痴人の愛 谷崎潤一郎

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 七
 
その時分、私の胸には失望と愛慕と、互に矛盾した二つのものがかわる交るせめぎ合っていました。自分が選択を誤ったこと、ナオミは自分の期待したほど賢い女ではなかったこと、―――もうこの事実はいくら私のひいき眼でもいなむによしなく、彼女が他日立派な婦人になるであろうと云うような望みは、今となっては全く夢であったことを悟るようになったのです。やっぱり育ちの悪い者は争われない、千束町の娘にはカフエエの女給が相当なのだ、柄にない教育を授けたところで何にもならない。―――私はしみじみそう云うあきらめを抱くようになりました。が、同時に私は、一方にいてあきらめながら、他の一方ではますます強く彼女の肉体にきつけられて行ったのでした。そうです、私は特に『肉体』と云います、なぜならそれは彼女の皮膚や、歯や、唇や、髪や、瞳や、その他あらゆる姿態の美しさであって、決してそこには精神的の何物もなかったのですから。つまり彼女は頭脳の方では私の期待を裏切りながら、肉体の方ではいよいよますます理想通りに、いやそれ以上に、美しさを増して行ったのです。「馬鹿な女」「仕様のないやつだ」と、思えば思うほどなお意地悪くその美しさに誘惑される。これは実に私に取って不幸な事でした。私は次第に彼女を「仕立ててやろう」と云う純な心持を忘れてしまって、むしあべこべにずるずるられるようになり、これではいけないと気が付いた時には、既に自分でもどうする事も出来なくなっていたのでした。
「世の中の事はべて自分の思い通りに行くものではない。自分はナオミを、精神と肉体と、両方面から美しくしようとした。そして精神の方面では失敗したけれど、肉体の方面では立派に成功したじゃないか。自分は彼女がこの方面でこれほど美しくなろうとは思い設けていなかったのだ。そうして見ればその成功は他の失敗を補って余りあるではないか」
―――私は無理にそう云う風に考えて、それで満足するように自分の気持を仕向けて行きました。
「譲治さんはこの頃英語の時間にも、あんまりあたしを馬鹿々々ッて云わないようになったわね」
と、ナオミは早くも私の心の変化をて取ってそう云いました。学問の方にはうとくっても、私の顔色を読むことにかけては彼女は実にさとかったのです。
「ああ、あんまり云うとかえってお前が意地を突ッ張るようになって、結果がよくないと思ったから、方針を変えることにしたのさ」
「ふん」
と、彼女は鼻先で笑って、
「そりゃあそうよ、あんなに無闇むやみに馬鹿々々ッて云われりゃ、あたし決して云う事なんか聴きやしないわ。あたし、ほんとうはね、大概な問題はちゃんと考えられたんだけど、わざと譲治さんを困らしてやろうと思って、出来ないふりをしてやったの、それが譲治さんには分らなかった?」
「へえ、ほんとうかね?」
私はナオミの云うことが空威張りの負け惜しみであるのを知っていながら、故意にそう云って驚いて見せました。
「当り前さ、あんな問題が出来ない奴はありゃしないわ。それを本気で出来ないと思っているんだから、譲治さんの方がよっぽど馬鹿だわ。あたし譲治さんが怒るたんびに、可笑おかしくッて可笑しくッて仕様がなかったわ」
「呆れたもんだね、すっかり僕を一杯喰わせていたんだね」
「どう? あたしの方が少し悧巧りこうでしょ」
「うん、悧巧だ、ナオミちゃんにはかなわないよ」
すると彼女は得意になって、腹を抱えて笑うのでした。
読者諸君よ、ここで私が突然妙な話をし出すのを、どうか笑わないで聞いて下さい。と云うのは、嘗て私は中学校にいた時分、歴史の時間にアントニーとクレオパトラのくだりを教わったことがあります。諸君も御承知のことでしょうが、あのアントニーがオクタヴィアヌスの軍勢を迎えてナイルの河上で船戦ふないくさをする、と、アントニーに附いて来たクレオパトラは、味方の形勢が非なりとみるや、たちまち中途から船を返して逃げ出してしまう。しかるにアントニーはこの薄情な女王の船が自分を捨てて去るのを見ると、危急存亡の際であるにもかかわらず、戦争などは其方除そっちのけにして、自分も直ぐに女のあとを追い駆けて行きます。―――
「諸君」と、歴史の教師はその時私たちに云いました。
「このアントニーと云う男は女のしりを追っ駆け廻して、命をおとしてしまったので、歴史の上にこのくらい馬鹿をさらした人間はなく、実にどうも、古今無類の物笑いの種であります。英雄豪傑もいやはやこうなってしまっては、………」
その云い方が可笑しかったので、学生たちは教師の顔を眺めながら一度にどっと笑ったものです。そして私も、笑った仲間の一人であったことは云うまでもありません。
