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弓太郎と念者
弓箭は農民の間では早くから、神祭の折にしか用いられていなかった。従ってその技能は劣っていて、実際の役に立たなかったのである。私の知っている三河の或る山村では、氏神の祭礼に金的を射あてる神事がある。箭が的を射貫くと的場の土といっしょに的と箭とを三方の上に載せて神前に供え、それをもって祭を終ることになっており、祭の前にはみな一生懸命に弓の稽古をする。もし中らなかったらどうしますかと尋ねてみると、何日でもあたるまでは御祭が続くのだそうである。しかしどうしてもあたらぬ時には仕方がないから、神主が箭を持っていって、金的に突射すのだという話であった。
四国や九州で百手祭、または御的射の神事といっているのは、的も大きく距離も近くしてあるようだが、射手はたいていの場合には少年であって、みな前々から精進をして練習する。そうして各自の部落を代表して、あたればその村が神の思召しにかない、一年中の仕合せを取るとしていたのだから、周囲の人たちも今日の声援団以上に力瘤を入れたのである。的射に出る少年選手は弓太郎などと呼ばれ、それを出す家には親類から祝い物を贈ってくるような土地もある。式場には多くの人が出席して、世話をしたり力をつけたことは無論である。朝廷や京都の大きな御社にも、中世以前からこれとよく似た賭弓の御式があって射手は右左に分れて勝負を競うほかに、おのおの一方の声援者があり、それを念人といっていたことは記録にしばしば見えている。すなわちめいめいの選手が勝つことを、心の中で念ずる役である。
少年の箭数問い寄る念者ぶり
という近世の発句があるが、その念者もまた元は右にいう念人と同じであった。われわれのネンボウ・ネンガラの遊びには、もはや年を取った念者の来て見る者は無くなっていたけれども、仲間がこの勝ち負けに力を入れる熱心さは、純然たる遊戯になるまでなお残っていて、それが暗々裡に競技の興奮を忘れがたいものにしていたように思う。相撲とか競馬とか鶏合せとかのごとく今まで成人の念者がたくさんに押掛けるもの以外に、盆や正月の綱曳きのように、ちょうど成人から子どもへの過渡期にあるものもあれば、さらにまたこのネン打ちや、次にいいたいと思うハマの遊びのように、ほとんと子どもだけしか面白がらぬ競技もあって、それがことごとく最初は神様の祭から出ていることは、子どもを愛する人々の回顧せずにはいられぬ歴史である。
〔つづく〕
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