほんとに楽しい夫婦生活を味おうたことはありませなんだ。夫にいわすとそれはお前が気儘きままなからだ。何も性質が合わんことはない、合わさんようにするよってだ。おれの方は合わすように努めてるのんに、お前がそういう心がけにならんのがいかん。世間の夫婦てそない理想通りにてるのんあれへんで。ハタから見たら円満のようでも、内情知ったら不平のないやつあるもんか。己らかて人が見たらうらやましいように見えるかも知れへんし、一般の標準から思たら実際幸福の方かも知れん。お前は世間知らずのいとはんやよって、自分で自分の幸福が分らんと何や贅沢ぜいたくいうのんや。お前みたいな人間はどない申分のない夫持ってもこれなら満足やいう時あれへんで。と、いつもそないいうのんですけど、私は夫の世の中悟りすましたような、あきらめたような物のいい方が気に入りませんよって、あんたはちっとも煩悶はんもんなんかしたことないように見える、あんたという人は人間らしいとこあれへん、と、そういうて攻撃するのんです。夫の方では私の性質に合わすように努めてるのんですやろけど、それがほんまに気持がぴちっと合うのんでのうて、こっちを子供扱いにして、ええ加減にあやしてるように思われますのんで、そういう態度がしゃくに触って仕方あれしません。あんた大学では秀才やったそうやさかい、あてみたいなもん定めし幼稚に見えるやろけど、あてから見たら化石みたいな人やわ、というてやった事もあります。いったいこの人の胸にはパッションいうものがあるのかしらん? この人でも泣いたりおこったりびっくりしたりする事あるのかしらん? 私は冷静な夫の性格にやるせない淋しさ感じたばかりやのうて、いつの間にやら一種のわるさじみた好奇心抱いてましたのんで、それがこの前のことや光子さんのことや、いろいろの事件き起す元になったのんです。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

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