が、大切なのはここのところです。私は当時、アントニーともあろう者がどうしてそんな薄情な女に迷ったのか、不思議でなりませんでした。いや、アントニーばかりではない、すぐその前にもジュリアス・シーザーのごとき英傑が、クレオパトラに引っかかって器量を下げている。そう云う例はまだその外にいくらでもある。徳川時代のお家騒動や、一国の治乱興廃の跡を尋ねると、必ずかげに物凄い妖婦ようふ手管てくだがないことはない。ではその手管と云うものは、一旦いったんそれに引っかかれば誰でもコロリとだまされるほど、非常に陰険に、巧妙に仕組まれているかと云うのに、どうもそうではないような気がする。クレオパトラがどんなに悧巧な女だったとしたところでまさかシーザーやアントニーより智慧ちえがあったとは考えられない。たとい英雄でなくっても、その女に真心があるか、彼女の言葉がうそかほんとかぐらいなことは、用心すれば洞察出来るはずである。にも拘わらず、現に自分の身をほろぼすのが分っていながら欺されてしまうと云うのは、余りと云えば腑甲斐ふがいないことだ、事実その通りだったとすると、英雄なんて何もそれほど偉い者ではないかも知れない、私はひそかにそう思って、マーク・アントニーが「古今無類の物笑いの種」であり、「このくらい歴史の上に馬鹿を曝した人間はない」と云う教師の批評を、そのまま肯定したものでした。
私は今でもあの時の教師の言葉を胸に浮かべ、みんなと一緒にゲラゲラ笑った自分の姿をおもい出すことがあるのです。そして想い出す度毎たびごとに、もう今日では笑う資格がないことをつくづくと感じます。なぜなら私は、どういう訳で羅馬ローマの英雄が馬鹿になったか、アントニーとも云われる者が何故なぜたわいなく妖婦の手管に巻き込まれてしまったか、その心持が現在となってはハッキリうなずけるばかりでなく、それに対して同情をさえ禁じ得ないくらいですから。
よく世間では「女が男を欺す」と云います。しかし私の経験によると、これは決して最初から「欺す」のではありません。最初は男が自ら進んで「欺される」のを喜ぶのです、れた女が出来て見ると、彼女の云うことが嘘であろうと真実であろうと、男の耳には総べて可愛い。たまたま彼女が空涙を流しながらもたれかかって来たりすると、
「ははあ、此奴こいつ、この手でおれを欺そうとしているな。でもお前は可笑しな奴だ、可愛い奴だ、己にはちゃんとお前の腹は分ってるんだが、折角だから欺されてやるよ。まあまあたんと己をお欺し………」
と、そんな風に男は大腹中に構えて、云わば子供をうれしがらせるような気持で、わざとその手に乗ってやります。ですから男は女に欺される積りはない。却って女を欺してやっているのだと、そう考えて心の中で笑っています。
その証拠には私とナオミが矢張そうでした。
「あたしの方が譲治さんより悧巧だわね」
と、そうって、ナオミは私を欺しおおせた気になっている。私は自分を間抜け者にして、欺されたていよそおってやる。私に取っては浅はかな彼女の嘘をあばくよりか、寧ろ彼女を得意がらせ、そうして彼女のよろこぶ顔を見てやった方が、自分もどんなにうれしいか知れない。のみならず私は、そこに自分の良心を満足させる言訳さえも持っていました。と云うのは、たといナオミが悧巧な女でないとしても、悧巧だという自信を持たせるのは悪くないことだ。日本の女の第一の短所は確乎かっこたる自信のない点にある。だから彼等は西洋の女に比べていじけて見える。近代的の美人の資格は、顔だちよりも才気煥発かんぱつな表情と態度とにあるのだ。よしや自信と云う程でなく、単なる己惚うぬぼれであってもいいから、「自分は賢い」「自分は美人だ」と思い込むことが、結局その女を美人にさせる。―――私はそう云う考でしたから、ナオミの悧巧がる癖を戒しめなかったばかりでなく、却って大いにきつけてやりました。常に快く彼女に欺され、彼女の自信をいよいよ強くするように仕向けてやりました。
一例を挙げると、私とナオミとはその頃しばしば兵隊将棋やトランプをして遊びましたが、本気でやれば私の方が勝てる訳だのに、成るべく彼女を勝たせるようにしてやったので、次第に彼女は「勝負事では自分の方がずっと強者だ」と思い上って、
「さあ、譲治さん、一つひねってあげるかららッしゃいよ」
などと、すっかり私を見縊みくびった態度で挑んで来ます。
「ふん、それじゃ一番復讐ふくしゅう戦をしてやるかな。―――なあに、真面目まじめでかかりゃお前なんかに負けやしないんだが、相手が子供だと思うもんだから、ついつい油断しちまって、―――」
「まあいいわよ、勝ってから立派な口をおききなさいよ」
「よし来た! 今度こそほんとに勝ってやるから!」
そう云いながら、私は殊更ことさら下手な手を打って相変らず負けてやります。
