柳田国男 こども風土記

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 あてもの遊び
 
 
 鹿の角なら二本にきまっているようなものだが、これは角のまたがいくつにわかれているかということらしい。御存ごぞんじの通り牡鹿おじかの角は、成長するにつれて枝の数が多くなり、五本ぐらいがまず大鹿である。単に子どもの指の遊びに似つかわしかったというだけでなく、山の猟師りょうしにとっても重大な問題で、毎度おそらくは声を立てずに、こうして指を出して相手に知らせ、またはうわさをしていたことがあったろうかと思う。それを子どもが遠い遠い昔に学んで忘れずに持ち伝えていたものらしい。今日の語でいうと、この遊戯は生活に即している。
 これがもし琵琶湖岸びわこがん片隅かたすみに、たった一ヵ所しかない例だったら、或いは近年米国の宣教師が来て、教えて行ったろうなどと、ありもせぬことを想像してすます人が多かったろうが、幸いなことには九州に一つ、飛び離れて同じ「鹿なんぼ」の遊びがあった。久留米くるめ中学校の峰元みねもと君は、近ごろ市中でこの遊戯を子どもがしているのを見かけたと報ぜられた。それから附近の村里を問合せてみたが、三井みい郡にはたしかにあって、他の郡にはまだあるという人を知らぬという。私も強い断定は差控さしひかえるが、これは近江おうみから、または近江へ、ちかごろ輸入したものでないということはまあ言えそうである。
 ただし詳しい方式はもう一度見なおす必要がある。熱心なブリウスタア氏に知らせてやりたいのは、久留米の方でも背なかをたたかないかどうか。「鹿なんぼ」という文句があまり簡単だから、あるいはこれも馬乗りの方かも知れぬが、文句が残っている以上はもと拍子ひょうしをとって、叩いていたのではないかと思う。
 これによって、ふと心づくことは、今でも東京の小学校の子どもが、別れるときなどにちょいと立ちもどって、
 
おみやげ 三つに 気がすんだ
 
というたぐいの、どうしても意味のとれない文句をとなえて、友だちの背なかを打つことである。流行といってしまえばそれでも説明はつくが、あまりにも無意味だから何か別の形があり、それが鹿・鹿・角・何本でないまでも、少しはこれに近いような「あてもの遊び」が、行なわれていた名残なごりではないかと考えている。人の背なかを打つということは、そう軽々しいたわむれではない。それでも喧嘩けんかにはならぬだけの約束が、かつてはこれを許していたもの、といっても理由が一つあるのである。
        
 
         
〔つづく〕
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