「どう? 譲治さん、子供に負けて口惜くやしかないこと?―――もう駄目だわよ、何と云ったってあたしにかなやしないわよ。まあ、どうだろう、三十一にもなりながら、大の男がこんな事で十八の子供に負けるなんて、まるで譲治さんはやり方を知らないのよ」
そして彼女は「やっぱりとしよりは頭だわね」とか、「自分の方が馬鹿ばかなんだから、口惜しがったって仕方がないわよ」とか、いよいよ図に乗って、
「ふん」
と、例の鼻の先で生意気そうにせせら笑います。
が、恐ろしいのはこれから来る結果なのです。始めのうちは私がナオミの機嫌を取ってやっている、少くとも私自身はそのつもりでいる。ところがだんだんそれが習慣になるに従って、ナオミは真に強い自信を持つようになり、今度はいくら私が本気でん張っても、事実彼女に勝てないようになるのです。
人と人との勝ち負けは理智にってのみきまるのではなく、そこには「気合い」と云うものがあります。云い換えれば動物電気です。ましてけ事の場合には尚更そうで、ナオミは私と決戦すると、始めから気をんでかかり、素晴らしい勢で打ち込んで来るので、此方こちらはジリジリとし倒されるようになり、立ちおくれがしてしまうのです。
ただでやったってつまらないから、幾らか賭けてやりましょうよ」
と、もうしまいにはナオミはすっかり味をしめて、金を賭けなければ勝負をしないようになりました。すると賭ければ賭けるほど、私の負けはかさんで来ます。ナオミは一文なしの癖に、十銭とか二十銭とか、自分で勝手に単位をきめて、思う存分小遣い銭をせしめます。
「ああ、三十円あるとあの着物が買えるんだけれど。………又トランプで取ってやろうかな」
などと云いながら挑戦して来る。たまには彼女が負けることがありましたけれど、そう云う時には又別の手を知っていて、是非その金が欲しいとなると、どんな真似まねをしても、勝たずには置きませんでした。
ナオミはいつでもその「手」を用いられるように、勝負の時は大概ゆるやかなガウンのようなものを、わざとぐずぐずにだらしなくまとっていました。そして形勢が悪くなるとみだりがわしく居ずまいを崩して、えりをはだけたり、足を突き出したり、それでも駄目だと私のひざへ靠れかかって頬ッぺたをでたり、口の端を摘まんでぶるぶると振ったり、ありとあらゆる誘惑を試みました。私は実にこの「手」にかかっては弱りました。就中なかんずく最後の手段―――これはちょっと書く訳に行きませんが、―――をとられると、頭の中が何だかもやもやと曇って来て、急に眼の前が暗くなって、勝負のことなぞ何が何やら分らなくなってしまうのです。
「ずるいよ、ナオミちゃん、そんなことをしちゃ、………」
「ずるかないわよ、これだって一つの手だわよ」
ずーんと気が遠くなって、総べての物がかすんで行くような私の眼には、その声と共に満面にびを含んだナオミの顔だけがぼんやり見えます。にやにやした、奇妙な笑いを浮べつつあるその顔だけが………
「ずるいよ、ずるいよ、トランプにそんな手があるもんじゃない、………」
「ふん、ない事があるもんか、女と男と勝負事をすりゃ、いろんなおまじないをするもんだわ。あたし余所よそで見たことがあるわ。子供の時分に、内で姉さんが男の人とお花をする時、そばで見ていたらいろんなおまじないをやってたわ。トランプだってお花とおんなじ事じゃないの。………」
私は思います、アントニーがクレオパトラに征服されたのも、つまりはこう云う風にして、次第に抵抗力を奪われ、円め込まれてしまったのだろうと。愛する女に自信を持たせるのはいいが、その結果として今度は此方が自信を失うようになる。もうそうなっては容易に女の優越感に打ち勝つことは出来なくなります。そして思わぬわざわいがそこから生じるようになります。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 八
 
ちょうどナオミが十八の歳の秋、残暑のきびしい九月初旬のる夕方のことでした。私はその日、会社の方が暇だったので一時間程早く切り上げて、大森の家へ帰って来ると、思いがけなく門を這入はいった庭の所に、ついぞ見馴みなれない一人の少年が、ナオミと何か話しているのを見かけました。
少年の歳は矢張ナオミと同じくらい、上だとしてもせいぜい十九を超えてはいまいと思えました。白地絣しろじがすり単衣ひとえを着て、ヤンキー好みの、派手なリボンの附いている麦藁帽子むぎわらぼうしかぶって、ステッキで自分の下駄の先をたたきながらしゃべっている、あから顔の、眉毛まゆげの濃い、目鼻立ちは悪くないが満面ににきびのある男。ナオミはその男の足下にしゃがんで花壇のかげに隠れているので、どんな様子をしているのだかはっきり見えませんでした。百日草や、おいらん草や、カンナの花の咲いている間から、その横顔と髪の毛だけがわずかにチラチラするだけでした。
男は私に気がつくと、帽子を取って会釈えしゃくをして、
「じゃあ、又」
と、ナオミの方を振り向いて云いながら、すぐすたすたと門の方へ歩いて来ました。
「じゃあ、さよなら」
と、ナオミもつづいて立ち上りましたが、「さよなら」と男は、後向きのままそう云い捨てて、私の前を通る時帽子の縁へちょっと手をかけて、顔を隠すようにしながら出て行きました。
「誰だね、あの男は?」
と、私は嫉妬しっとと云うよりは、「今のは不思議な場面だったね」と云うような、軽い好奇心で聞いたのでした。
「あれ? あれはあたしのお友達よ、浜田さんて云う、………」
「いつ友達になったんだい?」
「もう先からよ、―――あの人も伊皿子いさらごへ声楽を習いに行っているの。顔はあんなににきびだらけで汚いけれど、歌をうたわせるとほんとに素敵よ。いいバリトンよ。この間の音楽会にも私と一緒にクヮルテットをやったの」
云わないでもいい顔の悪口を云ったので、私はふいと疑いを起して彼女の眼の中を見ましたけれど、ナオミの素振りは落ち着いたもので、少しも平素と異なった所はなかったのです。
「ちょいちょい遊びにやって来るのかい」
「いいえ、今日が始めてよ、近所へ来たから寄ったんだって。―――今度ソシアル・ダンスの倶楽部クラブこしらえるから、是非あたしにも這入ってくれッて云いに来たのよ」
私は多少不愉快だったのは事実ですが、しかしだんだん聞いて見ると、その少年が全くそれだけの話をしに来たのであることは、嘘でないように考えられました。第一彼とナオミとが、私の帰って来そうな時刻に、庭先でしゃべっていたと云うこと、それは私の疑いを晴らすのに十分でした。
「それでお前は、ダンスをやるって云ったのかい」
「考えて置くって云っといたんだけれど、………」
と、彼女は急に甘ったれた猫撫ねこなで声を出しながら、
「ねえ、やっちゃいけない? よう! やらしてよう! 譲治さんも倶楽部へ這入って、一緒に習えばいいじゃないの」
「僕も倶楽部へ這入れるのかい?」
「ええ、誰だって這入れるわ。伊皿子の杉崎先生の知っている露西亜ロシア人が教えるのよ。何でも西比利亜シベリアから逃げて来たんで、お金がなくって困ってるもんだから、それを助けてやりたいと云うんで倶楽部を拵えたんですって。だから一人でもお弟子の多い方がいいのよ。―――ねえ、やらせてよう!」
「お前はいいが、僕が覚えられるかなア」
「大丈夫よ、直きに覚えられるわよ」
「だけど、僕には音楽の素養がないからなア」
「音楽なんか、やってるうちに自然と分るようになるわよ。………ねえ、譲治さんもやらなきゃ駄目。あたし一人でやったって踊りに行けやしないもの。よう、そうして時々二人でダンスに行こうじゃないの。毎日々々内で遊んでばかりいたってつまりゃしないわ」
―――ナオミがこの頃、少し今までの生活に退屈を感じているらしいことは、うすうす私にも分っていました。考えて見れば私たちが大森へ巣を構えてから、既に足かけ四年になります。そしてその間私たちは、夏の休みを除く外はこの「お伽噺とぎばなしの家」の中に立てこもってひろい世の中との交際を断ち、いつもいつもただ二人きりで顔を突き合わせていたのですから、いくらいろいろな「遊び」をやって見たところで、結局退屈を感じて来るのは無理もありません。ましてナオミは非常に飽きっぽいたちで、どんな遊びでも初めは馬鹿ばかに夢中になりますが、決して長つづきはしないのでした。そのくせ何かしていなければ、一時間でもじっとしてはいられないので、トランプもいや、兵隊将棋もいや、活動俳優の真似事もいや、となると、仕方がなしにしばらく捨てて顧みなかった花壇の花をいじくって、せっせと土を掘り返したり、種をいたり、水をやったりしましたけれど、それも一時の気紛きまぐれに過ぎませんでした。
「あーあ、つまらないなア、何か面白い事はないかなア」
と、ソオファの上に反り返って読みかけの小説本をおッぽり出して、彼女が大きく欠伸あくびをするのを見るにつけても、この単調な二人の生活に一転化を与える方法はないものかと、私も内々それを気にしていたのでした。で、あたかもそうう際でしたから、これは成る程、ダンスを習うのも悪くはなかろう。もはやナオミも三年前のナオミではない。あの鎌倉へ行った時分とは訳が違うから、彼女を立派に盛装させて社交界へ打って出たら、恐らく多くの婦人の前でもひけを取るような事はなかろう。―――と、その想像は私に云い知れぬ誇りを感じさせました。
前にも云うように、私には学校時代から格別親密な友達もなく、これまで出来るだけ無駄な附合いを避けて暮してはいましたけれど、しかし決して社交界へ出るのが嫌ではなかったのです。田舎者で、お世辞が下手で、人との応対が我ながら無細工なので、そのために引っ込み思案になっていたものの、それだけに又、かえって一層華やかな社会を慕う心がありました。もともとナオミを妻にしたのも彼女をうんと美しい夫人にして、毎日方々へ連れ歩いて、世間の奴等やつらに何とかかとか云われて見たい。「君の奥さんは素敵なハイカラだね」と、交際場裡こうさいじょうりで褒められて見たい。と、そんな野心が大いに働いていたのですから、そういつまでも彼女を「小鳥のかご」の中へしまって置く気はなかったのです。
ナオミの話では、その露西亜人の舞踊の教師はアレキサンドラ・シュレムスカヤと云う名前の、或る伯爵はくしゃくの夫人だと云うことでした。夫の伯爵は革命騒ぎでくえ不明になってしまい、子供も二人あったのだそうですが、それも今では居所が分らず、やっと自分の身一つを日本へ落ちのびて、ひどく生活に窮していたので、今度いよいよダンスの教授を始めることになったのだそうです。で、ナオミの音楽の先生である杉崎春枝女史が夫人のめに倶楽部を組織し、そして幹事になったのがあの浜田と云う、慶応義塾の学生でした。
稽古場けいこばにあてられたのは三田の聖坂ひじりざかにある、吉村と云う西洋楽器店の二階で、夫人はそこへ毎週二回、月曜日と金曜日に出張する。会員は午後の四時から七時までの間に、都合のいい時を定めて行って、一回に一時間ずつ教えてもらい、月謝は一人前二十円、それを毎月前金で払うと云う規定でした。私とナオミと二人で行けば月々四十円もかかる訳で、いくら相手が西洋人でも馬鹿げているとは思いましたが、ナオミの云うにはダンスと云えば日本の踊りも同じことで、どうせ贅沢ぜいたくなものだからそのくらい取るのは当り前だ。それにそんなに稽古しないでも、器用な人なら一と月ぐらい、不器用な者でも三月もやれば覚えられるから、高いと云っても知れたことだ。
「第一何だわ、そのシュレムスカヤって云う人を助けてやらないじゃ気の毒だわ。昔は伯爵の夫人だったのがそんなに落ちぶれてしまうなんて、ほんとに可哀かわいそうじゃないの。浜田さんに聞いたんだけれど、ダンスは非常にうまくって、ソシアル・ダンスばかりじゃなく、希望者があればステージ・ダンスも教えるんだって。ダンスばかりは芸人のダンスは下品で、駄目だわ、ああ云う人に教わるのが一番いいのよ」
と、まだ見たこともないその夫人に、彼女はしきりと肩を持って、一ぱしダンス通らしいことを云うのでした。
そう云う訳で私とナオミとは、とにかく入会することになり、毎月曜日と金曜日に、ナオミは音楽の稽古を済ませ、私は会社の方が退けると、すぐその足で午後六時までに聖坂の楽器店へ行くことにしました。始めの日は午後五時に田町の駅でナオミが私を待ち合わせ、そこから連れだって出かけましたが、その楽器店は坂の中途にある、間口の狭いささやかな店でした。中へ這入るとピアノだの、オルガンだの、蓄音器だの、いろいろな楽器が窮屈な場所にならんでいて、もう二階ではダンスが始まっているらしく、騒々しい足取りと蓄音器の音が聞えました。ちょうど梯子段はしごだんの上り口のところに、慶応の学生らしいのが五六人うじゃうじゃしていて、それがジロジロ私とナオミの様子を見るのが、あまりい気持はしませんでしたが、
「ナオミさん」
と、その時馴れ馴れしい大きな声で、彼女を呼んだ者がありました。見ると今の学生の一人で、フラット・マンドリン―――と云うものでしょうか、平べったい、ちょっと日本の月琴げっきんのような形の楽器を小脇こわきにかかえて、それの調子を合わせながら針金のげんをチリチリ鳴らしているのです。
「今日はア」
と、ナオミも女らしくない、書生ッぽのような口調で応じて、
「どうしたのまアちゃんは? あんたダンスをやらないの?」
やあだア、おれあ」
と、そのまアちゃんと呼ばれた男は、ニヤニヤ笑ってマンドリンを棚の上に置きながら、
「あんなもなあ己あ真っ平御免だ。第一おめえ、月謝を二十円も取るなんて、まるでたけえや」
「だって始めて習うんなら仕方がないわよ」
「なあに、いずれそのうちみんなが覚えるだろうから、そうしたら奴等を取っつかまえて習ってやるのよ。ダンスなんざあそれで沢山よ。どうでえ、要領がいいだろう」
「ずるいわまアちゃんは! あんまり要領がよ過ぎるわよ。―――ところで『浜さん』は二階にいる?」
「うん、いる、行って御覧」
この楽器屋はこの近辺の学生たちの「たまり」になっているらしく、ナオミもちょいちょい来るものと見えて、店員などもみんな彼女と顔馴染かおなじみなのでした。
「ナオミちゃん、今下にいた学生たちは、ありゃ何だね?」
と、私は彼女に導かれて梯子段を上りながら尋ねました。
「あれは慶応のマンドリン倶楽部の人たちなの、口はぞんざいだけれど、そんなに悪い人たちじゃないのよ」
「みんなお前の友達なのかい」
「友達って云う程じゃないけれど、時々此処ここへ買い物に来るとあの人たちに会うもんだから、それで知り合いになっちゃったの」
「ダンスをやるのは、ああ云う連中がおもなのかなあ」
「さあ、どうだか、―――そうじゃないでしょ、学生よりはもっと年を取った人が多いんじゃない?―――今行って見れば分るわよ」
二階へ上ると、廊下の取っ突きに稽古場があって、「ワン、トゥウ、スリー」と云いながら足拍子をんでいる五六人の人影が、すぐと私の眼に入りました。日本座敷を二た間打ち抜いて、靴穿くつばきのまま這入れるような板敷にして、多分滑りをよくする為めか何かでしょう、例の浜田と云う男が彼方此方あっちこっちへチョコチョコ駆けて歩いては、細かい粉を床の上へまいています。まだ日の長い暑い時分のことだったので、すっかり障子を明け放してある西側の窓から、夕日がぎらぎらとさし込んでいる、そのほのあかい光を背に浴びせながら、白いジョオゼットの上衣うわぎを着て、紺のサージのスカアトを穿いて、部屋と部屋との間仕切りの所に立っているのが、云うまでもなくシュレムスカヤ夫人でした。二人の子供があるというのから察すれば、実際のとしは三十五六にもなるのでしょうか? 見たところではようやく三十前後ぐらいで、成る程貴族の生れらしい威厳を含んだ、きりりと引きまった顔だちの婦人、―――その威厳は、多少のすごみを覚えさせるほど蒼白そうはくを帯びた、澄んだ血色のせいであろうと思われましたが、しかし凛乎りんこたる表情や、瀟洒しょうしゃな服装や、胸だの指だのに輝いている宝石を見ると、これが生活に困っている人とはどうしても受け取れませんでした。
夫人は片手にむちを持って、こころもち気むずかしそうに眉根まゆねを寄せながら、練習している人々の足元をにらんで、「ワン、トゥウ、トゥリー」―――露西亜人の英語ですから“three”“tree”と発音するのです。―――と静かな、しかし命令的な態度をもって繰り返しています。それに従って、練習生が列を作って、覚束おぼつかないステップを蹈みつつ、ったり来たりしているところは、女の士官が兵隊を訓練しているようで、いつか浅草の金竜館で見たことのある「女軍出征」をおもい出しました。練習生のうちの三人は、とにかく学生ではないらしい背広服を着た若い男で、あとの二人は女学校を出たばかりの、何処どこかの令嬢でありましょう、質素ななりをして、はかまを穿いて男と一緒に一生懸命に稽古しているのが、いかにも真面目まじめなお嬢さんらしくて悪い感じはしませんでした。夫人は一人でも足を間違えた者があると、たちま
「No!」
と、鋭くしっして、傍へやって来て歩いて見せる。覚えが悪くて余りたびたび間違えると、
「No good!」
と叫びながら、鞭でぴしりッと床をたたいたり、男女の容赦なくその人の足を打ったりします。
「教え方が実に熱心でいらっしゃいますのね、あれでなければいけませんわ」
「ほんとうにね、シュレムスカヤ先生はそりゃ熱心でいらっしゃいますの。日本人の先生方だとどうしてもああは参りませんけれど、西洋の方はたとい御婦人でも、其処そこはキチンとしていらしって、全く気持がようございますのよ。そしてあの通り授業の間は一時間でも二時間でも、ちっともお休みにならないで稽古をおつづけになるのですから、この暑いのにお大抵ではあるまいと思って、アイスクリームでも差上げようかと申すのですけれど、時間の間は何も要らないとっしゃって、決して召し上らないんですの」
「まあ、よくそれでおくたびれになりませんのね」
「西洋の方は体が出来ていらっしゃるから、わたくし共とは違いますのね。―――でも考えるとお気の毒な方でございますわ、もとは伯爵の奥様で、何不自由なくお暮らしになっていらしったのが、革命のためにこう云う事までなさるようになったのですから。―――」
待合室になっている次の間のソオファに腰かけて、稽古場の有様を見物しながら、二人の婦人がさも感心したようにこんな事をしゃべっています。一人の方は二十五六の、唇の薄く大きい、支那しな金魚の感じがする円顔の出眼の婦人で、髪の毛を割らずに、額の生えぎわから頭の頂辺てっぺんはりねずみ臀部でんぶごとく次第に高く膨らがして、たぼの所へ非常に大きな白鼈甲しろべっこうかんざしを挿して、埃及エジプト模様の塩瀬しおぜの丸帯に翡翠ひすいの帯留めをしているのですが、シュレムスカヤ夫人の境遇に同情を寄せ、しきりに彼女を褒めちぎっているのはこの婦人の方なのでした。それに合槌あいづちを打っているもう一人の婦人は、汗のため厚化粧のお白粉しろいぶちになって、ところどころに小皺こじわのある、荒れた地肌が出ているのから察すると、恐らく四十近いのでしょう。わざとか生れつきか束髪に結ったあかい髪の毛のぼうぼうと縮れた、せたひょろ長い体つきの、身なりは派手にしていますけれど、ちょっと看護婦上りのような顔だちの女でした。
この婦人連を取り巻いて、つつましやかに自分の番を待ち受けている人々もあり、中には既に一と通りの練習を積んだらしく、てんでに腕を組み合わせて、稽古場の隅を踊り廻っているのもあります。幹事の浜田は夫人の代理と云う格なのか、自分でそれを気取っているのか、そんな連中の相手になって踊ってやったり、蓄音器のレコードを取り換えたりして、独りで目まぐるしく活躍しています。一体女は別として、男でダンスを習いに来ようと云う者は、どう云う社会の人間なのかと思って見ると、不思議なことにしゃれた服を着ているのは浜田ぐらいで、あとは大概安月給取りのような、野暮くさい紺の三つ組みを着た、気のかなそうなのが多いのでした。もっとも歳は皆私より若そうで、三十台と思われる紳士はたった一人しかありません。その男はモーニングをまとって、金縁の分の厚い眼鏡をかけて、時勢おくれの奇妙に長い八字髭はちじひげを生やしていて、一番呑込のみこみが悪いらしく、幾度となく夫人に“No good”どやしつけられ、鞭でピシリと喰わされます。と、その度毎たびごとにニヤニヤ間の抜けた薄笑いをしながら、又始めから「ワン、トゥウ、スリー」をやり直します。
ああう男が、いい歳をしてどう云うつもりでダンスをやる気になったものか? いや、考えると自分も矢張あの男と同じ仲間じゃないのだろうか? それでなくても晴れがましい場所へ出たことのない私は、この婦人たちの眼の前で、あの西洋人にどやしつけられる刹那せつなを思うと、いかにナオミのお附き合いとは云いながら、何だかこう、見ているうちに冷汗がいて来るようで、自分の番の廻って来るのが恐ろしいようになるのでした。
「やあ、らっしゃい」
と、浜田は二三番踊りつづけて、ハンケチでにきびだらけの額の汗をきながら、その時傍へやって来ました。
「や、この間は失礼しました」
と今日はいささか得意そうに、改めて私に挨拶あいさつをして、ナオミの方を向きながら、
「この暑いのによく来てくれたね、―――君、済まないが扇子を持ってたら貸してくれないか、何しろどうも、アッシスタントもなかなか楽な仕事じゃないよ」
ナオミは帯の間から扇子を出して渡してやって、
「でも浜さんはなかなか上手ね、アッシスタントの資格があるわ。いつから稽古し出したのよ」
「僕かい? 僕はもう半歳もやっているのさ。けれど君なんか器用だから、すぐ覚えるよ、ダンスは男がリードするんで、女はそれに喰っ着いて行けりゃあいいんだからね」
「あの、此処にいる男の連中はどう云う人たちが多いんでしょうか?」
私がそう云うと、
「はあ、これですか」
と、浜田は丁寧な言葉になって、
「この人たちは大概あの、東洋石油株式会社の社員の方が多いんです。杉崎先生の御親戚しんせきが会社の重役をしておられるので、その方からの御紹介だそうですがね」
東洋石油の会社員とソシアル・ダンス!―――随分妙な取り合わせだと思いながら、私は重ねて尋ねました。
「じゃあ何ですか、あのあすこに居る髭の生えた紳士も、やっぱり社員なんですか」
「いや、あれは違います、あの方はドクトルなんです」
「ドクトル?」
「ええ、やはりその会社の衛生顧問をしておられるドクトルなんです。ダンスぐらい体の運動になるものはないと云うんで、あの方はむしろそのめにやっておられるんです」
「そう? 浜さん」
と、ナオミが口を挟みました。
「そんなに運動になるのかしら?」
「ああ、なるとも。ダンスをやってたら冬でも一杯汗をいて、シャツがぐちゃぐちゃになるくらいだから、運動としては確かにいいね。おまけにシュレムスカヤ夫人のは、あの通り練習が猛烈だからね」
「あの夫人は日本語が分るのでしょうか?」
私がそう云って尋ねたのは、実はさっきからそれが気になっていたからでした。
「いや、日本語はほとんど分りません、大概英語でやっていますよ」
「英語はどうも、………スピーキングの方になると、僕は不得手だもんだから、………」
「なあに、みんな御同様でさあ。シュレムスカヤ夫人だって、非常なブロークン・イングリッシュで、僕等よりひどいくらいですから、ちっとも心配はありませんよ。それにダンスの稽古なんか、言葉はなんにも要りゃしません。ワン、トゥウ、スリーで、あとは身振りで分るんですから。………」
「おや、ナオミさん、いつお見えになりまして?」
と、その時彼女に声をかけたのは、あの白鼈甲の簪を挿した、支那金魚の婦人でした。
「ああ、先生、―――ちょいと、杉崎先生よ」
ナオミはそう云って、私の手を執って、その婦人のいるソオファの方へ引っ張って行きました。
「あの、先生、御紹介いたします、―――河合譲治―――」
「ああ、そう、―――」
と、杉崎女史はナオミがあかい顔をしたので、皆まで聞かずにそれと意味を悟ったらしく、立ち上って会釈えしゃくしながら、
「―――お初にお目に懸ります、わたくし、杉崎でございます。ようこそお越し下さいました。―――ナオミさん、その椅子いすを此方へ持っていらっしゃい」
そして再び私の方を振り返って、
「さあ、どうぞおかけ遊ばして。もう直きでございますけれど、そうして立ってお待ちになっていらしっちゃ、おくたびれになりますわ」
「………」
私は何と挨拶したかハッキリ覚えていませんが、多分口の中でもぐもぐやらせただけだったでしょう。この、「わたくし」と云うような切口上でやって来られる婦人連が、私には最も苦手でした。そればかりでなく、私とナオミとの関係をどう云う風に女史が解釈しているのか、ナオミがそれをどの点までほのめかしてあるのか、ついうっかりしてただして置くのを忘れたので、尚更なおさらどぎまぎしたのでした。
「あの御紹介いたしますが」
と、女史は私のもじもじするのに頓着とんじゃくなく、例の縮れ毛の婦人の方を指しながら、
「この方は横浜のジェームス・ブラウンさんの奥さんでいらっしゃいます。―――この方は大井町の電気会社に出ていらっしゃる河合譲治さん、―――」
成る程、するとこの女は外国人の細君だったのか、そう云われれば看護婦よりも洋妾らしゃめんタイプだと思いながら、私はいよいよ固くなってお辞儀をするばかりでした。
「あなた、失礼でございますけれど、ダンスのお稽古けいこをなさいますのは、フォイスト・タイムでいらっしゃいますの?」
その縮れ毛はぐに私をつかまえて、こんな風にしゃべり出したが、「フォイスト・タイム」と云うところがいやに気取った発音で、ひどく早口に云われたので、
「は?」
と云いながら私がへどもどしていると、
「ええ、お始めてなのでございますの」
と、杉崎女史が傍から引き取ってくれました。
「まあ、そうでいらっしゃいますか、でもねえ、何でございますわ、そりゃジェンルマンはレディーよりもモー・モー・ディフィカルトでございますけれど、お始めになれば直きに何でございますわ。………」
この「モー・モー」と云うやつが、又私には分りませんでしたが、よく聞いて見ると“more more”と云う意味なのです。「ジェントルマン」を「ジェンルマン」、「リットル」を「リルル」、べてそう云う発音の仕方で話の中へ英語を挟みます。そして日本語にも一種奇妙なアクセントがあって、三度に一度は「何でございますわ」を連発しながら、油紙へ火がついたように際限もなくしゃべるのです。
それから再びシュレムスカヤ夫人の話、ダンスの話、語学の話、音楽の話、………ベトオヴェンのソナタが何だとか、第三シンフォニーがどうしたとか、何々会社のレコードは何々会社のレコードより良いとか悪いとか、私がすっかりしょげて黙ってしまったので、今度は女史を相手にしてぺらぺらやり出すその口ぶりから推察すると、このブラウン氏の夫人というのは杉崎女史のピアノの弟子ででもありましょうか。そして私はこんな場合に、「ちょっと失礼いたします」と、いい潮時を見計って席を外すと云うような、器用な真似まねが出来ないので、この饒舌家じょうぜつかの婦人の間に挟まった不運を嘆息しながら、いやでも応でもそれを拝聴していなければなりませんでした。
やがて、髭のドクトルを始めとして石油会社の一団の稽古が終ると、女史は私とナオミとをシュレムスカヤ夫人の前へ連れて行って、最初にナオミ、次に私を、―――これは多分レディーを先にすると云う西洋流の作法に従ったのでしょう、―――極めて流暢りゅうちょうな英語でもって引き合わせました。その時女史はナオミのことを「ミス・カワイ」と呼んだようでした。私は内々、ナオミがどんな態度を取って西洋人と応対するか、興味を持って待ち受けていましたが、ふだんは己惚うぬぼれの強い彼女も、夫人の前へ出てはさすがにちょっと狼狽ろうばいの気味で、夫人が何か一と言二た言云いながら、威厳のある眼元に微笑を含んで手をさし出すと、ナオミは真っ赤な顔をして何も云わずにコソコソと握手をしました。私と来ては尚更の事で、正直のところ、その青白い彫刻のような輪廓りんかくを、仰ぎ見ることは出来ませんでした。そして黙って俯向うつむいたまま、ダイヤモンドの細かい粒が無数に光っている夫人の手を、そうッと握り返しただけです。
 
 
 
 
 
 

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